戸塚配線図
流れに従って戸塚駅です。
最初は1935年3月。
・保土谷駅と違って貨物副本線は主本線の外側に各1線が配置されています。
・貨物下り1番線と旅客上り本線に挟まれた下り2・3番線がちょっと変わっているような気がします。
続いて1951年8月。
・下り旅客線の神戸寄りに「進駐軍倉庫」なる怪しげな側線群が出現しました。お詳しい方がいらっしゃいましたら解説お願いしたいですね(汗)。
続いて1957年3月。
・進駐軍倉庫線は描かれていませんが、廃止されたのか、それとも単に省略されているだけなのかはよくわかりません。
続いて1961年3月。
・この時点では倉庫線はなくなったようですね。
続いて1977年10月。
・大きく変わりましたが、これは次のステップへのサナギ段階かと思われます。
・貨物扱いが廃止されて側線群が撤去され、棒線駅状態になりました。
・旅客ホームが島式から対向式になっていますが、これはSM分離工事がすでに始まっている証ではないかと思います。
最後に1986年3月。
・最終形態ですね。東海道線電車が戸塚駅に停車するようになっています。
・新貨物線が開通して戸塚駅付近は3複線になりました。また旧貨物線は横須賀線に転用されたわけですが、単純に入れ替えられただけではなく立体交差も設けられてホーム付近は方向別になり、乗客にとっても列車にとっても東海道線←→横須賀線の相互の移動に配慮された配線になっています。
配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
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戸塚の駅は複々線化の折旅客駅と貨物駅が少しずれて設けられました 渋谷や新宿と同様ですが理由は不明です 戦後進駐軍倉庫引き込み線が旅客線の東側(海側)に設けられ旅客線を横断する事になり当時でも過密ダイヤであった東海道旅客本線の合間を縫って入れ替えをしていたのでしょう 確かDD12が入れ替えに使われていたのでは 進駐軍引き込み線引き上げ線跡は後に保線横取り側線に再利用されてました 貨物駅廃止後の現在でも跡地は少しだけ残ってます保線小屋の辺りです
三複線化の折東海道本線と横須賀線を駅の前後で一線ずつ立体交差させ駅構内を方向別複々線にして乗り換え客の利便に即した状態にしたのは当時では随分思いきった処置でした 唯方向別にして両線をダブルクロスで相互乗り入れにも即した状態にしたが上り線のダブルクロスを何故駅の横浜寄りに設けなかったのか疑問です東海道本線上り列車と横須賀線上り列車が同時進入し尚且つ相互乗り入れ時にも同時進入できるのに駅の手前では支障してしまうのではと思いますが如何でしょう
投稿: yyoshikawa | 2019年9月 8日 (日) 19時02分
戸塚駅の東京方に貨物施設があったことは知っていましたが、実際の配線を見たのははじめてです。上下ともに副本線を配していますが、ど真ん中に矢部踏切が通っており、はたしてここで列車退避が行われたのかな?という気がします。いずれにせよ、これらのスペースが三複線化時に横須賀下り線が旅客上下線を乗り越える立体交差建設に生かされたことは間違いないでしょう。
神戸方の「進駐軍倉庫」線はおそらく現在の横浜市戸塚スポーツセンター、戸塚県税事務所のある一帯だと思います。あの一帯、1980年頃は広大な空き地でしたから。
旅客上り/横須賀上り線間のダブルクロスが東京方にできなかったのは、駅の東京方には東海道踏切があり、また線路がカント付きでカーヴしているので設置できなかったのでしょう。もっとも、もっと先の旧貨物駅付近の直線部に設ければよかったと言うこともできますが。
1961年10月ダイヤ改正(こだま型電車特急増発)時にすでにニュース映画で「開かずの踏切」として紹介された東海道踏切(通称「戸塚大踏切」)も2015年3月になくなってしまいました。
投稿: Sommerreise | 2019年9月 8日 (日) 20時04分
21,24のイロは殆ど現在は使ってませんね。
上りは横須賀から東海道に転じる列車自体今はホリデータイプしかないこと、
下りも東海道から横須賀も多分そうでしょう。
同時進入はどちらも考慮されいますが・・・
接続に関してはその時の車掌次第の駅であります。
下り同士は、何せ次の大船はやたら離れすぎていることから、ここで乗り換える客がおおいです。
