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2019年7月26日 (金)

吾妻線の列車ダイヤ その2

吾妻線の万座鹿沢口駅付近でのややこしい運転については以前の記事でご紹介しましたが、家の中の古い資料をあちこち調べていたら1978年10月改正時点での特急車両(田町区の183系)・急行車両(新前橋区の165系)の運用表が出てきました(汗)。
ですのでここでご紹介したいと思います。

197810r
・9時台の特急車両と急行車両の干渉は特急車が羽根尾へ、急行車が大前に逃げることで回避していますね。
・また13時ころには165系が1時間30分近く万座鹿沢口駅に止まっていることがわかります。

また同時に1976年3月時点でのローカル車両の運用表も出てきました。

197603r
・この当時の吾妻線のローカル列車には新前橋区の115系、70系、雑形電車(クモハ60、クハ55など)が使用されていました。
・183系、165系と合わせると5種類もの電車が行き交っていたわけで、実にバラエティに富んだ線区でした。
・長野原駅にはほとんどの時間帯で電車が留置されていますね。特に夜間は115系が8両、雑形が4両、さらに165系が4両、合計16両もの電車が滞泊します。

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コメント

f54560zg さんが引用された資料は国鉄内部のものでしょうか?
そこにはクモハ60、クハ55などを称して「雑形」と書かれているのでしょうか?
少なくとも昭和41(1966)年の時点では、それは用語の誤りでした。
その後の規程の改訂履歴が手元にないので、今度調べてみます。

このダイヤでも、
大前駅の扱いは、
万座・鹿沢口の構外留置線扱いなのがよくわかりますね。

このようなスタイルの路線、駅は他に思いつかないのですが…。

終点駅手前の駅止めはいくらでもあるのですが、
水臨の水島止は結局自工前通過して倉敷タで折り返ししてくるし…。

万座・鹿沢口をなぜ単一ホームにした事情が知りたいです。
買収がうまくいかなかったのか?
それともそれほどの利用客を想定していなかったのか?

あった。
小湊鉄道で、
上総中野まで行かないで、
養老渓谷までで折り返すやつ。
ただここは通票閉塞だったはず。
しかも最後の交換駅超えたら一個列車しか入れなかったような。

クモイ103さん
資料は国鉄内部のものではありません。ここでの「雑形」の表現は「70系より前の旧国」の意味と思われますし、私もそう理解しました。

ゆかわあきらさん
水島臨海と小湊鉄道の例ありがとうございます。
両方とも、なんで終点まで行かないんでしょうね。終点まで行くことのデメリットがよくわかりません(汗)。

少し前にJR東日本の列車運行情報を見たら、「吾妻線は、21時19分頃 大雨の影響で、中之条~万座・鹿沢口駅間の下り線で運転を見合わせています。」と出ていました。この時間帯はもう大前まで行く列車が無いのですね。
輸送段差があればその境界駅で適宜列車を折り返すのは当たり前でしょう。
それがたまたま1駅手前だっただけの話で、何も不思議はないと思いますが。
かつての南海電鉄和歌山港線なんか、四国連絡の特急列車がたくさん入って来る和歌山港の先に1駅だけ存在した終端駅の水軒までは、1日2往復でしたよ。

「出発進行」という信号喚呼を、列車が走り出す時の掛け声だと思っている人は多いでしょう。本当は違いますよね。
「雑形」という車輌の用語を、1輌単位で自由に編成が組めた旧式の車輌のことだと思っている人も、鉄道趣味者の中に結構いる様です。これも違います。
雑形とは、大まかに言えば“国鉄としては規格外の車輌”のことです(かなり乱暴に括った表現ですが)。
しかし正確な定義は時代によって変化があり、またこの用語が定義されていなかった期間もある様で、その辺の正確な所は調査しきれていないのが現状です。
噛みついてしまった責任上、また鉄博ライブラリーの公報マイクロフィルムと格闘ですね…

クモイ103さん
>輸送段差
「輸送段差があれば折り返す」、そこは理解できるんです。ただ私が言いたいのは、「輸送段差があるのに折り返さない」例も結構あるのではないかと思うんですよね(可部線の可部とか城端線の福光とか)。つまり折り返すためには輸送段差以外の条件も関係してくるのではないかと。こまめに行き先を変更するよりすべて統一して単純化したほうが事業者も乗客も錯誤を生じにくいでしょうし・・・。
>雑形
おっしゃる通り厳密な言葉づかいではないかもしれませんが、誤解を招くこともないかと思いますのでご容赦ください(汗)。

水軒の存在は完全に(;^_^A

小湊鉄道時刻
平日
https://www.kominato.co.jp/train/timeteble/31.3w.html
土曜休日
https://www.kominato.co.jp/train/timeteble/31.3h.html

土曜休日の始発が8時台なのも(;^_^A
終電が早いのも・・・。
なのですが、
他と異なり、行き止まりではあるが、他線との乗り換えが可能でありながら、養老渓谷止がトロッコを含め結構あります。
ちなみに養老渓谷~上総中野は列車は4キロちょいですが、車等は大回りする必要から7キロ~8キロと約倍近くあります。歩いたら2時間弱かかります。

f54560zg さん
輸送段差以外の条件も関係してくる、というのはおっしゃる通りと思います。
要は、折り返す場合と折り返さない場合のいろいろなメリット・デメリットを比較して判断した結果なのでしょう。
例えば可部の場合、市街地に隣接してベッドタウン化も期待される地域なので「こまめに行き先を変更するよりすべて統一して単純化」することを選んだのかもしれません。
また福光の場合は歴史ある路線ですから、今さら段差があるからと言って先の区間を間引くわけにはいかないでしょう。
しかし万座・鹿沢口の場合、観光客をどっと降ろしてガラガラになった7両編成の優等列車を、わざわざさらに大前まで走らせる理由は思いつきません。
私としてはむしろ、折り返さず大前まで走らせるという発想が出てきたこと自体が意外でした。
(上野駅で「急行草津号・大前行き」と案内されても、それどこ?となるでしょうし…)

