« 高松配線図 | トップページ | 大宮 2011/12/11 その2 »

2019年9月13日 (金)

大宮 2011/12/11 その1

ついこの間だと思っていたらもう8年ほど前になってしまった大宮駅です。
今回は東京方の部分を中心に。

01p1040493
・2番線です。

06p1040491
・3番線です。京浜東北線用の1・2番線ホームは短くなっています。

05p1040490
・3番線です。京浜東北線への出発信号機が低柱タイプで設けられています。比較的最近の設置だと思うのですが。

11p1040483
・4番線です。

12p1040466
・6番線です。

13p1040469
・5・6番線の出発信号機です。

14p1040465
・振り返ります。5番線は貨物用でホームはありません。

15p1040463
・7番線です。

17p1040435
・8・9番線です。

18p1040431
・その先の方です。

20p1040437
・9番線はホームの途中に分岐器があります。

21p1040407
・11番線です。10番線は貨物用でホームはありません。

22p1040408

23p1040410
・その先の方です。

28p1040404
・12番線です。

29p1040405
・ホームには面しているのですが番線表示もなく架線も張られていません。線路もサビサビです。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 高松配線図 | トップページ | 大宮 2011/12/11 その2 »

コメント

 11枚目の、9番線はホームの途中に分岐器が・・・・・・。
 この分岐は大宮まで複々線だったころ(43-10以前)、貨物線を下ってきた旅客列車が現9番線の下りホームに合流するルートでした。なつかしく思い出します。(いまは11番線に進入しています)
 複々線の使用方は、旅客線は京浜東北線と東北・高崎線旅の半数、貨物線は旅客の半数と貨物列車が使用していました。
 赤羽以南は6線となるので、京浜東北・旅客・貨物の使い分けになります。その移り変わりは平面交差で、赤羽北部で京浜東北と旅客の平面合流がよく出来たものと思います。
 50年前の思い出話になりました。ごめんなさい。

9番線の途中合流は、三複線になってからも、貨物線を走ってきた荷物電車が使用しているのを見ました。高シマのクモユニ74×6連で、合計12個のパンタグラフを全部上げて釣り掛けモーターの唸りを響かせ爆走する姿は圧巻でした。
おそらく機関車牽引の荷物列車も通っていたのではないでしょうか?

私も50年前の思い出話に乗らせていただきます。
43-10以前の複々線時代は幼少時のおぼろげな記憶ですが、赤羽駅北側に複線亘りがあった事は覚えています。
三複線化の際、線路用地は西側(貨物線側)に拡張された所が多かったと思いますが、蕨駅では貨物扱い設備があるため東側への拡張となり、京浜東北線のホームが移設されました。工事進捗の過渡期、新旧のホームが線路1本分のスペースを挟んで共存し、所々に連絡通路が設けられていたのが印象に残っています。
また蕨駅から北へ、浦和電車区(現・さいたま車両センター)の手前までは西側に日車蕨工場があったので(今は大きなマンション)、やはり現在の京浜東北線が新設線です。現在、南浦和から南行電車の先頭部にかぶりついて蕨へ向かうと、右手に広がる電車区が終わって他の5本の線路と合流するあたりで、ほぼ真っすぐに来た軌道が不自然に左へ2本分シフトするのがわかると思います。真っすぐ延長すれば列車上り線にぴったり一致します。つまり複々線時代は真っすぐ進んでいたけれど、ここから蕨駅にかけて京浜東北線の線路が新設されたという名残りです。
思わず長くなりました。ごめんなさい・・・

私も50年前の話しに乗ります 以前赤羽の稿で述べた事の再稿になります 中学生の頃夏の家族旅行で松島へ上野発夜行急行松島(電車)で向いました 赤羽迄は旅客線を通りましたが赤羽から先の複々線区間は貨物線側へ入線しましたが 高密度ダイヤの勢か先が詰まっておりノロノロ運転で退屈でした 余談ですが当時未だ冷房化されて無い時代当然窓は開けぱなされてます何故か車内にカブトムシが飛び込んできました旅行中其カブトムシは其の侭連れてまわりました 
赤羽大宮間で平行している京浜東北線列車と競争するのですが彼方は各駅停車なのに何故か直ぐに追いつかれます然も軽く抜かれしまいます当時ですので73形8連でしたが随分早く走ってるなと思ってました

