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2019年8月19日 (月)

東神奈川配線図

東海道線の駅については過去の記事で主要な駅のご紹介をしてきたつもりでしたが、今になって見返してみるといくつかご紹介モレがあることに気づきました(汗)。
そこでモレていた駅を気の向くままにご紹介します。
今回は東神奈川駅です。

最初に1935年3月です。
193503r_20190817165601
・真っ先に目に入るのは転車台なのですが、1947年の空中写真ではその姿を確認できませんでした。
・この時点では横浜線電車は桜木町駅まで直通運転されていました。横浜線の本線は機回り線付き行き止まりの本線と貫通の本屋側線(?)で、直通列車は神戸方で京浜下り線と平面交差します。
・神戸方の側線は東神奈川電車区です。
・貨物関係では海神奈川駅、高島駅への貨物線が分岐しており、貨物側線も多数設けられています。
・実線と一点鎖線と二点鎖線の違いがよくわかりません。

続いて1951年8月です。
195108r_20190817165601
・大きな変化はありませんが転車台はなくなりました。

続いて1961年3月です。
196103r_20190817165601
・海神奈川駅及び高島駅への貨物支線が廃止され、同時に貨物側線も一掃されてしまいました。

続いて1967年3月です。
196703r_20190817165601
・大きく配線が変更され、横浜線は京浜上下線の間に割り込む形になりました。
・かつての貨物側線跡地には新たに電留線が設けられました。

続いて1977年10月です。
197710r
・横浜線が複線化されました。

最後に1986年3月です。
198603r
・ホームは島式2面に変更され、スッキリした形になりました。
・東神奈川電車区は乗務員区化され、神戸方の検修設備等は撤去されてしまいました。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

はじめまして。
駅の東京方にある東神奈川電車区が昔は神戸方にあったとは知りませんでした。つまり、旧電車区の跡地にあるのが、かなっくホールということですね。

1935年度東神奈川駅の一点鎖線と二点鎖線は多分他の当時の配線図と同じで一点鎖線が非電化線二点鎖線が電化線を表示しているのです(当時電化線の比率が少ない時代ですので解りやすくしたのでしょう) 
横濱鐵道時代非電化線であった関係で構内北側にターンテーブルが存在しておる 
横濱鐵道は八王子方面で織られた絹織物を海外に輸出する為開業した鐵道でしたので東神奈川で海側へ出て其の侭横浜港へ線路が伸びています其の為平行して敷設された京浜電軌は仲木戸駅付近は築堤になって貨物線と立体交差してます現在も旧貨物線跡部分の架道橋は現存してます 其の先の横浜市電生麦線は貨物線と平面交差してましたが貨物線はスルー市電側は貨物線交差部に乗り越し交差しており貨物列車は交差部では無音で通過市電はクロス部で渡り音がしていたと大先輩方のコメントが雑誌にのってました
電車区6番線の奥に謎の貨車が留置されてました略台枠だけシュー式軸受の二軸単車で連結器は密着連結器が装備されてました 

横浜線が京浜東北線を乗り越すところから、海側の住宅と京浜南行線との間に築堤のようなものが残っていますが、これは旧横浜線の遺構でしょうか?

刻苦七十年様
築堤遺構は確かに横浜線の旧築堤の崩されて残ったものです

yyoshikawa様
やはりそうでしたか。
あの上を横浜鉄道の蒸気機関車が走ったんですね。

良いものを見さして頂きました。これで写真があればと思うのです。
修学旅行の時、日光行き乗換えで見た電車庫の佇まいが忘れられず、某誌に要求して見たら、「ル」への荷役風景掲載という思わぬ誤算。ただ車庫側面が見たかったのでトテモ惜しい。
貨物ヤードは東高島駅へ移転したようです。

でるたゐさん
>これで写真があれば
大変申し訳ありません(汗)。でも「ル」への荷役風景写真もそれはそれで貴重ですね。

1946年頃東神奈川駅構内で嘗ての側線の端に京浜急行神奈川新町構内より側線が伸びて居り国鉄側側線と隣接していた状態であり京浜急行(当時は東京急行配下)京浜線の木造中古車輛を高松琴平電鉄や他の私鉄へ転籍の折平行部分で標準軌の京浜線の車輛を狭軌の仮台車へ履き替えさせるため車体台枠下に古レールで仮乗せし横移動させ狭軌台車を履かせ甲種輸送で四国へ向かったのです

