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2019年9月29日 (日)

茅ケ崎配線図

茅ケ崎駅の配線図のご紹介です。

最初は1935年3月。
193503r_20190928143001
・辻堂駅同様、東京方にも神戸方にも信号機のない渡り線が設けられています。
・この当時相模線はまだ相模鉄道です。本線は1本のみのようですね。
・相模鉄道線ホーム付近の「人糞線」にも注目です。以前、どこかでコメントをいただいたような記憶もあるのですが・・・(汗)。
R_20190928231001

続いて1951年8月。
195108r_20190928143001
・東京方の渡り線はなくなりました。
・買収された相模線の本線は3本になり、うち2本は貨物上り線に進出できるようになっています。

続いて1957年3月。
195703r_20190928143001
・大きな変化はありません。

続いて1961年3月。
196103r_20190928143001 
・大きな変化はありません。

続いて1967年3月。
196703r_20190928143101
・大きな変化はありません。

続いて1977年10月。
197710r_20190928143001
・やはり変化はありません(汗)。

最後に1986年3月。
198603r_20190928143001
・東京方・神戸方に渡り線が復活しています。今度は信号機付きですので復活というよりは別モノですね。ご丁寧に競合を避けるような配慮もされています。
・この関係と思われますが、場内信号機は第1、第2の2つになりました。
・この時点では茅ケ崎機関区には41両のキハ35系が配置されていました。転車台はいつ頃撤去されたのでしょう。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

 配線とは別のことですが、旅客ホームは階段が下り端にあるため上り先頭車からでは300mを歩く必要がありました。
 対策としてホームを下り方に延長して、上り方を使用停止したと記憶しています。今でも上り方の遺跡が残下り方の渡り線廃止のスペースに延長? と妄想がふくらみます。

 上記の下3行を訂正します。
 今でも上り方の遺跡が残っているのでしょうか?
 またホームの延長は下り方の渡り線廃止のスペースを利用? と妄想がふくらみます。

矢張り1935年版配線図でも茅ヶ崎駅も貨物線対旅客線間の渡り線群が存在してますね 何時も茅ヶ崎駅を通り過ぎると西側に小規模なヤードが存在して居る事です配線図では西と記載されてます相模鐵道との貨車授受ヤードとばかり思ってましたが実体は貨車仕分け線なんですね東側の仕分け群線と組み合わせて操車していたのですね 1935年版では駅舎脇に貨物扱い所が有りましたが戦後は西側荷扱い所が移転したのですね相模線ホーム側の引き込み線の名称が面白いですね水沢喜十朗側線個人名の側線なんて全国的に珍しいなのでは 米軍が戦後日本に持ち込んだDD12形機関車が廃車になると聞き茅ヶ崎機関区へ集結されてるので見にいった事を思い出しました

鐵道省若しくは相模鐵道で糞尿輸送していたのは意外です 糞尿輸送で有名だったのは西武農業鐵道東武鐵道京都市電位だと思っていました他の鉄道でも輸送していたのか・・
西武では無蓋車に蓋を被せた専用貨車東武では箱型タンク車でしたでは鐵道省相模鐡道ではどんな車輛を使用して運んだのか・・
国鉄時代ターミナル駅で客車の車内清掃で出たゴミを一般貨車で運んでましたが一応塵埃輸送専用と側面に記載してました 其れと同じで一般貨車を専用使用していたのか物が物ですので専用にしないと問題になるでしょう

上り方の方は下り方を延ばしたときに使用停止したのですね、
てっきりクモニ付きの16両時代の時の遺構かと思っていました。

茅ヶ崎は直近まで相模線への貨物取扱があったこと、
DE11-2000のねぐらだったこともあり、
結構貨物扱いが最後までありましたし、
(一応甲種扱いは存在しますが。)
東急逗子甲種の折り返し駅でもありました。
(逗子←→本郷台←→茅ヶ崎←→羽沢方面)

東陶は秩父のトキがよく出入りしていました。
(菱沼の踏切渡った先に貨車の出入り門があった)

この勢いで相模線沿線も見てみたいものです。

東洋陶器に来ていた秩父のトキは便器や洗面台の原料である粘土やドロマイトを武甲山より運んで来てた

皆様
人糞線にTOTO・・・ですね♪

>管理人さん

「相模線=電化」が大きい ですね。
=
電化され、
使用車両が、格段に上がり、加速でき。

名無しさん
ユーミンは相模線のDCに揺られて茅ケ崎の海にやってきていたようです。

>管理人さん。

「茅ヶ崎」&「藤沢」では、
「ライナーホーム =貨物列車の側」には、
シャッターが 駅員さんにより 開or閉 されて、
開く時間だけ、駅ホームで 行動が できます。

ライナーの運転がない時間帯 には、
当然、シャッター は、閉じられます。

「youtub」にも、それ=駅ホームへのシャッター、 あり。

ゆかわあきらさま
詳細な事は分かりませんが 東陶に来ていたのは東武のトキで上白石からドロマイトを輸送していたと思います。昭和46年当時628t定量輸送していたようです 恐らく廃止まで輸送があったみたいです。秩父のトキは粘土ではなく武甲から発送される石灰石だと思います。
又隣の日本プライプルコ線でも不定形耐火物の原料としてドロマイトの到着があったらしいです未確認ですけれど

お邪魔致します。
茅ヶ崎駅での屎尿(糞尿)輸送の証拠が確認出来、大変嬉しいです。
素晴らしいものを拝見させて頂きまして、ありがとうございました。

TJ1914さん
いらっしゃいませ。お役に立てたのであれば幸いです。

書泉秋葉原へ久々に行くと面白い本が有りました本の出版はサークルTJ1941という所です書籍の題名は東上線における屎尿(下肥)輸送 調査発表誌修正改訂版 全322ページに及ぶ同人誌です 此れ迄屎尿輸送の話はトワイライトゾーンマニュアル位でした 今回出された書籍では江戸時代より運搬方法を述べており可也読応えの有る書籍です 鉄道関係では東上線主体ですが他の線も述べられており取り扱い駅の古い配線図が掲載されてます 茅ケ崎駅の屎尿線についても述べられており発送駅が横須賀と書かれていました しかし物が物だけに此れ程の大作本は初めてではないでしょうか

yyoshikawaさん
かなりのマニア向けですね(笑)。

茅ケ崎駅の屎尿線の発送駅が横須賀であったのは海軍艦船の下肥を東海道本線沿線の戸塚藤沢茅ケ崎等へ輸送し其処から各農家の田畑へ運ばれ堆肥にされた

海軍のソレが湘南の野菜を育てた、ということなのですね。

度々申し訳ございません。
鉄道屎尿(下肥)輸送本の電子書籍用再改訂版でこちらの1935年の茅ヶ崎駅の平面図を使わせて頂けないでしょうか。
何卒お願いいたします。

TJ1914さん
このようなものでよろしけれがお使いいただいて構いません。よろしくお願いします。

ありがとうございます!!

ちなみにお返しという感じですが、明治末期の茅ヶ崎駅の構内図面はいりますでしょうか?

TJ1914さん
ありがとうございます。
お気持ちだけいただきます。

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