上野 2012/3/31 その1
2012年3月、上野東京ラインが開通する3年前の上野駅の様子のその1です。
今回は両大師橋からの眺めです。
こちらの記事も合わせてご覧ください。
・1975 上野
・上野配線図 1967/3
・上野配線図
・上野配線図 追加
・両大師橋の西側です。
・左から京浜北行、山手内回り、中線、山手外回り、京浜南行・・・です。
・この中線、来たる11月16日には活躍しそうですね。
・両大師橋を東側に移動していきます。
・5~7番線あたりです。
・11・12番線あたりです。シーサスのクロッシング部分は可動です。
・留置線は3線です。右側2線はあまり使われていないような・・・。
・線路はいっぱいあるのですが、一部は横取装置になってしまっています。
・かつては山手外回り電車や京浜南行電車が直接5番線に進入できるようになっていたのですが、その線路はなくなってしまいましたね。
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上野東京ラインと常磐線との平面交差が障害になっていますが、この両大師橋と鶯谷の道路橋の間に立体交差はできなかったのでしょうか。
スペース的には33‰で取付可能です。そうすれば常磐線の全列車の品川乗り入れが実現したと思います。上野・東京は2線発着が可能なので2分ヘッドも可能です。(ただし新橋はラッシュ帯の全列車通過が前提になります)
投稿: C6217 | 2019年10月 4日 (金) 05時17分
複雑分岐嫌いのJR東日本でも流石に上野駅は用地の関係で今だにダブルスリップ・シングルスリップ・ダブルクロスのオンパレード 嘗ては品川駅南側や新宿駅の北側もダブルスリップ・ダブルクロスオンパレードで美しい配線であったが片分岐とダブルクロスの組み合わせに配線変更して面白味に欠ける配線に変わった ダブルスリップダブルクロスの組み合わせでは列車はスムースに通過する乗客も動揺が少ない美しいが片分岐とダブルクロスの組み合わせでは列車はギクシャクしながら通過する乗客は右に左に揺すられる美しくないのだと思うのは私だけでしょうか
投稿: yyoshikawa | 2019年10月 4日 (金) 15時20分
C6217さん、yyoshikawaさん
上野駅の配線変更はなかなか容易ではなさそうですよね。
投稿: f54560zg | 2019年10月 4日 (金) 20時43分
上野駅の配線複雑ですね。
新幹線開業前はこんな多種多様な列車が配線とともに賑わしていたのでしょうね。想像するだけでワクワクしますね。
それで私が上野駅で興味を持っているのは、山手線、京浜東北線の電車線寄りの方です。東北、常磐ももちろん複雑ですが、列車線と分離されて運転している電車線の部分も複雑な配線になっていますね。
私が興味があるものとしては
①中線から5番線にかけての渡り線。中線から3本もの線路を横断し5番線に入る列車がどのようなものかや渡り部分が全て、ダブルやシングルになっていて、直接5番線に入ることを重要視しているような配線です。
②京浜東北線南行と東北下りの間の側線。南行と東北5番線から下りの本線との間に側線があります。1972年の配線図でいうと225Lの入換信号がある部分です。この部分の線路は過去はどのような用途があったのかなど興味深いです。実際車窓から見ると今では保守用車の留置に使われているようですが、過去は電車や機関車が停止していたこともあるのかなと思いました。
また今後、配線もさらに変わることもあるのかなど興味はつきないですね。
投稿: ASAMA189 | 2019年10月 5日 (土) 16時09分
上野駅五番線から電車線折り返し中線への渡り線は嘗て常磐線各停用車輛(旧形国電)を大井工場(現東京総合車輛所)へ定期入場の際利用したり(田端操車場経由で回送すると方向がひっくり返ってしまう為)配給電車の転線用にも使用していた為渡り線が必要でした
投稿: yyoshikawa | 2019年10月 6日 (日) 08時57分
ASAMA189 さん
①の山手中線と5番線を結ぶ渡り線を“全線走破”したケースは存じませんが、“一部区間”としては、昭和50年代まで大井工場を起点に首都圏の電車区を巡回していた品川区の配給電車が、浦和区の次に松戸区へ向かう際、上野駅5番線で折り返していた様です。
