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2019年9月20日 (金)

藤沢配線図

藤沢駅の配線図のご紹介です。

最初は1935年3月。
193503r_20190919215601
・当時の名称ですと江ノ島電気鉄道、小田原急行鉄道線も描かれています。
・東京方では下り貨物→下り旅客、上り旅客→上り貨物への転線が可能になっています。神戸方にも渡り線が設けられていますが信号設備が対応していないため転線はできません。
・貨物線の副本線は中線タイプです。
・旅客線と貨物線の間という何とも微妙な位置に留置線が設けられています。

続いて1951年8月。
195108r_20190919215601
・旅客線と貨物線の間にあった留置線が旅客上下本線間に移動しました。旅客列車の折り返し用であればこの方が自然ですね。
・この留置線、機回しも可能になっているのですが、どのような使われ方をしていたのでしょうか。

続いて1957年3月。
195703r_20190919215601
・大きな変化はありません。

続いて1961年3月。
196103r_20190919215601
・線路はそのままですが神戸方で信号設備の変更が行われ、旅客下り→貨物下り、貨物上り→旅客上りの転線が可能になりました。

続いて1967年3月。
196703r_20190919215601
・連動装置が継電化されたようですね。

続いて1977年10月。
197710r_20190919215601 
・貨物側線がきれいさっぱりなくなってしまいました。

最後に1986年3月。
198603r_20190919215601
・ほとんど変化はありません。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

地元が登場です。
この配線図以降に変更があったことしか記憶がありません。
一番最古の記憶の時点で、東京方の貨物~旅客の渡り線はありませんでした。
その後、貨物線へのホーム新設、神戸方の旅客~貨物の渡り線撤去、引上線の神戸方機回し用(?)渡り線が撤去されています。結果、現在では引上線は単純なY線になっています。ただし、引上線の先の方は保線機械置き場になっています。
また、現在も貨物中線の残骸なのか保線機械の留置線に使われる側線が西半分(引上線に平行する部分)だけあります。

神戸方一本松踏切は引上線に入る車両が11両ですと大丈夫なのですが15両が入りますと、踏切に車両がかかるため閉まりっぱなしになります。
朝2本の始発電車が引上線に入るため朝方は数十分にわたって閉まりっぱなしです。

KJさん
>渡り線の撤去
横須賀線~東海道線~貨物線間の渡り線の変遷ってちょっと面白そうですね。一度整理してみたいと思います。
>引上線
この引上線、当然藤沢折り返し列車に対応するものだと思っていたのですが、いくら探しても藤沢行きの列車が見つけられなかったため、個人的にはナゾでした。そっかぁ、下りは回送かぁ、そうだよなぁ、下りのページは見たけど上りのページは見なかったものなぁ・・・(汗)。ありがとうございます。

なつかしい、
東京側の渡り配線は知っています。
場所的にはOKストアの真裏当たり~大道小学校
(ここは古くまで木造校舎があった。)までの間でぐらいです。
貨物扱い時は側線群はわかりませんが、
今ルミネの建っているあたりでしょうね。
(一応湘南貨物開業で移管されているはずなので…。)

藤沢始発はありますが、
藤沢行きは設定された記憶は一切ありません。
田町から延々と回送され折り返して東京行きになっていました。

東海地震警戒宣言が発出された場合、東海道線は藤沢ー尾張一宮間での運転が休止となります。
このために、藤沢駅には折り返し設備を維持する必要があり、現在は上り始発列車の折り返しに使用されています。
尾張一宮駅は上1番線で岐阜方への折り返しが可能となるよう設備されています)

このために113系時代から方向幕に「藤沢」のコマがずっと維持されてたのですが、東日本大震災の際に線路点検の必要から確か1日だけ藤沢まで運転という日があり、211系が「藤沢」のコマを表示して東京駅を出発するのを見送りました。

予期していたのとは違うとはいえ、地震で「藤沢」のコマが使われたのは感慨深いものがありました。
機廻しが残されていたのも、九州特急などの客車列車折り返しを想定してのものと考えます。

藤沢始発はかなり昔からあり、新幹線が開業する以前は153系ビュッフェ組み込みの急行編成が間合い使用で使われていた記憶があります。いずれは平塚始発に変更されるだろうと思っていましたが、藤沢乗車者の着席サービスとしていまだに残っています。

○藤沢行きの実績

 藤沢行きで運転されたのは、震災時の他は辻堂駅ホーム拡幅工事による東海道線貨物線迂回対策によるものでも登場したことがあります。逆に突発的な輸送障害ではほとんど登場しません。


○藤沢始発の意義

 相当昔から延々と存在し続ける藤沢始発。昔は鵠沼在住の人々へのサービスだったとか。今でも根強い人気で始発電車整列位置があり20分ぐらい前から列ができはじめます。
 とはいえ、これが残っている理由っていうのも平塚のホームが空いてないとかそんな理由なんじゃないかと思います。国府津駅のホームが足りなくて、二宮始発みたいな。
 以前は1本目の藤沢始発の発車と2本目の藤沢始発になる回送電車の到着がほぼ同時だったため、上り電車が遅れると1本目の始発が引上線から出られない→2本目の始発が引上線に入れない→下り電車が止まるという悪循環が多発してました。現在では2本目の始発電車になる回送電車は大船駅の待避線で待機して、上りが遅れた場合は運転順序変更して柔軟な対応をしているようです。

皆様
>機回し線
九州特急の折り返しを想定していたとはオドロキですね。実際に機回しが行われたことは・・・ないですよね?
>藤沢始発
藤沢乗車者の着席サービスとは・・・(汗)。茅ケ崎乗車者からうらやましがられないのでしょうか。