yyoshikawaさん
結構スゴイことをやっていたんですね。

東神奈川駅構内から先日京急神奈川新町事故のおりの事故車輛が新町車庫建屋線内に保管されてるのが確認できました 京急では以前より両端先頭車輛は電動車という決まりがあります JRを含め大半の鉄道会社では略制御車を当ててます 会社毎の考え方の違いでしょうが京急では長い間地平区間が多い関係で踏切が多い(他線も同様でしたが)踏切における無理矢理進入自動車との接触事故時先頭車輛が軽い制御車だと転覆の危険があるとの懸念から重たい電動車を先頭に持ってきて自動車をふっ飛ばしてしまうという考え方京急イムズです 其考えは相互乗り入れの都営淺草線京成電鉄線北総開発鉄道線も相互乗り入れ車は両端頭車輛は重たい電動車を採用している 京浜東北線川崎駅での回送列車が保線車輛と衝突の折は見事に転覆してしまいました 今回の神奈川新町での大型トラックとの衝突事故でも京急イムズが発揮されて120㎞走行中に進入してきたトラックを発見急制動を掛けたが衝突脱線はすれど転覆しなかった然も大型トラックが事故の折電車にふっ飛ばされ向きが180度反転して防音壁と列車の間に挟まれ大破火災京急車輛は三輌が脱線だけで済んだのも先頭車に重たい電動車であった為 其々の会社の考え方の違いで価格の高い電動車を先頭に持ってくると破損時修理代が掛かるので価格の安い制御車にするという考えも有りますが 過去京浜急行時代にも自動車との事故が数回有ったが何れも転覆には至らなかったのも先頭車を重くするという考えが発揮されていた 京浜蒲田で国道踏切で通過中の京浜急行電車の側面にトラックが衝突した時は車体側面大破でした 又有る時鋼材を積んだトラックと衝突積荷の鋼材が車内に散乱するも転覆しなかった此の時も電動車が先頭でした 

yyoshikawaさん
踏切事故は根絶したいですね。

嘗て東海道本線と中央本線を結んだ私鉄が三線存在していた其三線は南武鐵道出自の南武線横濱鐵道出自の横浜線相模鐡道出自の相模線です此の三線出自の違いで駅の配線に特徴がある南武線は当初より電気鉄道であった関係で駅間距離が比較的短く相対式ホームが主体です比べ横浜線と相模線は蒸気鉄道であったので比較的駅間距離が長く島式若しくは蒸気鉄道基本駅ホーム二面三線に貨物ホームを加えた標準的駅が主体でした現在どの駅も貨物扱いが廃止され嘗て貨物扱いをしていた遺構がそれとなく感じる駅も存在しています

yyoshikawaさん
南武線だけは私鉄色が強かったわけですね。

東海道本線と中央本線を結んだ私鉄はまだありますね。
身延線の前身である富士身延鐵道、それに飯田線の前身である私鉄4社も該当することになるでしょうか。
これらも早い段階から電車運転を行っていた関係なのか、山間部を走る割りには駅間距離が短いです。

横浜線の平均駅間距離は現在約2.2㎞ですが、昭和50年代以降に新設された駅が多く、昭和39年に新横浜駅が開設される直前の時点では3kmを僅かに超えていました。
同じ時点の身延線2.3km、飯田線2.1kmの方がずっと短かった事に驚かされます。

クモイ103さん
特に飯田線は全長が長いにもかかわらず駅間距離短→平均速度低ですので、通しで乗ろうとすると大変ですね。

私のコメントで申し忘れが有り クモイ103様の追コメントとなりました 確かに身延涎飯田線も東海道本線と中央本線を結んだ元私鉄ですが今回は首都圏における元三私鉄の駅の感じを述べてみたのです
電気鉄道と蒸気鉄道では駅を発車のおり加速度が違う為次駅迄の距離が電気鉄道では短く設けられるが蒸気鉄道では長くなる傾向である其差について述べて見た次第です
東京近い南武線の場合起点の川崎側は開通時より比較的人口密度の高い区間であり駅間距離も短かい 其れに比べ横浜線では丘陵地帯に田畑が広がる田園地帯人口密度も少ない沿線 同じく相模線は相模川沿岸に広がる田園地帯を縫って更に人口密度の低い線でしたので両線共駅間距離は長い そんな関係で南武線は開通時より電気鉄道でしたが横浜線は早い時期に国有化されたが蒸気鉄道のままでした そんな関係で横浜線沿線で広軌(標準軌)の実験線を一時的に敷設し色々な試験をしていました 其の後東海道本線電化の折輸入された各種電気機関車の試験の為電化以降省線電車区間になり後に沿線に移り住む人が増え駅の増設に繋がった 相模線は首都圏としては可也後迄非電化線でした然し漸く沿線に移り住む人が増え電化と相成る次第でありました 

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