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2019年6月 8日 (土)

瀬野~八本松配線図及び信号機配置 その2

先日、NZさんからご提供いただいた1997年4月時点の瀬野~八本松間の配線図をご紹介しましたが、その後今度はKASAさんから1976年4月と1984年12月時点の同区間の配線図をご提供いただきましたので、ここでご紹介させていただきます。
(全くもって人様からのご支援で成り立っているブログでございます(汗)。)

まずは1976年4月です。

197604r
・上り場内信号機は第1・第2の2段構えになっています。
・火薬庫というのも気になりますね。

197604r_2
・上1、3、5、7は3現示として描かれています。ひょっとしたらアヤシイ可能性はありますが。

197604r_1
・瀬野機関区華やかなりし頃でしょうか。この当時はEF59が24両配置されていました。

次に1984年12月。

02198412r

12198412r
・上1、3、5、7は2現示になっています。

22198412r
・瀬野機関区は、機関区としては存続しているものの車両配置はありません。所属していたEF59 13両とEF61200 8両は1984年2月に広島機関区に移動しています。

 

セノハチの運転取扱については、
・NZさんから1976年3月の岡山局の動力車乗務員執務標準
・KASAさんから1976年4月の広島局の運転取扱基準規定
をご紹介いただいています。

これらを読んでいてちょっと不思議に感じた部分がありますので、以下に整理しました。お詳しい方、解説よろしくお願いいたします(汗)。
(最初はKASAさんの掲示板に書かせていただこうと思ったのですが、こちらに書いてしまいました。)

1)岡山局
>(2)八本松、瀬野間7、5、3、1各閉そく信号機が停止信号現示により停止したときは・・・
●他の閉そく信号機の停止現示により停止した場合の対応は本社規定第277条(停止後1分以上経過すれば停止信号を超えて進行可)に従う、ということでしょうか。この差は何なんでしょうか。

1)岡山局
第11条
●そもそも1976年当時、補機を連結していた列車はどれほどあったのでょうか。
●その中で、走行中に補機を開放していた列車はどんな列車だったのでしょうか。
●「電空付自動開放密着式自動連結器を使用するもの」とはレムフ10000のみ? コキフ10000は?
●補機の連結区間は?
今さらで申し訳ありません(汗)。
2014年の貨物時刻表を見てみると、
・上り定期貨物列車28本中27本で補機を連結(なぜか2076列車のみ補機がない・・・)。
・補機連結区間はすべて広島貨タ→西条
となっています。

第38条
>自連が解錠し、自動ブレーキが作用したことを確かめた後・・・
●これは補機側の話? 列車側は自動ブレーキが作用しない? 電空付連結器では?

第228条・216条・217条
●信号確認位置と解錠位置の関係は
・信号確認位置標識 280k381
・自連自動解錠標 280k281
ですので、電空付連結器の場合、時速40kmだとすると解錠するのかしないのかの判断を9秒の間にしなければならないということでしょうか。結構キワドイ気が・・・。
●電空付連結器とそうでない場合とで解錠位置が違うのはなぜ?

第39条
●上り第2場内が注意の場合は八本松停車になると思うのですが、停車はしても補機開放はしないんですね。
●それにしても状況によって補機が八本松までだったり西条まで行ったりするわけですから、ダイヤや機関車運用は大変ですね。

第41条
●「通信筒」ってどんなものでしょう?

第120条
●この場合、信号機が故障していたらずっと止まっているということ? 先の本社規定第277条は適用されないのでしょうか?

初歩的な疑問ばかりで申し訳ありません(汗)。

こうなると列車ダイヤや西条駅の配線も知りたくなりますね・・・。

配線図はKASAさんよりご提供いただきました。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

本題から外れたところに反応します。
「火薬庫」とは、在日アメリカ軍の「川上弾薬庫」ですね。
googleマップを見ると施設は現存しますが、専用線の痕跡はだいぶ無くなっている様に見えます。
しかし私が訪れた1979年3月と1981年8月には、上り本線に沿ってざっと1キロ半、厳重に閉ざされた施設入口のゲート近くまで、草に埋もれたレールを辿ることが出来ました。
かつてセノハチ専用補機の活躍を追って駅間10.6キロをものともせず山道を駆け巡った多くの先達の方々も、おそらくこのレールを記憶に留めておられることでしょう。
この専用線がいつまで使用されていたのかは存じませんが、D52が後補機として奮闘していた1950年代には、隣接した線路に軍用の火薬類を積んだ貨車が行き交っていたのかもしれません。
すると防災保安上、運転に関して何らかの制約が課せられていたのか?と想像(妄想)が広がってしまいます。
全くの余談で失礼しました。

 クモイ103さま。 説明をありがとうございます。この弾薬庫への貨車の入換を八本松折り返し間合いの補機D52が行っていました。
 警戒は厳重で巡回する武装したアメリカ兵を見たことがあります。警告掲示には「ここはアメリカ軍の施設です。立ち入ると日本の法律によって罰せられます」とありました。
 外国の軍隊が駐留するというのはこういうことか、とモーレツに腹が立った記憶だけは今も鮮明です。