“全線走破”は、人知れず運転される入出場などの回送列車が通ってもおかしくないですね。
投稿: クモイ103 | 2019年10月 6日 (日) 10時02分
私のコメントの前に yyoshikawa さんが書かれているのに気付かず、無視した形のコメントをしてしまい失礼しました。
前回閲覧時の状態が残っていたのでしょうか、先ほど開いた時も yyoshikawa さんのコメントは表示されなかったので上記のコメントをしたのですが、その後改めて開くと yyoshikawa さんのコメントがあってびっくりした次第です。
投稿: クモイ103 | 2019年10月 6日 (日) 10時09分
ASAMA189さん
①については
yyoshikawaやクモイ103さんのコメントの通りかと思います。
②については、私もよくわからないのですが、不思議に思っています。1969年の配線図を見ると、この部分にだけ入信221Lと222R(他は入標)が対でと設けられていますので①の回送や配給列車と関係があるのかもしれません。いずれにせよ本線ではないですよね。
クモイ103さん
コメントを投稿いただいてもすぐに反映されない場合が多く、ご迷惑おかけしています(汗)。お気になさらずにドンドンお送りください。
投稿: f54560zg | 2019年10月 6日 (日) 19時50分
コメント下さった皆様、ありがとうございます。
①の渡り線については、回送、配給などで使用されたことがわかったのでよかったです。
②の南行と5番線との間にある側線については、やはり本線ではなく使用方も不明ですね。
私が興味を持ったのは現在、南行と5番線からの本線は上野駅ホーム部分では隣接していますが、東北線がいったんこの側線を挟んだのちにまた南行線と隣接すること。本線との合流部で、この側線の方が背行の直線で本線とつながっており、5番線から9番線までの東北、高崎線の出発は全ての列車が一線分シフトするためにスピードを上げず、分岐の曲線側を通ることになってます。
単純に直線側が本線だと考えがちなので、この配線は奇妙に思いました。
ただ提示していただいた1951年の配線を見ると、その後に電車線の複々線が行われ、本来直線であった電車線と列車線の隣接がそれによって移動し、配線が変わり、不規則な形状になったのではないかと思いました。
投稿: ASAMA189 | 2019年10月 7日 (月) 00時16分
思いつきで質問なのですが、新幹線リレー号が大宮〜上野間で運転される前に、185系が下十条電車区にハンドル訓練で入線したことがあるそうですが、京浜東北線に入るのに、この5番線からの渡り線を通ったと考えられますでしょうか?
投稿: ASAMA189 | 2019年10月 7日 (月) 01時02分
ASAMA189さん、 f54560zgさん、みなさん、こんばんは。横からお邪魔します。
雑誌「国鉄時代 2019-5月号 vol.57」の50ページに、「京浜東北線を走った「つばさ」」(写真・文:渡邉健志)という記事があり、昭和50年当時、上野~郡山間のハンドルも担当していた下十条電車区へ、現車訓練用に485系1000番台を回送するため、上野駅の件の5番線からの渡り線のルートが使用された旨が記載されています。
ですので、新幹線リレー号用の185系も5番線ルートを通った可能性があるのではと思いました。ATCはどうしたのか興味深いですね。
ちなみに、前述の「つばさ」では、可搬式ATS-B型の機器が取り付けられて京浜東北線の線路を走行したようです。
この雑誌記事には、「つばさ」のヘッドマークを掲げた485系1000番台7両編成が京浜東北・南行線を走行する姿を西日暮里駅で撮影した写真も掲載されています。
投稿: KASA | 2019年10月 7日 (月) 23時02分
ASAMA189さん、 f54560zgさん、みなさん、こんばんは。横から連投でお邪魔します。
京浜東北線南行と東北下りの間の側線ですが、鉄道ピクトリアルのターミナルシリーズ上野駅特集号にでてている昭和53年の配線略図をみると、この側線上の東京よりに、「UWT」という名称の軌道回路があります。
