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2019年9月26日 (木)

辻堂配線図

辻堂駅の配線図のご紹介です。

最初は1935年3月。
193503r_20190925200801
・東京方、神戸方の両方に旅客線と貨物線を結ぶ渡り線がありますが、いずれも信号機が設備されていませんので列車としての転線はできません。このテの信号のない渡り線はこの時代には保土ヶ谷や大船、藤沢などにも設けられており、どのような背景があったのか気になります。

続いて1961年3月
196103r_20190925200801
・渡り線は消滅しています。

続いて1967年3月
196703r_20190925200801
・大きな変化はありません。

続いて1977年10月
197710r_20190925200801
・大きな変化はありません。

最後に1986年3月
198603r_20190925200801
・この時代、藤沢駅は貨物側線がキレイになくなっていましたが、貨物営業の廃止が遅かったせいか辻堂駅ではまだ貨物側線が残っています。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

関東特殊製鋼の専用線の踏切跡が結構最近まで残っておりました。
JR化直後は残った貨物側線は保線機械の留置線として活用されており、夏休みには保線機械の試乗会などのイベントも開かれておりました。
現在では旅客線ホームの拡幅や駅北口の区画整理事業などの絡みにより、棒線化されて、貨物側線などもすっかりなくなってしまいました。ただし、一応、貨物線ホーム設置用地だけは残されています。

辻堂が来ましたね。

現在はテラスモール湘南が、
関東特殊鋼の跡地に出来たもので、
そこの出入りの側線群です。

トキ、トラがメインで、
専用線撤去後も、貨車出入り門は存在しており、、
そこだけアスファルトで埋めた後が残っていました。

飽く迄私の私的見解ですので誤解な点があるやもしれませんが 
1935年版配線図に貨物線より旅客線へ旅客線から貨物線への渡り線群ひょっとして軍事物資輸送列車の為に設けられたのでは現在とは違い1935年当時軍事物資輸送は既に優先順位が高かった時代でしょう非常輸送の観点から先行の通常の貨物列車を抜いたりする為に特別に設けられていたのでは其の為設置経費の掛かる信号機は設けず利用時駅員の手旗カンテラ等の合図で進入進出していたのでは 軍部の権力が増大していた時代此の後直ぐに軍事優先となる時代背景が1935年版配線図にそこはかとなく見いだせるのでは・・
住友発條の専用線は戦前より存在していたのですねひょっとして別な会社かもしれませんが 関東特殊鋼専用線は戦後開通の専用線なんですね 改めて各時代毎の見比べは楽しいもので

皆様、さすが専用線関係はお詳しいですね。情報ありがとうございます。
>渡り線
確かに単なる非常用としては贅沢な設備なんですよね。特殊な列車に対する備えかもしれませんね。

はじめてコメントします。
いつも楽しく記事を拝見させていただいております。
自分は小学生のころ辻堂に住んでおり、職場見学で辻堂駅を訪問しました。
当時はホーム拡幅工事前夜で、今度の工事では貨物の下り線を上り線にして、今使っていない貨物線に貨物下り線を移すのだと駅長さんに解説頂いたことを覚えています。
こうして配線図を拝見した今考えると、その貨物線は貨物中線だったのでしょう。

軍事輸送に関しての話題として、戦後すぐに辻堂駅で弾薬を運んでいた貨物列車が大爆発したという話を伺ったことがあります。
かつて辻堂には旧海軍~占領軍の演習場がありましたから、その関係の列車も設定されていたのではと考えました。

名無しさん
コメントありがとうございます。
軍関係は何でもアリのような気がしますので、それに対する設備なのかもしれませんね。

辻堂駅でも茅ヶ崎駅同様ドロマイトの貨物取扱があったようです。関東特殊鋼専用線です。因みに1年間で1567tの取り扱いがあったらしいです昭和46年度 ただし10年後の昭和56年9月に貨物取扱廃止になりました

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