また忘れました 上はC6217です 馬鹿は死ななきゃ直らない

クモイ103さん、 f54560zgさん、みなさん、こんばんは。記事をありがとうございます。

八本松は、駅から延びる専用線の観点からも興味深いですね。

http://hunir.html.xdomain.jp/contents/festneta/2018_2_2.html

のサイトなどをみますと、図面左上方面へは、昭和43年まで国鉄の材修所への引き込み線ものびていたようです。

旧陸軍の施設の跡地がレールセンターということで、千葉の材修所に似ているなと思いました。


>通信筒(第41条)

広島局の基準規程に特に説明はありませんでしたが、下記サイトをみますと、通信文を入れるための封筒のようです。

https://chiebukuro.travel.yahoo.co.jp/detail.html?qid=11141048691


c6217さん、投稿の時間が重なってしまいました。失礼しました。

C6217さん
ご教示ありがとうございます。
貨車の入換をD52が補機仕業の間合いで行っていたというのは知りませんでした。
考えてみれば、この駅ではちょっと仕事を頼むことのできる機関車には事欠かず、わざわざ入換機を調達するには及ばなかったのですね。
ただもしかして、弾薬庫の敷地へ入っていく専用線内の牽引は米軍のDLでしょうか?まさかDD12とか?

弾薬庫入口のゲートにはいろいろな掲示が掲げられていましたね。
「注意 軍用犬巡回地区」なんてのもありました。
あと「マッチ、ライターは警備員に預けて下さい」というのは、別段軍隊でなくとも至極納得の内容です。

そんなものものしいゲートの中へと、廃線跡は続いていました。
ゲート越しに覗き見える範囲では、路盤の跡地が判別できる程度で、線路そのものの痕跡は無さそうだったのがせめてもの救いでした。
もしもあの時レールが残っていたりしたら、ゲートのすき間からカメラを突っ込んで咎められていたかも…(汗)

KASAさん
専用線跡の近況がわかるサイトをご紹介下さり、ありがとうございます。
EF59を追った学生時代を思い出し、懐かしい思いで見入ってしまいました。
敷地内の専用線の写真には驚きました。

この専用線は上り本線に並行し、走行解放地点でもぴったり寄り添っていて、列車撮影のカメラアングルに画角の余裕を提供してくれる有難い存在でした。
セノハチ撮影行の隠れた“風物詩”だったのではないかと、私は勝手に思っています。

弾薬庫とか、補給廠は神奈川県内は、
逗子(池子、現米軍住宅)
淵野辺(相模原、線路は淵野辺から)
と、こんなにありました。

逗子は旧東急(現 総合車両製作所)の専用線として現役ですが、
淵野辺は・・・・

逗子はDEでしたし、今もそうですね。

通信筒(砂袋)のこと。1960年頃の山陽本線の蒸気機関車の緊急用具箱の中に砂袋が入っていたのを目撃しています。
掌に入る程度の砂の入った布袋に荷札が1枚裸で取り付けてあります。簡単なメモしかできませんがいつでも直ちに使用可能ですね。ホームへ投げるのも危険はありませんし。

本文末尾の疑問について。

岡山局(2) 他の閉塞信号機のR現示のときは基本どおりの扱いで無閉塞運転に移ります。この4本のみは無閉塞を行うと次の信号機のR現示で停止する可能性があり、そのときは本務と補機がトンネルを挟む(またはトンネル内)ので無線連絡が出来ません。つまり発車の打合せが不能となります。これを防ぐために八本松駅長との連絡を義務づけています。
トンネル内では指令と機関車・車掌との無線連絡は可能ですが、機関車同士あるいは機関車・車掌間の通話は無理とされています。これは地上側のアンテナ設備の差によります。

岡11条 貨物列車全部と旅客列車のほとんどは補機を連結しています。ブルートレインはEF65(本来は貨物機)なので補機不要です。
高速貨物はすべて空気管内蔵の密着自連ですがレムフ以外が空気管締切の電気回路を内蔵していたかどうか確認できません。装備していたのなら走行中解放を行っていた筈です。
補機連結区間はすべて広タ~西条です。運用の合理化と作業のための人員配置を考えると結局はこうなります。
補機なしの1本は牽引両数が少ないためでしょう。現在でも定期で両数が少ない場合は直ちに補機省略となります。

38条。 補機のみ自動的にブレーキが作用して停止します。別稿で書きました、停止を勝手に省略して追突事故を起こした反省によります。人間を信用していないわけです。

前項の追記。補機のない列車は指定便かも知れません。甲種輸送(電車などを連結したとき)では連結器の強度から補機を禁止することがあります。これを1本設定しておくと、いざ甲種が入っても何にも変更手続の必要はありません。

現在のJR西日本の規程類が
参照できれば一番いいのですが、
2現示式の閉塞信号機の取扱は
今も変わりないんでしょうか。

瀬野・八本松両駅とも駅側での運転取扱が
無くなったからか委託化されていますね。
八本松は列車の状態監視やホームの
見通し悪さ故に駅長の立番・閉扉合図
があってもおかしくなさそうなところですが。

こんにちは。瀬野駅の「機待1、2」の線路があった部分は上下の本線よりもやや小高くなっていまして、現在でも2線分のバラストが敷かれた不自然な空間として残っていますよ。瀬野機関区があったことや以前の配線を知らなかった頃にここを通って、この不自然な空間は何なんだろうと疑問に思ったことが懐かしいです。八本松駅の中線は、昨年の豪雨災害の際には仮設ホームを設置して折返し運転で使われました。

皆様
たくさんのコメントありがとうございます。
セノハチへの理解が深まりました。

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