« 仙台配線図 | トップページ | 仙台 2007/9/24 その2 »

2019年11月19日 (火)

仙台 2007/9/24 その1

2007年9月の仙台駅のその1です。
今回は青森方の様子です。

こちらの記事も合わせてご覧ください。
仙台配線図
仙台 1978/10/7

012007092402
・下り本線と中1番線の青森方です。それにしても下り本線の安全側線は急カーブ・・・。

022007092404
・中1番線です。昔は中2番線が貫通していました。

032007092417
・上り本線と上り1番線です。

042007092436
・仙山下り本線と仙山上り本線です。

052007092433
・仙山上り本線と上り4番線です。

062007092435
・ズラリと並ぶ出発信号機です。

112007092408
・東京方を望みます。中3番線です。

122007092409
・中3番線と上り本線です。

132007092422
・仙山下り本線と仙山上り本線です。

142007092439
・仙山上り本線と上り4番線です。上り4番線以外は撤去されてしまいました。

2119781007a03
・これはオマケ。1978年10月7日撮影です。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 仙台配線図 | トップページ | 仙台 2007/9/24 その2 »

コメント

上野〜仙台間は、寝台列車を急行運転すると、早く着いてしまうので、「北星」の仙台回転車や、「新星」は、仙台出発時刻や仙台到着時刻の1〜2時間前後も寝台が使えるというサービスをしていました。当該の車両を、ホームに止めていたわけですよね。
しかし、仙台駅のホームは、思ったより少ないのですが、1〜2時間もホームを塞いでしまって大丈夫だったのでしょうか?(大丈夫だからやってたわけですが)
北星の仙台回転車は、分割後か、併結前に、他のホームに移動させていたのではないかと推測されます。

このあたりの事情に詳しい方、ご教示いただければ幸いです。

仙台駅構内での運転事情には詳しくないのですが…
記事「仙台配線図」で紹介された1958年6月現在の配線図で、下り1番線の仕様方が「増結廻転車、寝台車」と記載されていますね。しかし後には廃止されていますから、その後はどこかの旅客用着発線を“占有”するようになったとしか考えられませんけど。

寝台車での就寝時間を確保するため“運転時間外”にホームに据え付けて客扱いすることは、仙台駅では意外に古くから行なわれています。

時刻表復刻版1954(昭和29)年10月号を見ると、青森発常磐線経由上野行きの2本の優等列車に、仙台増結の2等寝台車(ロネ)が21時乗車開始との注記があります。
実際の仙台発車時刻は、準急210列車が23:28、急行1202列車に至ってはなんと3:11というとんでもない時間帯でした。
翌1955(昭和30)年8月号では、1202列車の対となる下り1201列車(仙台着1:45)にも、切り落としのロネ車が7時まで利用可との注記があります。
この急行1201-1202列車というのは元・連合軍専用列車ですから、こうした措置はもしかしたら仙台に駐留基地を持っていた連合軍の指示で始められたのかもしれませんね。

そもそも寝台車が変な時間帯に発着していた背景には、仙台の地理的条件が見逃せません。
日本の北の大動脈である上野-青森間のほぼ中間に位置し、いずれのターミナルからもやや中途半端な距離にあるため、東北随一の大都市でありながら、夜行列車の時刻設定において無理を強いられる宿命を背負っていたのです。
昔の時刻表を眺めれば一目瞭然で、夜中の2時だろうが3時だろうが、北海道連絡を第一の使命とする夜行列車がひっきりなしに通り過ぎます。
東北新幹線の建設工事で仙台駅が夜間使用できなくなった時、夜行の旅客列車がみな宮城野貨物線を迂回運転し、仙台の代わりに長町に停車して、長町-仙台間に連絡バスが運行されていました。

振り返って現在、かつて“早寝寝台車”が用意されていた時刻に新幹線に飛び乗れば東京へ日着できます。
仙台駅の良き伝統も、歴史の波間に忘れ去られようとしています。

NZさん、クモイ103さん
仙台駅ではなかなか「粋な計らい」が行われていたんですね。
東京との位置関係だけですと仙台以外にも同じような都市がありそうです。ご指摘の通り連合軍も関係しているのかも。

仙台-上野間の寝台車ではありませんが、東北線経由の夜行急行「八甲田」には仙台-青森の増結車2両がありました。蒸気機関車末期には、会社終業後直ちに上野から特急「ひばり」に乗車し、仙台でこの増結車に乗ったことが何度かあります。上野から「八甲田」に乗りたかったのですが、発車間際では座ることができず、自分で考えた裏技です。もっとも特急も立ちんぼでしたが、若かった頃の良き思い出です。

SYKさん
「八甲田」も仙台で寝台車を増解結していましたね。
私は中学生の頃までなので、当時を経験されている方からのコメントに感謝いたします。
この列車の運転時間帯は、北半分の仙台-青森間が“本当の”夜行で、南半分の上野-仙台間は、下りは最終、上りは朝一番の昼行急行という性格を兼ね備えていました。
そのため長らく仙台-青森間の増結車が設定され、1977年9月まではハネも含まれていました。
下りの仙台発は0時過ぎだったので、仙台駅のことですから“早寝”の扱いをしていたかもしれませんが、今改めて当時の時刻表を探してもそういった記述は見出せませんでした。
「新星」には注記があるので、「八甲田」の増結車でも行われていた様に私は思い込んでいたのですが、勘違いだったかもしれません。

ちなみに国鉄末期の1985(昭和60)年3月改正で、廃止される常磐線経由「十和田」のスジに振り替えられて時間帯が大幅にシフトし、だいたい宇都宮-盛岡間が夜行と言える時間帯に変わりました。
実質的には「八甲田」が廃止で「十和田」が東北本線経由に変更されたようなものでした。

SYKさん、クモイ103さん
東北線の夜行急行、懐かしいですね。寝台列車は不可でしたが、座席車連結の列車は周遊券使用時によく利用しました。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 仙台配線図 | トップページ | 仙台 2007/9/24 その2 »

過去の記事

2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