そして、もちろん、これだけではどのような使用がされていたかはっきりとはしないのですが、昭和46年と昭和50年の東京北局の運規をみますと、構内運転区間として、
高架UWT 221L入信→4番線27L入信→4番線車両停止標識
5番線222R入信→中線
と指定されていました。
「UWT」に入るルートは構内運転区間に指定されていないので不思議なのですが(汗)。
ところで、5番線の入換信号機222Rは、東京方から15両編成の列車(または車両)が入線してくると、この前で一旦停止して、そのあとは、誘導で所定の停止位置まで移動したようですね。
「この電車は、いったん停まりますが、すぐに所定の乗車位置まで動きますから、そのままの位置でお待ちください」とのアナウンスがホームに流れたことが鉄道ファンの上野駅特集号に書かれています。
5番線は現在は上野東京ラインの北行の主本線のようですから、隔世の感がありますね。
投稿: KASA | 2019年10月 8日 (火) 00時13分
KASA さん
下十条区へ入った185系200番台の写真を撮っていたので改めて確認しましたが、先頭部に可搬式の車警のようなものは見当たりませんでした。
もちろん運転時だけ取り付けられたのかもしれませんが、もう一つの可能性として、クモヤ143に先導してもらったのかもしれません。
なお上野以外で185系が京浜東北線へ入線できるルートとしては、
①大宮駅3番線の上り方にある京浜東北への渡り線(そもそも存在目的がわからないのですが…)で入って来た。
②大井工場から大崎駅の山手電車線へ入り、田町または田端で京浜東北へ渡った。
あたりが思いつきます。
ただし①については、進路が設定されていたのかわかりませんし、また時代によっては東北上り線→京浜東北北行線は渡れてもその先に京浜東北南行線への渡り線が無く、物理的に進入不可能だった時があり、1982年2月の状況は覚えていません。
185系200番台の配置が新前橋だったことを考えると、やはり上野駅5番線から入るのが最も自然に思われます。
その5番線に流れた案内放送「この電車は、いったん停まりますが、すぐに所定の乗車位置まで動きますから、そのままの位置でお待ちください」は、私もよく聞いていたことを思い出します。
投稿: クモイ103 | 2019年10月 8日 (火) 20時33分
ASAMA189さん、KASAさん
>本線が分岐の曲線側
確かに図面からはそのように読み取れるのですが、このあたりは左へのカーブとなっていますので実際には本線が直線側ではないかと思います。現在では分岐器も撤去されてしまっていますが。
>下十条電車区
鉄ピク誌1975年9月号の表紙は「あさま銀嶺」のヘッドサインを掲げた登場間もない189系。撮影場所は下十条電車区でした。「なんで下十条?」と思っていたのですが、約45年経ってようやくその謎が解けたように思います(汗)。どこを通って搬入されたかは書いてありませんでしたが、先頭の密連付近には、通常は存在しない、何やら私にはわからないナゾの機器が取り付けられています。
>いったん停まりますが
おもしろい取り扱いですね。出発信号機の手前に分岐器があること自体が変わっていますよね。
投稿: f54560zg | 2019年10月 9日 (水) 20時18分
みなさん回答ありがとうございます。下十条区への185、や485はやはり5番線からの渡り線を通ったというのが、可能性が高いですね。
それにしても、この渡り線は電車線を平面で大胆に横切っているところが、強引だし、憎らしいですね。(笑)
投稿: ASAMA189 | 2019年10月10日 (木) 22時22分
みなさん、こんばんは。
>クモイ103さん
返信ありがとうございます。
185系200番台のの当時の状況につき教えていただきましてありがとうございます。
185系に関しては、たしか、「はまかいじ」運転の初期のころも、ATC設備について話題になっていたような記憶があります・・・(汗)。
大宮駅の3番線から京浜東北線への渡り線は、少なくとも現在は、出発信号機に「自」の標識がありますので、ATCを設備していない工事臨時列車が入線するときに使われているのではないでしょうか。
国鉄時代は配給電車とかも利用したのでしょうかね。気になるところです。
