« 中央東線配線図(1971年3月) その7(甲府~小淵沢) | トップページ | 野辺山 2017/8/18 »

2019年12月17日 (火)

主要組立駅(飯田町~甲府)

前回までの記事で、NZさんよりご提供いただいた中央東線東京駅~小淵沢駅間の配線図をご紹介してきましたが、今回もNZさんからご提供いただいた資料のご紹介になります。(NZさん、ありがとうございます。)

その資料は、「昭和33年6月 主要組立駅要覧 営業局配車課」というもので、おそらくは、貨物列車の組成が行われる主要な駅の線路配線や線路の使用方法が記載されたものです。
実はすでに仙台駅長町駅の記事でその一部をご紹介済みなのですが、今回は中央東線つながりということで飯田町駅、新宿駅、立川駅、八王子駅、甲府駅をご紹介します。

最初は飯田町駅です。
01195806r
・表現方法が個性的です(笑)。まあ、飯田町駅の雰囲気をよく伝える形にはなっていると思いますが。
・「線路別使用方」が興味深いです。

 

続いて新宿駅です。
02195806r
・細かいので2つに分けます。

021958061r
・小田急線との連絡線が描かれています。これについてはKASAさんのサイトで詳しく解説されていますので是非ご覧ください。

021958062r

 

続いて立川駅です。
03195806r
・細かいので2つに分けます。

031958061r

031958062r
・南武線ホームの下側には「五日市」を冠した線路がいくつか見受けられます。確かに昔の五日市鉄道はここに乗り入れていたわけですが、この時代まで「五日市」の名称が使われていたのでしょうか。

 

続いて八王子駅です。
04195806r

 

・最後に甲府駅です。
05195806r
・中央線はまだ単線です。
・線路別使用方の「上9 ガソリン車留置」「購買線 購買発着車」に興味が惹かれます。

 

配線図はNZさんからご提供いただきました。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 中央東線配線図(1971年3月) その7(甲府~小淵沢) | トップページ | 野辺山 2017/8/18 »

コメント

東京から五方向へ向かう幹線の内中央本線だけは首都圏を抜けた途端山岳路線となる関係で貨物列車は他幹線比べ列車重量の制限がある関係から沿線に近代的貨車操車場を設ける事無く平面組立駅で賄っていたのでしょう 貨物列車の起点飯田町 山手貨物線との連絡駅 新宿南武線と青梅線との連絡駅 立川横浜線と八高線との連絡駅八王子 身延線との連絡駅甲府 其々に平面組立駅として機能させたのでしょう

飯田町駅の配線を見ると終端駅の特徴的である機廻し線とおぼしき設備が有りません飯田町に到着貨物列車は下り一番線入線最後部に入れ替え機が連結し到着貨車を一旦押上と記載されている引き上げ線へ引き上げた後突放(飯田町の構内は引き上げ線を含め多少勾配が有ったので重力入れ替えが可能)貨車を河岸線と記載されている各側線の何れかえ重力転送させて一旦収容其の間に牽引機が機関区線に移動留置 入れ替え機が到着貨車を各荷扱い線へ送り込みますが一部の荷扱い線例えば艀取りの側線等は入れ替え機が引き上げ線と反対側に貨車を連結しないと送り込めない配線 用地の状況上仕方ない配線(開設時よりからの配線が後々迄残った為)特に石灰線は何回もスイッチバックしないと貨車を送り込めない配線 同じ様な配線としては両国駅の艀取り線も同じ構造です 比較的簡単に貨車を送り込めるのは相模鉄道ホッパー側線位ですね 飯田町からの発送貨車は各河岸側線を利用して入れ替え機が仕立た後引き上げ線に牽引後出発線に押し込み入れ替え機が退避其の後牽引機が仕立られた貨物列車の先頭に連結出発時間になったら飯田町駅より発車新宿方面へ向かったのです

鐵道創設時より貨物列車は起点駅で仕立てて中間の主要駅で編成の再組立てしながら運行していた 江戸時代以前の物流は大量運搬は北前船等の外洋航路の船で輸送各地の港へ寄り小型船に積荷を乗せたり降ろしたりしながら輸送していました其後は各河川等に有った河岸迄小型船で輸送其の先は大八車や馬の背や人が背負子で運んで行った陸運は宿場送りという方法で荷を次の宿場へ送り次の宿場へ継走して行く方式でした 鐵道が貨物を輸送始めた当初から国有化までは江戸以前と同じく宿場送り的輸送でした鉄道での宿場送りは主要駅へ送り込み其の先次の主要駅迄別々な貨物列車で輸送する方式でした 国有化で貨物輸送を全国的に展開せねばならなくなり要所々々の主要駅に組立駅を指定し多数の仕分け群線を設け対応した 更に遠方へ貨車を送り込む為直通輸送方式をとるために巨大貨物操車場を各地に設け操車場間を結ぶ直通貨物列車を運行する様にしましたそれは国鉄末期ヤード輸送方式廃止迄続きました組立駅で仕立て巨大操車場へ貨車を送り込み目的地の巨大操車場へ直通系貨物列車に連結送り込み其処から組立駅へ送り込み目的駅へ貨車を継走させていたのです 巨大操車場から別の巨大操車場継走させる事で日本中に貨車を送る事が出来ましたがトラック輸送が盛んになると到着時間が読めない事が通運業者に敬遠される様になり操車場継走は廃止されるのでした 各地の組立駅も其の煽りを喰らい廃止されました

yyoshikawaさん
詳細な解説ありがとうございます。
古い貨物駅がどんどん近代化される中で飯田町駅は長いこと昔ながらの姿を維持し続けたような気がします。

f54560zgさん、みなさん、今年もよろしくお願い申し上げます。

貴重な配線図を公開していただきましてありがとうございます。NZさんにも感謝申し上げます。

また中央線シリーズでは随所に私のHPへのリンクを張っていただきまして恐縮です。

運転用の線路図ではなかなかわからない貨車仕訳線などの線路の使用方がわかり興味津々で拝見しました。

考えてみると中央本線では「貨車操車場」が設置されなかったのですね。主要駅に操車場の機能が近年まで残っていたことがわかる貴重な資料だと思いました。

KASAさん、今年もよろしくお願いします。
線路の使用方、「〇〇以遠行」とかの具体的な意味がまだよくわかっていません(汗)。

貨物列車の仕立てには発駅から近い駅行き貨車と次の組立駅より先に送る貨車を列車として組み立てる折に編成後部に次の組立駅以遠行き貨車を組み上げ其前に途中で切り離す貨車を組み付けて列車を仕立て送り出すのです
通常東京付近では新鶴見田端大宮等のハンプ操車場に貨車を集結して列車を仕立てて貨車を各地へ送りだしてますが ハンプ操車場のサブ的操車機能をもたせた組立駅を各所に配置ハンプ操車場の補助をしていましたが何故か中央本線だけはハンプ操車場は設けられませんでした輸送単位の低さと勾配区間の牽引重量の制限からでしょうか
同じ事が四国管内でも言えます やはり日本東西と南北を結んでいた東海道山陽本線東北本線裏縦貫線と比較すると其差は歴然としていたのでしょう

yyoshikawaさん
解説ありがとうございます。連結順序にはかなり注意が必要だったのでしょうね。
途中駅で間違えて違う貨車を切り離してしまった・・・・、などということもあったりして?

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 中央東線配線図(1971年3月) その7(甲府~小淵沢) | トップページ | 野辺山 2017/8/18 »

過去の記事

2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