« 天竜二俣 2019/4/29 | トップページ | 浜松工場 2019/4/29 »

2019年8月 5日 (月)

横須賀線配線図 1967/3

木津駅の記事のコメントでゆかわあきらさんからリクエストのあった横須賀線です。
1967年3月の一時期のみで申し訳ありません(汗)。

最初は鎌倉駅です。
01196703r 
・大船寄りに入換信号機、久里浜寄りに車両停止標識と、電車の入換を想定したのではないかと思われる設備になっています。この当時は鎌倉始発・終着列車の設定はありませんので、昔の名残でしょうか。

続いて逗子駅です。
02196703r
・大船方に対する折り返しは下1及び上本で可能です。
・大船方の上り引上げ線は付属編成用でしょうか。
・久里浜方には電留線が5本ありますが、電留線にはおそらく下り本線からしか入れないようです。
・また電留線からの進路も1つしかないようです。上本?

続いて田浦駅です。
03196703r
・ホームの前後のトンネル、交差を持った専用線が特徴的です。

続いて横須賀駅です。
04196703r
・頭端の2番線に貫通の3番線、4番線は貨物用、5番線は上り貨物の出発用のようですね。

最後に久里浜駅です。
05196703r
・9本もの規模が大きい電流線が設けられていますが、その接続方も変わっていますね。
・この電留線では1974年に水害により多くの電車が被災しています。
・貨物の着発線の先には機関支区があります。国府津機関区の支区で、ED17が配置されていたようです。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 天竜二俣 2019/4/29 | トップページ | 浜松工場 2019/4/29 »

コメント

スカ色発祥の地と言っていいのでしょうか。
他項でも話したのですが、配線図の少しあとの時期だったでしょうか、見馴れた近郊型電車の湘南色に混じって、突如そのスカ色が山陽本線に登場し、かなりの衝撃度で、子供心に中身は同じとは考え及ばず、スカ色車両に乗ってみたい気持ちに駆られました。
機関区好きにとって久里浜機関支区は、転車台は無くとも戦後は古典ロコからC12型、その後、横須賀のB20型を集約し、30年代前半の頃まで頑張っていたようです。
横須賀のB20は当時4両配置され、注目したいところです。横須賀駅本屋付近にピット線とか、また妄想が広がってしまい、私は未知の線区ですが、横須賀線絡みの蒸気機関車関連研究、首都圏ですので、意外と解明されているのかもしれないですね。

鎌倉、逗子、横須賀、久里浜とありがとうございます!

この中で現在においてもあまり変化ないのは逗子ぐらいでしょうか?
山の根の踏切は首都圏でも数少ない四種で、去年の人身事故で話題になった踏切です。(市側でも廃止要望しているそうですが・・・)
これ見て初めて知ったのは、逗子の下り本線って2番線だったんだということ…。
下り本線は基本逗子~久里浜の4連メインで、
大船方面折り返しは下1ないし上本折り返しです。
4連折り返しがある関係で、留置線から下本の進入も可能かと思われます。が、基本久里浜方面11連限定ゆえにここで増結するので、上本メインですが…。
(その昔は前4両久里浜、11両逗子折り返し東京方面行きがありました。今は存在しないようです…。)

続き、
鎌倉は下2と、21イロが無い以外ほとんど変わっていません。
下1上1共に深夜帯~早朝まではここに15連が留置しています。
鎌倉からの営業運転はそれぞれできないので、大船や逗子にいってからかと思われます。
多分ご存じだと思いますが、鎌倉始発着は基本逗子まで回送の逗子下2留置で、折り返し回送で鎌倉から営業です。

田浦、
せ2から十字クロスに行く途中の相模運輸倉庫のDLが寝ていました。
せ5から先のトンネル部分は書いてないのね(;^_^A
この油線が最後まであった米軍基地向けかと思われます。
最終期は新鶴見の65PFが根岸線経由で根岸で日石を切離し、本郷台で時間停車し、大船は10番通過です。2~3両の米軍タキ3000だったと思います、なぜか横田向けと違うようで、日陸借り受けのタキ3000はなかったと思います。
帰りは大船駅進入時、そのままだと盛り土高架で現5番線に入っていしまいますので、手前でスカ下りを逆走し、10番を経由し根岸線経由になります。このルートは今は廃止になった、逗子(横浜線内快速、根岸線経由)~八王子のルートと同じでした。

