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2019年12月15日 (日)

中央東線配線図(1971年3月) その7(甲府~小淵沢)

NZさんよりご提供いただいた1971年3月の中央東線東京駅~小淵沢駅間の配線図のご紹介のその7です。(NZさん、ありがとうございます。)

今回は最終回、甲府駅~小淵沢間です。

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・身延線ホームが少し離れているのが買収線区らしいです。
・電化の際にスペースが不足したのでしょうか、駅から少し離れた場所に電留線が設けられているのが特徴的です。
・以前の記事もご覧下さい。
 甲府 1974/7/21
 甲府 1977/8/6
 甲府 2013/7/6 その1
 甲府 2013/7/6 その2
・細かいので3つに分けます。

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・東京方から進入できるのは下本、中、上本、上1、身延線から進入できるのは身延7、身延6、下本、中、上1です。
・東京方へ進出できるのは下本、中、上本、上1、身延線に進出できるのは身延7、身延6、身延3、下本、上1です。身延3番線が本線なのがおもしろいですね。私鉄時代の名残の気配です。
・ところで(10R)って何?

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・名古屋方へはすべての本線から進出できます。

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・名古屋方から進入できるのは上本と上1のみです。ちょっと使い勝手が悪そうな。
・通路線は1.5kmほどもあり、細かく区切られていますね。

 

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・このような小規模な駅で貨物取扱が行われているのは最近では珍しくなりましたね。
・以前の記事もご覧下さい。
 竜王 2013/7/6

 

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・スイッチバック駅ですが、複線区間ということもあり一風変わった配線です。
・複線化が行われて本線上にホームを設けたものの、初狩駅や笹子駅のように客車列車を通過させるわけにもいかず旧ホームを残したものと思われます。その後EF64の配置によりこのすぐ後(1971年4月)に客車列車のスイッチバックが廃止され、さらにその後貨物営業も廃止されて完全にスイッチバックが廃止されました。
・以前の記事もご覧下さい。
 韮崎 2013/7/6
 韮崎駅のスイッチバック
 韮崎駅のスイッチバック その2
 韮崎駅のスイッチバック その3
 中央線のスイッチバック停車場 その1
 中央線のスイッチバック停車場 その2

 

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・この駅も変わった配線です。折り返し線がないタイプのスイッチバック駅です。
・スイッチバックする下り列車は、1Lでホームに進入→3Rで後退、3L~4Lで出発、ということでしょうか。
・3Lが注意を現示するのが?ですね。実際には3L注意、4L停止で出発することはないとは思いますが。

 

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・単線区間ですのでスイッチバック駅としては標準的な配線です。

 

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・その昔、新宿駅を深夜0時頃に出発する夜行鈍行列車は、この日野春駅で長いこと停車していましたね。

 

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・数少ない複線区間のスイッチバック駅です。
・初狩駅や韮崎駅のように複線化の際に本線上にホームを設けて電車列車だけでもスイッチバックを廃止するという手もあったと思うのですが、長坂駅では最後まで電車列車もスイッチバックしていたようですね。

 

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・東京方から進入できるのは下本、上1、小海本?
・東京方に進出できるのは上本、上1、小海本。これは自信あり(汗)。
・名古屋方に進出できるのは下本、上1、小海本、名古屋方から進入できるのは上本、上1、小海本?
・小諸方に進出できるのは小海本、小海1、小諸方から進入できるのは上1、小海本、小海1? ホームに面した上2は側線でしょうか。よくわかりません(汗)。
・以前の記事もご覧下さい。
 小淵沢 1988/8/2 動画
 小淵沢 2002/8/16
 小淵沢 2002/8/16 その2

配線図はNZさんからご提供いただきました。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

中央東線や中央高速道が高尾を過ぎると山岳地帯に入り隧道及び橋梁が続き一時期日本最大長であった笹子隧道を抜けると漸く甲府盆地へ隧道区間が多いので東海道本線に続き早い時代に甲府迄電化されました盆地の隅を下り甲府へ甲府から先は高原地帯ですので可也後迄非電化でした甲府は其の結束駅でしたので当然構内も広い中央東線沿線において新宿八王子甲府塩尻は大きな駅です甲府を過ぎると再び盆地の隅を上り八ヶ岳高原へ向かいますが途中の新府は武田勝頼が最後に城を築いた所です八ヶ岳高原の入口である小淵沢はC56と高原列車で有名な小海線の分岐駅小規模の機関区も併設されてます此の配線図の頃は無煙化された後ですね

・小淵沢
中込区の小海線気動車が間合いで上諏訪まで行く運用があって、上諏訪→小淵沢→野辺山と乗った時は小海本線で着発した記憶があります。この配線図の当時は未だ急行八ヶ岳の分割併合やってた時期だと思いますが、小海本線でやってたのでしょうか?

・甲府
下本も上本も出発時に分岐器の分岐側を通るのは、ずっと改める気はないようですね。全列車停車駅なので、困らないといえば困らないですが。

北東航21さん
>上諏訪→小淵沢→野辺山
私も小海本線ではないかと思うのですが。
>急行八ヶ岳
71年8月時刻表では、下りアルプスは10両編成ですので小海本線は無理のようですね。入換で転線ではないかと。
PCの八ヶ岳高原もあり、また小諸方でも小海発上野行きのPC列車があったりと、いろいろと面白い運転が行われていたようです。

ところで、
身延線貨物で、
最後まであった南甲府、東花輪発着の貨物って、
甲府駅構内どうやって機回ししていたんでしょうかね?
中線使ってなのでしょうけど、
機回しを上下本線どちらか使っているとなるとその間かなり支障きたしてる気がしますが…。


ただでさえ実質二面三線ゆえに、混乱すると甲府駅構内が満線のため手前で待たされる自体がよくあります。それで遅れがさらに拡大するという悪循環に。

失礼いたしました。
上1で折り返しでしたね(;^_^A

甲府駅は始発終着列車が多いですね。2面3線では、ゆきあらかわさんがご指摘のように異常時にはホームの空き余裕がひっ迫し、場外で待たされそうです。同様の状況は高尾、取手などでもありそうです。高尾はその対策で、下り外側の留置側線の用地を転用して、通過列車用の下り本線を新設して、ホームが満線でも下り通過列車を通せるように改良されましたね。

コスモスさん
おっしゃるとおりですね。昔の面影が強く、あまり改良が行われていない感じがします。

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