戸塚に関してはSM分離以前の記憶がないです。
東海道線はSM分離以降の停車で、
アクティーについては湘新以降。
地下鉄延伸で大変貌をさらに遂げた駅でした。
大踏切の記憶はありまして、
神奈中のバスは戸塚駅行きで、「大踏切」の札を掲げているのは、踏切横のターミナルでした。
投稿: ゆかわあきら | 2019年9月 8日 (日) 21時17分
上りのホーム手前のダブルクロスは大歓迎です。ダイヤが乱れてどういう振り替えがあっても乗り場と行く先が変わることがありません。
同時進入の場合は支障しますが事故防止と乗客案内のどちらを優先すべきでしょうか。
最近の東京で面食らったのは赤羽の下りで宇都宮方面と高崎方面の乗り場がバラバラなこと。旅客線と貨物線を宇都宮・高崎と分類すべきだと憤慨しました。田端~赤羽の駅間に渡り線を設ければ可能です。
投稿: C6217 | 2019年9月 8日 (日) 22時23分
Sommerreise様
思い出しましたワンマン首相であった吉田茂氏が大磯の指定より永田町へ行く時戸塚の踏切でちょくちょく足止めされていたので鶴の一声立体交差の道路を作れと 戸塚の東京寄りの道路橋を建設させました完成当時其の道はワンマン道路として有名になりました ワンマン道路の名前は今では話題になりませんが今も戸塚の少し横浜寄りに今も其立体交差は健在です
投稿: yyoshikawa | 2019年9月 9日 (月) 16時42分
f54560zgさん、みなさん、こんばんは。お邪魔します。
貴重な配線図をありがとうございます。保土ヶ谷、戸塚あたり、すでにこちらで取り上げられていたと思い込んでいましたが、まだだったのですね。
1951年の図にある「怪しげな側線群」ですが、PX倉庫の側線だったようです。図面から受ける印象よりもかなり長い側線だったようです。
そういえば、「大船駅配線図」のコメント欄でもPXの話題がでていましたね。この界隈はPX関連施設が多かったのですね。
グーグルで「戸塚 軍用側線」で検索しますと(汗)、最初にでてくる「知られざる連動軍専用客車の全貌」という本でそのことが触れられているようです。グーグルブックスの出版社許可の「立ち読みコーナー」にアクセスでき、当該部分を読むことができます。
投稿: KASA | 2019年9月 9日 (月) 21時55分
書籍名が間違っていました。失礼しました。
正しくは「知られざる連合軍専用客車の全貌」(中村光司著 JTBパブリッシング)でした。
投稿: KASA | 2019年9月 9日 (月) 21時59分
>管理人さん
「2019年3月16日現在」で、
→
横浜までの「NEX=成田エクスプレス」を、
大船まで延長して→「戸塚停車」 です。
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「戸塚駅周辺 の信号系統の変更」は、
「湘南新宿ラインと
横須賀線直通を、振り分けする面」もあります。
(大船駅 は、
東海道線と横須賀線、,ホーム自体が離れており、
戸塚周辺で分ける事 で、ある意味、解消。)
------------------
JR戸塚駅ホーム では、同じホーム での
上り=横浜以遠or千葉 の乗り換え=できる。
下り=大船以遠or逗子 の乗り換え=できる。
(横浜駅or大船駅or品川駅=ホーム間移動、あり。)
--------------------
快速「アクティ」は、
「平日のみ停車=藤沢・茅ヶ崎・平塚=踊り子」を
休日の踊り子は、3駅を通過させる」で の
進化の形 から、始まった もの です。
快速「アクティ」は、
最初は→「戸塚駅、通過」でした が、
地下鉄開通等で 交通利便性が好くなっていき、
途中から→「戸塚停車」に、なりました よ。
-------------------
投稿: | 2019年9月10日 (火) 09時21分
昭和33年以来、通学と通勤でお世話になっている駅です。モハ70系横須賀線しか止まらなかったホーム上で、EF10牽引の下りローカル貨物列車がホームのあたりまで出てきて入れ替えをするのを見た思い出があります。(機関車の運転席窓下に「国」「新」のプレートがあったがその意味がまだ分からなかった鉄道初心者時代)。 その時代から線路の配線も、街の様子もすっかり変わってしまい、吉田茂首相が文句を言った大踏切も、歩行者用こ線橋、自動車用地下道ができて廃止となりました。