横須賀線の配線図、とても心待ちにしていました!ありがとうございます。
逗子駅は1968年に付属編成の増結位置を変更(東京方→逗子方)するために、かなり大規模な配線改良を行っています。
このページの配線だった頃は、東京方に増結を行っていたので久里浜方の電留線→大船方の電留線→基本編成へ増結という動き方をしていたようですが、それだと増結に時間がかかり過ぎるということで現在の配線にしたということです。
今の逗子駅はどのホームでも増解結どちらも出来ますが、昔はもっと不便な構造をしていたんですね…。

本日は、一部で祝福ムードの横須賀沿線ですが、そう言えば、ゆかわあきらさんが魔鏡のような場所とおっしゃられてたと思い出し、実は前出コメントは末尾の機関支区とED17に反応しただけのコメントで、配線図も久里浜駅と横須賀駅以外は眺めただけで、記事作成のご苦労も省みずお恥ずかしい限りです。
以前、SYさんご紹介のテキサス大学米軍地図を見ますと、田浦駅からの引込み専用線の凄さに驚愕でした。
呉線のラケット状ループ線も凄かったのですが、専用線奥のトンネル(ゆかわあきらさんのおっしゃる、せ5の先)から岸壁を経てクロス線へ一周して来たり、素人なりに焦点はズレていても田浦駅が魔鏡と称されるのも頷けます。
余談ですが、米軍関連とトンネルで思い出したのですが、以前、渉外関連の部署に所属していた時、あちらの方はトンネルの事を、米語で更に訛って「タンナル」と発音される方がいて、最初は「単なる」って???で、通訳に聞くと「それ、トンネルょ。アメリカの訛りだわ」でした。
今のヤフー地図やグーグルアースで観ると、田浦駅からの専用線の痕跡が少しだけ見て取れ、魔鏡の片鱗を感じました。
今回も、見知らぬ場所に注目でき、皆さんに感謝申し上げます。


マリンビューさんんの書き込みで配線図当時のスカ線は東海道と同じ編成だったのですね・・・(大汗

すみません80年代位以降のコメントでしてしまいました。
確かに解放は楽ですが、
増結は手間かかりそう、
まず留置線から増結編成を
1、大船方面に逃がして上留置線に止め置きか、
2、大船方ホームに停車させるか、
しかありませんものね。
1、の場合は一度回送電車を通過させる手間が必要。11連到着後推進かエンド交換で付属編成を連結させるという手間。
2、の場合は1より手間はかかりませんが、11連進入時に警戒以下で入ることの手間。
久里浜寄りの踏切は今よりも開かずの踏切だったのではないでしょうか。

皆様
横須賀線と聞いて個人的に思い浮かぶ言葉は「軍とセレブ」でして、正直ちょっと近寄りがたい存在でした。そのせいか都内に住んでいたにも関わらず訪問したことがなく、写真もなく・・・。なかなか図面だけでは伝わらないかと思います(汗)。
スカ色の電車の運転、古典機など、見所が多かったんですね。

管理人さん来る価値のある路線ではあると思います。
セレブはどうなんでしょ?
鎌倉も逗子も道が貧弱すぎる故でしょう。
(どちらも有料道路から離れすぎています。昔は国内初の観光有料道路がありましたけど。)
阪急沿線ほどではないとおもいます。

短区間ではありますが、これほど変化に富む路線も多くはないです。
北鎌倉は、
ホーム延長をお寺の関係で大船方しかできなくて、久里浜寄りにしかない改札口とこれもまた数少ない構内踏切。
歴史と文化の鎌倉。
15連が入れる最後の駅逗子、池子方は神武寺の裏を通過して三線区間に。
トンネルに挟まれた田浦。
バリアフリーの駅と聞こえはいいけど、言い方変えると、交換すらできない棒線駅の横須賀。
京急の駅が立派過ぎて、対面にあるあまりにも・・・な久里浜駅。
東逗子と衣笠がある意味普通過ぎて違和感なのかもしれません。

