塩釜線の変遷
最初にお知らせです。
ブログの調子が今一つで、皆様からいただいたコメントがすぐには反映されない状態が続いています。
ある程度時間が経つと表示されるようですので、「あれ?失敗したかな?」と思って再度投稿するとそのうちダブって表示されます。
おそらくは間違いなく受け付けられていると思いますので、しばらく様子を見るようにしてください。
ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします。
それでは本題です。
陸前山王駅から分岐していた塩釜線は地味ながら歴史ある路線であり、またこのあたりには若干複雑な経緯がありますので、この辺りを整理してみました。情報源はWikipediaと停車場変遷大事典です。
まずは1887年12月時点。
・1987年12月に日本鉄道が郡山駅~塩竃駅間を開通させました。
・この時点では岩切駅も陸前山王駅も設けられていません。
続いて1890年4月時点。
・日本鉄道は北に向かって線路を延伸させ、1890年4月に一ノ関駅まで延長開業しました。
・これより前の1888年10月に岩切駅が開業しており、一ノ関駅へ向かう線路は岩切駅で分岐する形態となっています。
続いて1927年4月時点。
・1894年1月に利府駅が開業しました。
・1906年11月に日本鉄道は国有化されました。
・1909年10月に線路名称が制定され、これらの路線は東北本線及び塩竃線と名づけられました。
・1927年4月、部分開業の末に宮城電気鉄道が塩竃地区を通過して松島公園まで達しました。
・西塩竃駅付近では塩竃線と宮城電気鉄道線が並走しています。
・また宮城電気鉄道では、西塩釜駅・本塩釜駅・東塩釜駅と、鉄道省の「竃」ではなく「釜」を駅名に使用していますね。
続いて1944年11月時点。
・1933年8月に多賀城前駅が開業しました。
・1933年9月に塩竃駅~塩竃港駅間の貨物線が開業しました。
・1944年5月に宮城電気鉄道が買収されました。同時に西塩釜駅・本塩釜駅・東塩釜駅は鉄道総局に合わせて西塩竃駅・本塩竃駅・東塩竃駅に変更されました。
・また同時に、多賀城前駅は陸前山王駅に改称されました。
・1944年11月、陸前山王~品井沼間の通称海線が開業しました。停車場変遷大事典では「運輸営業を開始す」とだけ記されていて書類上は特に貨物営業専用ではなさそうですが、実際にはWikipediaにあるように「当初は貨物営業のみ」となっていたようです。その後どのようなステップを踏んで海線がメインルートになっていったのかという点に興味が湧きますね。
続いて1962年7月時点。
・1956年6月、塩竃港駅が塩釜埠頭駅に改称されました。名称変更はこの後に海線上に塩釜駅を新設するための前準備と思われますが、国鉄で初めて「釜」の字が使われました。
・1956年7月、海線上に塩釜駅が設けられ、塩竃線の塩竃駅は塩釜港駅に改称されました。同時に塩竃線は塩釜線に改称の上旅客営業が廃止されました。この時点では仙石線の方ではまだ「竃」の字が使用されています。
・1962年4月に山線の松島駅~品井沼駅間、1962年7月に利府駅~松島駅間が廃止され、岩切駅~利府駅間が盲腸線になりました。
・海線上には1956年7月に新松島駅が設けられていましたが、1962年7月に松島駅に改称されました。
続いて1965年10月時点。
・1963年5月に仙石線の西塩竃駅・本塩竃駅・東塩竃駅はそれぞれ西塩釜駅・本塩釜駅・東塩釜駅に改称されました。これでようやく「釜」で統一されましたね。
・1965年10月に塩釜港~塩釜魚市場間の貨物線が開業しました。
続いて1978年12月時点。
・1978年12月、開業して間もない塩釜港~塩釜魚市場間の貨物線が廃止されてしまいました。
続いて1981年11月時点。
・1981年11月に仙石線の本塩釜駅付近が高架化されましたが、この際に旧塩釜魚市場貨物線の跡地にルートが変更されています。
最後に1997年4月時点。
・1986年10月に塩釜港駅が廃止され、1990年4月には塩釜埠頭駅が旧塩釜港駅付近に移転しました。このあたりは書類上の扱いであって、実態は少し違っているのかもしれません。
・塩釜線は1994年4月からの休止を経て1997年4月に110年の歴史にピリオドを打ちました。
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f54560zgさん、こんばんは。ご無沙汰しております。東の方は土地勘がなく、コメントできずにおりました。
ココログのコメントが反映されない問題は3月のリニューアル時から発生していますが、一向に改善されませんね。E10さんや小生のところでも起きています。
別のデバイス(PC、iPad、ノート、携帯等使い分け)で見るとコメントが確認できておりますので、どうもトラフィックを減らす細工がしてあるようにも思うのです。皆さまお試しください。
さて、記事が東北本線を北上しますと盛岡管内に入りますね。小生の所に盛岡局昭和52年4月の『管内停車場配線略図』があるのですが、良ければお使いいただければ、と思います。
投稿: 3RT生 | 2019年11月 8日 (金) 22時14分
随分昔ですが夏の家族旅行で松島へ行った折仙台より仙石線に乗車(当時未だ17m国電全盛時代の頃)本塩釜で下車水族館見学後松島湾観光船乗船した所船中から塩釜港線を走行中のC11かC12牽引の貨物列車を見ました蒸気機関車ですので当然ながら派手に煙を噴き上げて臨港線を走行してるのを見物していました途中には埠頭と埠頭間の運河を渡る姿も記憶に有ります
投稿: yyoshikawa | 2019年11月 9日 (土) 14時57分
f54560zgさん、こんばんは。興味深い塩釜線の歴史に関する記事をありがとうございます。
鉄道雑誌に掲載されていた仙石線と塩釜線が接近する界隈の写真を見て以来、興味を持っておりました。
1990年代まで残っていたというのは驚きでした。
3RT生さんの昭和52年4月の配線略図も拝見できるのでしょうか?楽しみにしております。
投稿: KASA | 2019年11月10日 (日) 01時24分
3RT生さん、少々寂しい日々を送っていました。
>盛岡局管内停車場配線略図
別途ご連絡させていただきますね。
yyoshikawaさん、KASAさん
塩釜線、訪問したかったです(涙)。
投稿: f54560zg | 2019年11月10日 (日) 20時33分