高松配線図
t_yosiさんからご提供いただいた四国総局各駅の連動図表のご紹介です。
(一覧表はこちら)
(路線図はこちら)
今回は高松駅で、いよいよ最終回です。
●予讃線 高松駅 1985年8月
わかりづらいので2つに分けます。
・さすがに高松駅ですね、本線は全部で10本あります。図では微妙ですが、中線も本線です。
・本線のうち機回しができるのは旅客の6番線と貨物用の7、8番線の計3本で、他は頭端です。
・予讃線と高徳線の分岐は意外とシンプルですね。
・客車基地が併設されています。高松運転所の派出でしょうか。
・「航送揚げ」「航送積み」と記された線路が連絡船とのやり取りを行う線路でしょうか。宇野駅に比べると整然としている気がします。
細かいところを見ていますと、「あれっ?」と感じる点が2つあります。
一つ目は場内信号機。
高松駅には高徳線に対しては1つの場内信号機だけですが、予讃線に対しては第1~第3の3つの場内信号機が設けられています。
連動表を基にして予讃線列車の進入ルートをイメージ化すると以下のようになります。
・14Rが第1場内で、第2場内10Rにて旅客は第3場内13Rへ、貨物は7、8番線へと振り分けられます。第3場内13Rの進路は2~4、中、5、6番線で、0、1番線には進入できません。
これに対し、高徳線列車の進入ルートは以下のようになります。
・前述の通り場内信号機は1つだけ(9R)で、これにより0~4、中、7、8番線に振り分けられます。5、6番線へのルートは設定されていません。
・問題は中線へのルートで、このルートのみ予讃線の第3場内信号機13Rを通過するんです。連動表を見ても、13RB3が9RB3によって総括制御されるような記載はありませんので、高徳線の列車が中線に進入するときは停止現示している13Rを"冒進"することになるはずです。これってアリ?
もう一つは開通てこ17R。
開通てこは、一般的には出発信号機付近に設けられて過走余裕距離内の転てつ器の開通方向を制御する場合に用いられますが、高松駅の場合は予讃線第3場内信号機13R付近に設けられています。過走防護区間が複数方向あるため、これの切り替えのために方向てこを設けたものと思われます。
まあ、第2場内10R=場内、第3場内13R=出発と見立てれば同じようなものなのかもしれませんが、ちょっと変わっているように思います。
余計なお世話ですが、10Rに警戒信号を現示させるようにすれば作業効率がかなりアップするのではないかと思うのですが・・・。
以上、かなり時間がかかってしまいましたが、2019年2月から半年以上にわたってご紹介させていただきました。
改めてt_yosiさんにお礼申し上げます。
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高松駅は嘗て四国の玄関駅でしたが此れだけの規模の駅ですが以外に機廻し線は駅の一番外れの三番ホーム六番線のみでしたのが意外でした 四国は早い時期にDC化が進んだので機廻しが必要な列車は貨物列車が主体でしたのでしょう
高松は一度だけ高知へ行った時訪れただけでした早朝宇野着の寝台特急瀬戸号から継走農耕宇高連絡船で高松に降り立つと立派な頭端駅でした高知行きの特急南風発迄待ち時間があったので構内を見物しました連絡船到着の折か帰る為に連絡船乗船前か丁度DF50が貨物列車を牽引し高松駅の六番線に到着し機廻し線へ転線するのを撮影しました 到着列車は此の後入れ替え用機関車により航送線へ転線して連絡船に積み込まれるのです
高松迄乗船した連絡船は普通船室でしたが帰りの連絡船ではグリーン船室でしたので船頭船室で丁度航送用バースが見えました
投稿: yyoshikawa | 2019年9月11日 (水) 12時04分
yyoshikawaさん、いい思い出ですね。
私は四国を訪れたのは1回のみ、それも松山空港だったので連絡船時代の高松駅は・・・残念です。
投稿: f54560zg | 2019年9月12日 (木) 20時37分