皆様
50年前の貴重なお話ありがとうございます(笑)。
私には複線時代の記憶はありませんです、ハイ。

3枚目の「・3番線です。京浜東北線への出発信号機が低柱タイプで設けられています。比較的最近の設置だと思うのですが。」について。

この信号機についている「自」は、「保安方式識別標識」といいます。山手線、京浜東北線にATC化する際に、この区間を運転する工臨に対する保安方式としては、電車のようにATCを使用した「速度制御式」ではなく、「自動閉そく式」が施行されることになりました。

このため、運転取扱駅には、工臨用に常置信号機が設置されました。この信号機は通常(「速度制御式」を施行している間)は滅灯していて、必要な時(「自動閉そく式」を施行する間)だけ点灯するものです。
私は、今までこの種の信号機が点灯しているのをみたことがないので、このページの写真のように点灯しているのはレアなケースだと思います。(ただ、ここの信号機に限っては、上部に識別灯と思しき白色灯がついていて、これが滅灯しているので、当信号機が防護する進路には「自動閉そく式」を施行していないとも考えられますね。)

別途、先日の当該信号機を撮影した写真(上部の白色灯がなく、信号機本体は滅灯しているもの)と、「保安方式識別標識」という名称が使われている局報の写真を送ります。

他の駅での話題に「自」が載っていますが、写真が載っていることから、ここにコメントさせてもらいました。

NZさん、 f54560zgさん、みなさん、こんばんは。

NZさん、

「保安方式識別標識」については、全く知りませんでした。ご教示ありがとうございます。

件の信号機が点灯している写真を2016年3月17日に撮影し、私のHPに上げたのですが、この白色灯については全くわからず、触れずじまいでした・・・。

一方、2017年4月1日にこの信号機を大宮駅でみたときは、消灯していて、「あれ?」と思い、やはり写真を撮りました。

さきほど、その写真をよくよく見なおしてみますと、ご教示の信号機上部の識別灯は黒いビニールのようなもので覆われておりました。

この信号機が、点灯している場合と、点灯していない場合の違い、そして、その上部の識別灯は不要になったのか?など、興味深い点が多いですね。

NZさん、KASAさん
情報ありがとうございます。
新しい(?)保安設備にはなかなかついていけません(汗)。

大宮は、東北本線から上信越への分岐する高崎線の起点で主要駅で、その分過去には県庁所在地である浦和には、京浜東北線の電車が止まり、長距離列車は普通列車でも快速運転で止まらず、高崎始発の‟EF58”の普通列車でも止まらず、特急、急行でも浦和停まった記憶はない。
新幹線が岡山開業前に、大阪を出る上りの長距離列車が新大阪に停まらなかった様に、時刻表でも、東北本線を見れば、浦和が通過の表示になっていることが目に付いた。群馬県の場合高崎からの両毛線の、前橋市が県庁所在地で唯一下車したことがない。
成田エクスプレスが、今でも千葉に停まらないとは主要駅と、県庁所在地は別物かである。

3番線→京浜東北への工臨用信号機について、別記事でもまとめていただいていますが、本来は工臨運転時以外は滅灯しているのがスジのものです。
なんですが、この信号機が設置された当初(京浜が最初にATC化された当時?)、ATCに馴染みのない東北本線の運転士から「滅灯している!球切れだ!」という申告が相次いだので、誤認を防ぐために常時点灯させるようにしたとか・・・
最近は滅灯しているようですので、出発合図器撤去と同じタイミング?で見直して「やっぱり規定通り滅灯してないとだめだよね」ということになったんじゃないでしょうか。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 高松配線図 | トップページ | 大宮 2011/12/11 その2 »

過去の記事

2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