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2019年8月 4日 (日)

天竜二俣 2019/4/29

2019年4月の天浜線天竜二俣駅の様子です。

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・新所原方です。背中は上り場内信号機です。その付近に車両停止標識が設置されているのはよく見かけるパターンです。

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・新所原方からです。

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・ホームに移動します。新所原方です。信号機の背が低いですね。

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・何とも昔懐かしい風景が残っています。

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・掛川方です。

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・天浜線の運転区です。

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・運転区の裏側です。洗滌線でしょうか。

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・扇形庫の裏側です。

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・掛川方からです。

現在の天竜二俣の配線は以下のようです。

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また、国鉄時代の遠江二俣機関区に関してはNZさんからいくつか貴重な資料をご提供いただいておりますので合わせてご紹介します。

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・1986年1月の遠江二俣機関区時代の配線図です。ホントに今と変わっていませんね。

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・同じ1986年1月の機関区の鳥瞰図です。これは珍しい。ちょっと少女漫画チックですね。
・平面図ではわからない雰囲気が伝わってきます。

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・1986年3月の遠江二俣機関区の気動車運用表です。
・この当時はキハ20ばかりが20両配置されていました。

遠江二俣機関区関係の資料はNZさんよりご提供いただきました。

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コメント

(旧)国鉄二俣線の掲載、ありがたくうれしく思います。
県民として他の一部第3セクターや一部私鉄などで行われている遠方から乗りに来ていただくお客様の取り込みに関しては、本当に歯がゆく思っているのが実情です。
(設備的には揃っていたものの、生かせなかった)
写真の通り、継承後の天竜浜名湖鉄道は信号設備更新で特に出発信号機をホーム端へ移設。
これは各駅の有効長を短くしてしまった事を意味します。
かつて(更新前)、直近の私鉄である大井川鉄道金谷駅から東海道本線を経由して掛川駅から天竜浜名湖鉄道へSLを直通運転する構想がありましたが、要は、真ん中の鉄道会社が定期列車の間を半分にも満たない速度で走られては運行に支障するという事であっという間に立ち消え。
(元々、汽車列車・機関車列車には理解がありません。ブルトレ一掃されてしまいました。)
(旧)遠江二俣機関区の設備は、ほぼそのまま残っているだけに、尚更残念でなりません。

突放さん
そうですよね、これだけ価値のある地上設備が残っているのですから、あとはこれにふさわしい列車があれば・・・。

43系客車、35系客車なら、ホームに並べて発着シーン、がいけそうな気がします。
新金谷と違って、国鉄の、それも機関区が置かれていた駅なので、構内が私鉄駅の一坪たりとも無駄にしない、という窮屈さとちがったゆったりした感じがあるのですが、テレビ屋も映画屋も知らないのでしようね。
アニメクリエーターは逆に判っていそうですが。

天竜二俣ー千頭のSL構想、昨今の一般市民からの盛り上がり鉄道ブームに、政治家さんとかで、なんとかどうにかならないのかと。
ドラマや映画の鉄道シーンとかワンパターンで、なるほどその通り、天竜二俣駅もっと使って! ですね。
遠江二俣機関区の訪問は民営化直前の頃、今で言う葬式鉄さん達で車内はごった返していましたが、その時は乗継の便からか浜松より遠州鉄道利用で遠江二俣へ入り、私はホームでたむろする葬式鉄さん達を尻目に機関区へ一番乗りし、助役さんに見学許可の手続きをしていたら、あとから見学者が来るは来るはで、助役さんも手続き飛ばして、どうぞどうぞ状態でした。
まぁ、そんなありさまでしたし、当時よりの構内写真などもネットや趣味誌で抱負ですので割愛させていただきますが、他の見学者が点在し少々不満気味に機関区見学を終え、事務所に戻って助役さんに東海地区の機関区や扇形車庫の情報を聞き、沼津、静岡、浜松などのお話と、金指駅に転車台があることを教えていただき、話しの最後に第三セクターに転換後は遠江二俣機関区の職員の方々はどうされるのかお尋ねすると、残留し第三セクターに残る人、転勤する人、そして辞めて行く人、そう話され、これまで何十ヶ所と機関区事務所の助役さんに多々お話しをおうかがいしましたが、その助役さんの寂しそうなお顔を拝見したのが、とても印象に残っています。

金指駅の転車台は、帰路のごった返した車内からで撮影も出来ず目撃しただけですが、電動下路式20M級、東海道本線電化後の頃の設置らしいのですが、C58型や8620型のローカル線に20M級転車台設置は、どんな用途だったのかが気になります。


bad.Ⅳh-95さん、E10さん
架線の下だとSLも窮屈そうですね。
E10さんの機関区訪問日記、何かの機会にぜひ拝見したいです。

昔のTMS別冊、レイアウト・モデリング当たりの解説にありましたが、接触限界標識とホーム端の距離が、国鉄駅だと無駄に感じるくらいゆったりと取ってある場合が多いと思います。
だから、TOMIXのホームセットは、私鉄駅臭さが強い気がするのです。

bad.Ⅳh-95さん
やっぱり貨物列車の関係でしょうか。
私鉄の場合はホーム長≒有効長ですものね。

>管理人さん。

その昔、
どこかの市 の市長さん が、
「天竜浜名湖鉄道(御中)と、
 大井川鐵道(御中)をSLでつなげたい」構想 を、
「JR東海(御中)」に打診 した ところ、

回答→
「JR東海道線には、全国からの貨物列車が走り、
普通電車の運転もあり、できない」だった そう。

実際、「乗り入れる にも、
金谷駅と掛川駅の構造が ネック」のもよう 。
=
「人に乗り換えてもらう ほうが、
車両乗り入れする より も、できること」で。

名無しさん
東海道線にSLを走らせるのはちょっと難しそうですね。

そもそも金谷―菊川間って東海道本線開通以来殆ど改良されていない数少ない急勾配区間です。
(箱根・関ケ原に次ぐクラス)

かつて蒸気機関車時代は、友田信号所があったり特殊運用されていたりした区間です。

急カーブが連続する区間で、蒸気機関車と旧型客車を定時運行する・・・

そりゃJR東海は嫌がるでしょう。

あ、管理者さんぜひ友田信号所の配線についてぜひ調べてください。

YMC11さん
友田信号場については鉄ピク誌2007年6月号に配線図を含め記事が掲載されています。

さっそく鉄ピク誌2007年6月号早速探してみます!!
ヤフオクにでているかな~

こんにちは。いつも楽しく拝見しています。
他の第三セクターは、転換時に新規に機関区を設けたところが多数を占めています。
しかし、天浜線は、国鉄時代の静マタ20系気動車のねぐらや駅施設がほぼそのまま使われているため、懐かしい雰囲気が漂っています。
おしむらくは、CTC化が早かったため、腕木式信号が残っていないことです。
途中駅には、昭和60年代でも腕木式の遠方信号機もありました。
あと、どなたかが、金指駅の転車台が20メートル級と書いてありましたが、東海道線電化後に設置されたとのことで、仮説として、東海道線電化で不要となった転車台の再利用ではないかとも推測されます。

鉄ピク誌2007年6月号入手、友田信号所の記事読むことできました。
情報、ありがとうございます。

名無しさん、お役に立ててよかったです。

天竜二俣駅さん、転車台や扇形庫のある3セクは珍しいですよね。

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