戸塚駅のホームは方向別になっており、「五方面作戦」をすべて線路別とした当時の国鉄らしからぬ設計で、とても便利です。ただし東海道線と横須賀線の接続は必ずしも良好と言えず、改善の余地ありです。また湘南新宿ラインから東海道線方面行きの電車が横須賀線ホーム(4番線)から発車する問題も、下り線のダブルクロスをホームの東京寄りに設けておけば解決します。しかしSM分離当時、湘南新宿ラインなど考えも及ばなかったことでしょう。
「進駐軍倉庫」なる怪しげな側線群はPX倉庫の引き込み線で、現在の日立製作所や東戸塚小学校のあたりにありました。(遡ればそこには戸塚競馬場があった。下記文献の最後に記載あり
http://www.bajibunka.jrao.ne.jp/blog/column_20141122.html)
私は戸塚駅の西口(配線図で言えば下側)利用者で、かつ幼少期であったがために東口側まで足を延ばしたことがなく、当時のPX倉庫やその引き込み線をこの目で見てはいませんが、空中写真で横浜市戸塚スポーツセンターの敷地西側が絶妙な円弧を描いているのは引き込み線の痕跡と思われます。
貨物駅の真ん中に矢部踏切があり、待機中の貨物列車が編成を分割し、踏切部分だけあけて停車していたのを見た記憶があります。なお貨物駅跡はバス乗り場と保線の詰所になっており、線路に沿った道路がその部分だけ線路部分から離れています。
写真やメモを残しているわけでなく記憶だけによるコメント失礼いたしました。(汗)
投稿: syk | 2019年9月11日 (水) 20時33分
PX引き込み線は国土地理院空中写真で確認できます。DD12の影も鮮明?です。
また、鉄道史料第89号に大船とともに記事があります。
投稿: harusei | 2019年9月12日 (木) 13時15分
皆様
>進駐軍倉庫線
空中写真で見ると長い、広い専用線ですね。確かにDD12もわかりますね(笑)。
>矢部踏切
そうでしょうね、通行可能にするために編成を分割したんでしょうね。ローカル線の構内踏切でも見かけたことがあります。
>ダブルクロス
一長一短がありますね。場内信号機で待たされるのもイヤですが、乗り間違えもイヤだし。
>方向別
常磐線は最悪でした・・・。
投稿: f54560zg | 2019年9月12日 (木) 20時26分
>ゆかわあきら様
東海道上り→横須賀上りまたは横須賀下り→東海道下りは湘南新宿ラインで常用されていますが、その逆というと武蔵野貨物線に直通する臨時列車が思いつきます。実は一応定期列車でも使用しています。
成田エクスプレス26号30号は横浜駅6番線到着で、回送として発車、東海道線経由で戸塚まで行き、横須賀線に転線して大船まで行きます。また、逆方向では成田エクスプレス25号と37号になる回送が戸塚から東海道線経由で運転し、横浜手前の渡り線で横須賀線に転線して10番線に入線します。
なぜこんなことをしているのかは、錆取りぐらいしか思いつかないのですが、そうやって運転しています。東海道線の回送電車でも横須賀線経由で運転して大船駅7番線から東海道線に転線するものもあります。
投稿: KJ | 2019年9月13日 (金) 01時33分
KJさん
情報ありがとうございます。
このあたり、妙なルートで運転されている列車があるんですね。
投稿: f54560zg | 2019年9月15日 (日) 19時16分
戸塚区ホームページのフォトコレクションというページに、進駐軍倉庫線の1965年当時の写真があります。
投稿: 宮丸トク | 2019年10月22日 (火) 09時09分
宮丸トクさん
情報ありがとうございます。
投稿: f54560zg | 2019年10月22日 (火) 16時40分
>管理人さん
戸塚駅の 構内の配線 は、
現実、
東京駅=基準で 考える と、納得がいきます。
「東海道線から→横須賀線=東京方面」には
大船で時間をかけて乗り換えする よりも
戸塚駅ホームで対面乗り換え のほうが、早い。
&
「総武線千葉方面から→東海道 茅ヶ崎方面」も、
駅の構内配線の都合上、
大船駅より、戸塚駅のほう が、乗り返しやすい。
投稿: | 2020年1月26日 (日) 12時36分
名無しさん
分岐駅よりもその手前で乗り換えた方が便利なケースってありますね。
投稿: f54560zg | 2020年1月26日 (日) 19時23分