京浜東北線・根岸線との渡り線や連絡線は、上野、品川がなくなって、現在では、大宮、田端(保線用?要入換)、川崎(保線用?要入換)、桜木町、大船(東海道貨物線と横須賀線へ2か所)でしょうか。
投稿: KASA | 2019年10月14日 (月) 22時53分
ASAMA189 | 2019年10月 7日のコメントに下十条電車区の乗務のことがありました。
東北・高崎方面に乗務する運転士は上野派出にいました。現車訓練を行う場合、上野に場所がないため組織上の本区である下十条電車区に入線したものと思います。
上野派出の運転士は尾久と田端の機関区からの転換者がほとんどでした。今まで機関車が牽いていた列車が電車化されたからです。
運転士基地は上野に置かれましたが、電車担当なので最寄りの下十条電車区の所属となりました。特急は郡山まで乗務しています。
のちに所属が変わり、田端機関区上野派出と名を変えました。機関車と電車のシマ争いだと噂が流れています。
投稿: | 2019年10月15日 (火) 13時18分
またポカです。上はC6217です。
投稿: C6217 | 2019年10月15日 (火) 13時19分
KASA さん
大宮駅3番線上り方にある京浜東北線への渡り線について、コメントありがとうございます。
ご指摘の通り「・大宮 2011/12/11 その1」の写真3枚目に「自」のついた低柱の信号機が写っていますね。
工事列車用の渡り線ということで、納得しました。
なお、国鉄時代の配給電車はこの渡り線は通っていなかったと思います。
というのは、同じ大井工場のカバー範囲でも、「国電区間」にある浦和電車区などと、遠方の「列車区間」にある小山電車区などでは配給電車の運用が分かれていたためで、例えば小山区と浦和区との間を直接行き来するような運転は行われなかった筈です。
配給電車の編成と言えば「クモル+クル」がまずイメージされますが、遠方へ行く運用には「クモル+クモル」または「クモル+クモニ13」の2M編成がもっぱら充当され、それだけ別扱いであることが見た目にも分かりました。
私も1979年7月の同じ日に新大久保駅で、電車外回り線を行く「クル29+クモル24」と、貨物下り線を行く「クモル24+クモニ13」を写しています。おそらく前者は近場の池袋電車区へ、後者は小山または新前橋電車区へ向かうところだったのでしょう。
話が逸れてきたのでこのへんにします…(汗)
投稿: クモイ103 | 2019年10月16日 (水) 20時53分
クモイ103様
確かに配給電車の運行では電車線ではクモル+クル(奇数方向)クル+クモル(偶数方向)編成汽車線では貨物線ではクモル+クモル クモル+クモニ(奇数方向)クモニ+クモル(偶数方向)編成 因みに配給列車に連結されるクモニは木造車鋼体化のクモニ13050番台が主でした 時々配給電車には真ん中若しくは片側に工場入出場車を連結してる時も有りました 旧形国電は一車輛毎に工場入場時期が違ってたので回送列車を仕立てるより配給電車に連結して工場へ送り込まれていたのです
配給電車折り返し用中線は品川 恵比寿 新宿 巣鴨 飯田橋 等に有りました 何れも有効長の短い中線でした
投稿: yyoshikawa | 2019年10月17日 (木) 13時15分
クモイ103さん、こんばんは。
配給電車の編成と運用についてご教示ありがとうございます。
配給電車の運用については私自身いままであまり意識していなかったので、雑誌記事などいまいちど読み直してみます。
投稿: KASA | 2019年10月19日 (土) 20時42分
皆様
ご存知かもしれませんが鉄ピク2018年9月号は配給電車特集です。いろいろな記事が掲載されていますね。
投稿: f54560zg | 2019年10月20日 (日) 16時33分
f54560zg さん
> 鉄ピク2018年9月号
そうでした、最近どこかで読んだような?と思いながら確認もせず、勢いに任せて記憶だけで書きなぐってしまいました。
運用などもちゃんと載っていましたね。
失礼しました。
投稿: クモイ103 | 2019年10月20日 (日) 20時47分
f54560zg さん
>鉄ピク2018年9月号
失念しておりました。ありがとうございます。
投稿: KASA | 2019年10月21日 (月) 00時47分