一度お越しくださいませ。

ゆかわあきらさん
>セレブ
東京の下町育ちの人間の僻みですね(笑)。
機会があれば訪れてみたいです。

田浦駅は駅構内に隧道が二ヶ所あり隧道間に島式ホームが有り貨物ホームも同じ所に有りますが其れとは別に此の駅には小さな臨港線が接続してました相模運輸倉庫長浦臨港線でした然も此処の臨港線には見所が多数有りました先ずは直角平面交差 併用軌道の隧道(線路は隧道の途中迄)自衛隊駐屯地入口付近迄伸びた側線 岸壁に伸びた側縁 或る所では倉庫に伸びた側線の末端に別方向からの側線が引かれていたり米軍のジェット燃料積み込み用引き込み線(門が有り中へは入れない 配線変更で使われなくなった側線の分岐部が中途半端に撤去されたりしており一日中居ても飽きない場所でした (現役時代に詳細写真を撮影してます)

久里浜の貨物側線に首都圏で使用休止になった旧形国電が地方転籍前に一時的に疎開していた事が有りました疎開留置中にそばの小川が集中豪雨で溢れ留置車輛が水没国鉄では先ず須賀線用113系水没車から救出疎開留置の旧形国電は後回しにされてしまい足回り等が錆びてしまい結果現地で全て解体されてしまいました 

yyoshikawaさん
>現役時代に詳細写真を撮影してます
ぜひ拝見したいですね!

先日旧盆で京急六浦に有る墓地に墓参りに行った 帰路湘南新宿ラインに乗車すべく逗子へ 現在の逗子駅は掲載配線図から貨物扱い用側線が撤去其れ以外は掲載配線図と同じです 現在横須賀線東京方からの列車は昼の時間帯には横須賀方面に直通する列車は無く逗子で折り返しで横須賀久里浜方面は増結用付属編成が運行してます 東京方面折り返しは一番線か二番線利用で折り返し久里浜方面折り返しは二番線利用湘南新宿ライン折り返しは三番線利用してます
横須賀線は逗子から先は15両編成は入線出来ません理由は田浦駅が隧道間に島式ホームを設けた関係でホーム延長が出来ない為です
帰路の湘南新宿ラインは久々にグリーン車二階に乗車しました
鎌倉駅は例の東海道東側中間駅配線です島式ホームの外側に側線二本のパターンです側線は今時首都圏では珍しい木枕木に直接犬釘でレールを固定してます 一度見物に来てください

久里浜駅から久里浜港方面に伸びた側線が存在してました港への臨港線ではなく付近の工場か倉庫への側線であった様です 

yyosikawaさん
>久里浜港方面に伸びた側線
配線図の下方に伸びる側線ですね。

横須賀線は、113系で編成は同じで本線の湘南色とは横須賀線色と見分け方られて、本線を通っていた時は、横浜~大船間は本線の電車は停まらず、今の路線になり、大船~戸塚を本線をオーバークロスすると、大阪環状線が天王寺~新今宮間を関西本線をオーバークロスを感じた。
戸塚で同じホームの乗り換えが出来て、本線の電車が停まって、逗子で4両の付属編成を繋ぐと、品川~錦糸町を地下を通って総武本線に乗り入れ、幌を繋ぐ様になった。
横須賀線は、田浦を最寄り駅としてホームの両側はトンネルで11両の電車で、後ろ1両がトンネルの中で、その後車掌がホームへ降りれる様に前の車両がトンネル内に停まって、113系にも徐々にロングシートになって、駅員とは顔馴染みになった新車が入る前に横須賀を離れて、親しい後輩とは電話連絡して無人化されたと聞いた。
出張で横須賀へ行き、例の電車に乗って113系が名残を感じて、垂直の背もたれであっても窓に背中向けて座るよりも良い。
久しぶりに東京へ行き、本線の中長距離電車でもロングシートにしない、と首都圏は乗り切れないのか?

ニッシーさん
ちょっと長い距離を乗るときは、私もクロスシートのほうが好きですね。

横須賀駅は唯一階段なくて、久里浜へ延びたのは戦時中の昭和19年で、丹那トンネル開業前の東海道本線で、複線だった御殿場線の片方の線路を持って来て延ばした。軍港は見えなくしてしいた。

ニッシーさん、情報ありがとうございます。

逗子駅構内の山の根第4種踏切事故多発で8月20日廃止とネットニュースに掲載されてました

yyoshikawaさん、情報ありがとうございます。
このようなところに第4種が現存していたこと自体、ちょっと驚きですね。

逗子駅の山の根第四種踏切は20日に使用停止になったとMSNニュースに掲載されてました

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 天竜二俣 2019/4/29 | トップページ | 浜松工場 2019/4/29 »

過去の記事

2025年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28  
無料ブログはココログ