警戒宣言がいつ発布されるかわかりませんし、この宣言のもととなる「大規模地震対策特別措置法」は昭和53年制定なので、いざ発布されたときに、下りブルトレが線路上に居座ったら藤沢までの運転すら確保できなくなります。

大規模地震対策特別措置法はいまも生きていますが、警戒宣言は東日本大震災の研究も踏まえて、予知はできないと判断され、2年前に政府が運用を断念しています。

実際に機回しが行われた記憶はありません。

北東航21さん
それこそ戦後すぐぐらいの段階ですでに機回り設備つきの「客留線」として設備されていますので、その時点でいろいろと想定が行われていたのでしょうね。

はじめまして。AMと申します。
アラ還ですが、小さいころから停車場配線が好きでした。
貴サイトも2010年頃から楽しませて頂いています。色々な情報をありがとうございます。
このところ地元が紹介されましたので、今後、いくつかコメントさせて頂きます。

藤沢行/藤沢始発
改めてJTBの時刻表復刻版やポケット時刻表を調べたところ、以下のような変遷でした。
昭和25年10月改正
藤沢行きも藤沢始発も存在しません。
昭和31年11月改正
東海道線全線電化の改正です。
回送を兼ねた東京643発藤沢行きの電車が存在しています。折返し藤沢始発が1本。
昭和36年10月改正
同様です。
昭和38年10月改正
藤沢行きは消滅しています。藤沢始発は1本のみ。
昭和39年10月改正
藤沢始発は1本のみ。
昭和42年10月改正
藤沢始発は2本になっています。いつ2本になったかは判りません。
以後、この状態が続いていることになります。

いつ、藤沢始発が設定されたかは判りませんが、鉄ピク2009年11月号の三宅俊彦氏の記事によると、昭和31年11月改正以前は、客車で東京-門司間の最長距離普通111/112列車の間合い運用で、藤沢まで回送され、藤沢始発になっていたようです。となると、Y線先端部の機回り線も使用されていたものと思われます。

戦前の臨時電車
昭和12年の東京鉄道局のパンフレットが実家に残っており、夏の臨時電車の案内が載っていました。
三鷹-藤沢間に運転で、下りが朝、上りが夕方でそれぞれ4本ずつです。愛称は汐風号です。
停車駅は三鷹から品川までは大崎以外の各駅、品川-藤沢は無停車です。
藤沢で折り返したのなら、旅客線と貨物線の間の引き上げ線に入ったかもしれません。(往復とも4本ずつあるので、折返し、または平塚方面へ回送で逃げたものと思われます。)
品川でどのように転線したのかも、よく判りません。大崎が通過なので、もしかしたら大崎の手前に貨物線への渡り線があって、転線したのでしょうか。それならば品川で東海道旅客線でも品鶴線でも出発可能です。

渡り線
辻堂側
藤沢駅前の百貨店で開催された、地元の歴史についての写真展で、旅客下り線ホームから貨物下り線へ転線する151系特急の写真を見た記憶があります。(1961年3月の図で22ロイ-28ロイ-30ロイのルート)
解説文には、先行列車が遅延した場合等に行なわれていたと書かれていたと思います。
また、辻堂付近の障害により旅客上りが不通になったとき、貨物線経由になった普通電車が、この渡り線(1986年3月の図で71イロ-76イロのルート)で旅客線へ転線した例をを見たこともあります。
大船側
いつの間にかなくなってしまいました。
沢柳健一氏の国電再入門という本に書かれていましたが、昔は新宿発の夏の臨時列車等が使っていたようですね。今は、大船の手前に同じ機能の渡り線があるので、不要になったのかもしれません。

貨物ホーム付近
わずかな記憶ですが、蒸気機関車が入換をしていたのを見た記憶があります。
1970年ごろ、日立が企画したポンパ号が貨物側線に展示され、見に行きました

AMさん、初めまして。
地元の方の情報は大変ありがたく思います。
>藤沢行/藤沢始発
わざわざ機回し設備を設けていますので、機関車牽引列車の折り返しを意図していたのでしょうね。最長距離普通列車が品川に回送されずに藤沢折り返ししていたとはオドロキです。
>渡り線
異常時には有効に活用されていたようですね。

36Lは入信のシンボルになってますが、番号的にも目的を考えても入標の誤記っぽいですね。
入信だと連結に使えないので、、、

すみません、上のコメントは最後の86年のものだけみてました。それより昔のだとちゃんと入標になってますね。失礼しました。

>予期していたのとは違うとはいえ、地震で「藤沢」のコマが使われたのは感慨深いものがありました。

令和元年(2019年)11月末の相鉄・JR直通線開業により川越車両センターの埼京線用E233系に相鉄の行先に加え、人身事故等の輸送障害に備え「品川」、「横浜(JR)」や「藤沢」のコマが新設されましたが、「藤沢」の使用実績はあるのでしょうか?

「品川」と「横浜(JR)」は実績があり、横浜行きとなった場合には保土ヶ谷の電留線が折り返しに使われたそうですが、藤沢行きとなった場合、藤沢駅の貨物線上には引き上げ線も渡り線もありませんので、どこで折り返すとこを想定しているのかが気になります。

開業から5年も経って今更ですが…

たけちゃんさん
藤沢行きの使用実績は不明ですが、折り返しは茅ヶ崎の中線を想定してるかと思います。この中線は横浜支社内のイベント列車でもよく使われます。

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