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2019年11月30日 (土)

沼垂 2019/4/12

2019年4月の旧沼垂駅の様子です。開業時は新潟市の代表駅だったところですね。

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・上沼垂側からアプローチします。県道3号線の道路橋の真下から上沼垂方を望みます。正面に新幹線の高架橋が見えます。
・書類上の廃止からは9年が経っていますが、列車が走らなくなったのはそれよりもさらに前のことだと思います。それでも今なお線路が残されています。

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・振り返ります。こちら側は架線柱も残っています。
・入換線の車止めがあり、この辺りから駅構内が広がっていたようです。

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・その先の踏切跡に移動します。上沼垂方です。正面が先ほどの県道3号線の道路橋です。

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・振り返ります。

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・今立っているあたりにはかつて入換動車庫があったようですが・・・。

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・さらにその先の踏切跡に移動します。この踏切は工場専用だったようですね。

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・上沼垂方です。

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・振り返ります。この辺りは架線も、さらには入換標識も残っています。すぐにでも復活できそうです。

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・この辺りが末期の終端付近だったところでしょうか。

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・全盛期はこの辺りにも線路がいっぱいあったのではないかと思うのですが・・・。

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・一方で、未だにこんなものや、

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・こんなものが残っています。

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コメント

沼垂駅の近くに実家のある者です。新潟(タ)駅ができるまでは、人も貨車もたくさんいて、貨物駅らしく昼夜を問わず賑やかな駅でした。この駅の先には新潟港があり、その昔は専用線が延びていました。船と汽車の汽笛の聞こえる町でした。2枚目の写真、車止めのある右側の線路は引出線で、DD13やDE10・15などの機関車がここまで引き出してきて、突放をしていました。
4枚目の写真の位置には1種踏切がありました。前方左側に踏切柵がありますが、ここには4種踏切があり、中学へ通うときには毎日使っていました。5枚目の写真のところには確かに日本石油の青いスイッチャーの車庫がありました。日石のタンクはこのスイッチャーが入換えをしていました。
6枚目の写真は日本石油新潟製油所の入り口でした。写真の右側に鉄道員さんの詰所があり、小学生のころ、ここで入換え作業をよく見ていました。突放をするDD13の爆音は迫力がありました。DE10・15になってからは、やや甲高い排気音に代わり、バックタービン音(当時は過給など知る由もありませんでしたが…)も格好よく感じました。突放される貨車で足踏みのブレーキ操作をする鉄道員さんも格好良かったですね。たまに最後は手で押していることもあったりしましたが…。
子どものころを懐かしく思い出しました。ありがとうございます。長文で失礼しました。

nezugaseki_kappaさん
私は現役時代に沼垂駅を訪問することができず、大変残念に思っています。上沼垂駅までは行ったのですが、車があるわけでもなく、歩いての貨物駅訪問はハードルが高かったです(よくよく調べればバスなどもあったのでしょうが(汗))。貴重なお話をありがとうございます。

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