「雑形」については、資料を引用されただけのf54560zgさんには失礼を致し、申し訳ありませんでした。
この用語には正式な定義があり、クモハ60やクハ55などを指すのは「誤解である」事をお知らせしたかった次第です。
鉄道の歴史は、鉄道自身はものを言いませんから、研究者・趣味者がしっかり守っていかなければ風化し、変質します。
f54560zgさんや常連の方々も、軌道や信号関係の用語がどこかで誤用されていたら、穏やかな気持ちではいられないでしょう?


…とここまで下書きして投稿しようとしたら、ゆかわあきらさんのコメントが入っていました。
私も養老渓谷止まりの多い時刻表を眺めていると悶々とした気持ちになるのですが…
それじゃあ私が上総中野まで採算の取れる乗客を連れて来られるのか?となって、そこまでです。
それでなくても小湊鉄道はキハ200形が相当お疲れになっていて、これから車輌にかけるコストが膨れ上がるのは必至です。
そんな中、トロッコ列車という“攻め”の施策に打って出ただけでも凄い事で、上総中野までの増発というのは冒険が大きすぎるのではないでしょうか。

連投失礼します。補足です。
養老渓谷と万座・鹿沢口の共通点は、“観光路線”が終わり、その先は純然たる“生活路線”であることです。
それに対して可部と福光はいずれも生活路線の中間駅ですから、これも扱いが異なる要因なのかもしれませんね。

ゆかわあきらさん
そうですね、小湊鉄道の場合は単なる盲腸線ではないですよね。直通需要は少ないのでしょうか。

クモイ103さん
>上野駅で「急行草津号・大前行き」と案内されても
全く同感です。「どこ?」ですよね(笑)。
吾妻線の開業時点では「ローカルは大前、優等は万座鹿沢口」というすみ分けができていたんです。これは理解できるんです。
ところがいつの間にかローカルでも万座鹿沢口折り返しが出来たんです。今でもそうです。つまり、不思議に感じるのは、「なんで優等を大前まで伸ばさないのか」ではなく、「なんでローカルが万座鹿沢口で折り返すのか」なんです。どうもスッキリしないのですが、結局は輸送需要との関係ということになるのだと思いますが・・・。

f54560zg さん
「なんでローカルが万座鹿沢口で折り返すのか」
私の勝手な思い込みでピント外れの議論をしてしまい、申し訳ありませんでした。

改めて時刻表をひっくり返して見て、意外な事実に気付きました。
万座・鹿沢口~大前間の列車本数は、1971年の開業時には6往復でしたが、1年後の1972年3月改正で最終の1往復が急行崩れの万座・鹿沢口止まりに置き換えられたため5往復に減り、その後実に34年間、時刻の変動はあっても列車本数は変わっていなかったようなのです。
変化があったのは北海道新幹線が開業した2016年3月26日の時刻改正で、朝一番の長野原草津口発大前行きが姿を消し、4.5往復の変則的なダイヤとなって現在に至ります。その折返しと思われる大前発高崎行きは存続していますので、朝一の下りは利用が少なく回送扱いになったのかもしれません。列車本数が1桁のローカル線では昔からよくあるパターンといえるでしょう。
つまり万座・鹿沢口~大前間の列車設定は、開業1年後から現在に至るまで、大枠は変わっていないことになります。
変わったのは万座・鹿沢口までの区間で、激減した優等列車とは対照的に夕方以降の下り普通列車が増えていることから、ここまでは需要があるのでしょうね。

誤:その後実に34年間 → 正:その後実に44年間 でした。失礼しました。

クモイ103さん
スミマセン、こちらこそよくわからない話をしてしまいまして(汗)。
なぜ万座鹿沢口までではなく大前まで建設したのかという気になってしまいますね。

大前と万座・鹿沢口の2つの終着駅が存在しているような状態ですから、やっぱりちょっと不思議な感じはありますね。私はわかりませんがなんとなく、これは一つのトリビアとして、この辺りの経緯を知っている人は割といるのではないかという気はします。
私も気になり、いろいろ調べましたら、吾妻線は大前から先、浅間山麓をトンネルで抜け上田方面に抜ける計画があったらしいです。これは計画として存在したが、浅間山麓の地熱、溶岩帯のトンネル掘りの難しさがあり、実現しなかったらしいです。
それと大前には嬬恋村の役場があるらしいです。役場の所在はそこですが、万座・鹿沢口駅のある上州三原の方が街が大きいのではないでしょうか。
それから万座・鹿沢口は作りかけのような一面一線の駅ですが一面二線にできるように分岐器を設置できるような路盤が準備されているというのをどこかのサイトで見ました。そしてホームの屋根も両翼型と言いますか、一面二線に対応した形状のものです。
建設経緯が不思議さを醸し出しているのかも知れませんね。

ASAMA189さん
情報ありがとうございます。
村役場の存在は大きいかもしれませんね。地元の要望でしょうか。

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