連絡船が在りし日に四国へ渡ったのは、、民営化直後の夏に一度だけ。現在は四国へ行く用が多いのですが、瀬戸大橋線の他に神戸からのフェリー(深夜便)や和歌山からの南海フェリーなども多用しています。
昨年4月、高松駅で瀬戸大橋線開業のイベントがあった際、偶然にも地元の局にインタビューされ、「フェリーもいいけど瀬戸大橋ができて便利になりましたね」といった内容を話したのも思い出です。
投稿: すみもと | 2019年9月13日 (金) 07時42分
すみもとさん
テレビ出演(?)おめでとうございます(笑)。結構四国をご訪問されるんですね。
投稿: f54560zg | 2019年9月15日 (日) 19時23分
連絡船の急行便は、どの辺りに着岸していたのか記憶が定かではないのですが、連絡船は青函区間で利用していたので宇高連絡船が小振りに感じでいたのと、たとえ数十分でも時間の節約にもなり、宇高間は急行便の往復となりました。
でも、宇野港で連絡船を見た時は、やっぱり普通便も乗りたいな、でしたが。
駅の改札口は、高松運転所の見学のためと、四国を回ってきて徳島駅から高松駅に着いて、琴電に乗換えるのとで、都合4回利用しました。
改札口の数が多かったのと、行き先案内表示板がズラリと並ぶ光景が印象的でした。
急行便の低い目線からでも、あと少しで繋がりそうな瀬戸大橋が見えて、連絡船終焉の時期が迫っているのを実感しました。
なお、急行便だけは、しばらく存続予定でしたが、不慮の事故で、残念ながら早期撤退に追い込まれたようなのですが。
のちのち、駅構内のうどん屋さんで食すのが四国旅の楽しみで、店内のお客さんが途切れた時を見計らって、保存してあった連絡船の鐘を鳴らさせて頂いたのが思い出に残っています。
いつものように、皆さん、四国の旅は、お遍路さんの事からか地元の方々が温かく、機会があれば是非どうぞ。
投稿: E10 | 2019年9月18日 (水) 00時02分
高松桟橋の急行便の着岸場所は配線略図から左へ大きく外れた所で、完全に“駅の外”にありました。
宇野桟橋では島式ホームの先端にあったので改札内でした。
この頃大阪にいたので何度か訪れています。
急行便にはホーバークラフト「とびうお」と高速艇「しおかぜ」がありましたが、瀬戸大橋開通後も残ったのは「しおかぜ」でした。
短い間に便数が減らされ廃止に至った事から、高い急行料金が敬遠されたための“自然消滅”と思っていましたが、「不慮の事故」というのは不勉強で初耳です。
高速艇の話で思い出すのは、JTB時刻表1989年10月号で出題されたクイズです。
●問題 簡単な運賃計算問題です。JR線の 竹下→宇野→海部 を最短営業キロで結ぶ1枚の片道乗車券を作りました。この切符の値段はいくらでしょうか。
なんでこんな問題が出たのかわかりますか?(大ヒント:この年、政界でちょっと珍しい出来事が…)
なおこのルートに実際に乗車船するには運賃の他に連絡船急行料金700円が必要でしたが、翌年1月号に掲載された正解によると、問題は「乗車券」なのでこの700円を加算した回答は不正解とのことでした。
もう一つ高速艇で思い出すことがあります。
1988年8月に訪問した時、高松の高速艇乗り場の脇に、宇高連絡船「鷲羽丸」の船名プレートが雨ざらしで放置されていました。
鷲羽丸は戦後間もない時期に建造された「紫雲丸型」の第3船で、昭和23年から42年にかけて活躍しました。
この船名プレートは宇野駅の跨線橋通路に長い間飾られていたもので、瀬戸大橋開通の時点でもそこにあったのですが、その後取り外されたのでしょう。
「持って行ってもいいよ」と言われたけれど、家に置く場所もなし。
あの船名プレートはその後どうなったか、誰かご存知ありませんか?
投稿: クモイ103 | 2019年9月18日 (水) 22時42分
E10さん、クモイ103さん
連絡船の思い出をありがとうございます。
投稿: f54560zg | 2019年9月19日 (木) 19時57分