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2019年8月 1日 (木)

セノハチの電力供給

今回はセノハチの電力供給施設について、NZさんからご提供いただいた資料のご紹介です。
個人的には下の方ばかり見てきたものですから、上の方のお話は新鮮です(汗)。
ところどころ私のコメントを追記させていただいております(●部)。

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「電化要覧」という国鉄電気局が作成した資料です。
国鉄の電化区間についての概要が分かる図面が主な内容です。

セノハチを含む、山陽本線 三原〜広島間をみてみると
1r_20190731191501
のごとくで、本郷から八本松までの下り線、安芸中野から八本松までの上り線、すなわち勾配を登る方の線路のき電線が強化されていることが分かります。また、八本松と瀬野の変電所の容量が周辺の変電所より増強されていることが分かります。
この図の凡例を載せます。
2r_20190731191501

●き電線の行、上が下り線、下が上り線ということですね。
●破線ですので材質はアルミということだと思います。電線と言えば銅がアタリマエだと思っていたのですがそうではないんですね。
●510mm^2というのは断面積でしょうか。そうだとすればおよそΦ25くらいですね。
●電車線の方はシンプルカテナリーです。後年ダブルに改修されたのでしょうか。

同様な片勾配の区間を探したら、やはりあの区間、大垣から関ヶ原までの電力設備が同じように上下線でアンバランスになっていました。3r
上り勾配の主力線である、新垂井経由の線路につながるき電線が強化されていますね。

この資料は昭和44年の資料です。
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資料はNZさんよりご提供いただきました。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

電線の名称について
 ダブルカテナリーとは吊架線を2段にした新幹線のような装備をいいます。
 通電容量を増すためにカテナリーを並列にしてパンタとの接触面積を増やしたものはツインカテナリーと呼んでいます。ただし、当初はダブルシンプルカテナリーと呼んでいて、紛らわしいので名称変更となりました。
 この凡例ではこの暫定名称で描かれています。
 揚げ足取りでごめんなさい。

つづき
 ダブルの名はコンパウンドに含まれる場合もありますが、区分する場合もあり、どなたか解説をお願いします。
 変電所は駅の位置とは無関係ですので名称に惑わされないようにして下さい。瀬野変電所は瀬野駅よりずっと東ですし、八本松変電所は八本松駅よりずっと西です。

鉄道少年の頃、父が仕事で購入した電気の専門書をめくって見たのですが、線がクルクル回った図とかサッパリ解らずで、まぁ、乾電池のプラスマイナスが分かれば良しとしながら今日に至っております。
子供時代に見た機関車図鑑の交流電気機関車欄の解説文に、シリコン整流器やサイリスタなる文字を発見した時から、その部品が凄い高性能なイメージでした。
のちに、インバータ制御やVVVFとかが先端技術として登場し、当時の記憶は薄らいで行きましたが、今回の記事を見て懐かしく思い出しました。
また、本郷駅の文字も記事内に発見し、曖昧な古い記憶が蘇りました。
広島行きと宇野行きの客車列車は、かろうじて残っていたのですが、他の下りの普通は全部電車で行き先は網干、上郡、播州赤穂、岡山、糸崎に三原もあったような気がしますが、ある時なんと、本郷行きの電車が時刻表に現れました。
急行みまさか の月田行きを発見した時に匹敵する驚きでしたが、その頃の時刻表で確認出来ていませんので、いつもの妄言ならご容赦ください。
以前は糸崎発着の本郷行きがあり、糸崎駅の収容線の兼ね合いで本郷発着の列車が設定されたのでしょうか。


C6217さん
情報ありがとうございます。確かにダブルシンプルカテナリーでは紛らわしいですよね。
E10さん
>本郷行き
ざっと時刻表を見たのですが、少なくとも1969年11月号には岡山発本郷行き333Mというのが確認できました。20分余りで岡山行きとして戻っていきます。なぜ本郷行きなのかは確かに不思議ですね。

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