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2019年5月11日 (土)

伊予大洲・八幡浜・宇和島配線図

t_yosiさんからご提供いただいた四国総局各駅の連動図表のご紹介です。
(一覧表はこちら)
(路線図はこちら)

今回は、入換標識が設けられた駅のその2です。

●予讃線 伊予大洲駅 1986年3月
51198603r

●予讃線 八幡浜駅 1986年2月
54198602r

・安全側線は設けられておらず、警戒信号も現示しません。本線が4本もある大きい駅ですが、同時進入はできませんね。

●予讃線 宇和島駅 1986年2月
61198602r

・予讃線の終点です。
・かつては宇和島機関区、松山気動車区宇和島支区が設けられていました。
・1969年3月時点ではC12が2両、キハ52が2両、旧型客車が8両配置されていました。C12は機関区ですがなぜかキハ52も機関区で、客車が気動車支区という、ちょっと妙な配置でした。

配線図はt_yosiさんよりご提供いただきました。

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コメント

配線図連動図とは関係無い事ですが家に有る戦前日本地図に多分1930年代の地図で宇和島には何処にも繋がらない普通鐵道が存在していた子供心に何処にも繋がらない鐵道の不思議 此の地図には他にも何処にも繋がらない鐵道が幾つか掲載されていた(尚当時の事台湾朝鮮樺太も此の日本地図に含まれてます)
当時未だ全国に國有鐵道があまめく行き届いて無い時代で各地に地元だけの鐵道として建設された 当時宇和島鐵道もそんな何処にも繋がらぬ地元鐵道となったのでしょう宇和島鐵道は762㎜軌間の軽便鉄道でした 宇和島迄國有鐵道が開通の折改軌され現在に至った 

yyoshikawaさん
予讃線関係では愛媛鉄道も孤立した鉄道だったようですね。

松山運転所構内の見学を終え事務所に戻り、ちょっと忙しそうな助役さんに伊予大洲に転車台が有るのか尋ねてみると「転車台が有るのは八幡浜! 、前後に峠が有って、昔はSL2台で峠を越えてたから!」と教えていただき、伊予大洲での宿泊予定を八幡浜に変更し、607Dの乗客となりました。
私にとって超珍しく書き残したメモと持ち帰った切符類によると、昭和61年12月14日、607D うわじま7号 2号車8A席 キハ28ー5218 八幡浜駅18時20分着 だったようです。
特徴的な八幡浜駅を出て、左手に宿泊出来そうな小ぶりな建物を見つけると、駅前通りの斜め向かいへ行くように案内の張り紙がしてあり、そちらは立派なビジネスホテルでチェックイン後、既に日没後で、早速に駅前通りに出て、とある店舗で買物をしようと商品をレジに持って行くと、店番をしていたのは、なんと制服姿の中学生で(胸元の名札で判りました)ちょっとびっくりでしたが、その子が商品を袋詰めしていたら何かのキッカケで会話始まり、他にお客さんが来なかったことも手伝い、当時としては前衛的な名前だったその子の下の名前と漢字(今の元号に発音も似ている一字違い)や、健康的なチャーミングさに私が惹かれたのか、その子も話し上手で会話のキャッチボールが弾み、最後は互いの名前と電話番号を交換して店舗をあとにしたのですが、好事魔多し!で、ホテルに帰りフロントに翌朝は早めの出発時間を伝えていたのに、翌朝フロントに降りてみると、なんと誰もいない状態で、清算は済ましていたのでホテルから出ようとしたのですが、どの扉も施錠してあり脱出不可能で、予定の列車には乗れずガックリで、もし火災とかあったらとか、フロント係が来るまで暗い気分で過ごしました。
その後、民営化後でも九州行きとフェリーを絡めて八幡浜の街に行けなくもなかったはずなのに、当時は何を想っていたのか連絡は取らずじまいだったようですが、実は10年ほど前、20数年ぶりに八幡浜駅を再訪し、微かな記憶を頼りに駅前通りを歩き、古そうな商店で昔のことを知っていそうな方々に聞き込みしてみたのですが、なんの手がかりも得られず、当然、当時の電話番号は不通で、やはり自分の人生、そんなに上手くはいかないよ、と教えられた八幡浜駅で、今は彼女が綺麗な字でメモ書きした小さな紙が思い出とともに残っています。

E10さん
無煙化が比較的早かったせいか、そしてまた私との物理的な距離のせいか、四国の転車台についてはあまり情報が得られませんでした。八幡浜には転車台があったのですね。
いつもの通り、旅先での思い出話ありがとうございます。私の場合は、前にもお話ししましたが、職務質問ぐらいだし・・・。

昨年四国旅行をしたのですが、宇和島駅の先端はもう頭端式になってしまって引き上げ線は有りませんでした。
あの瀬戸大橋で使うアンパンマントロッコが遠足か何かの団体列車として1番線に入っていた上に、
乗った予土線はなんちゃって新幹線のキハ32。
何故かとてもついていた1日でした。

名無しさん
宇和島駅は頭端式になってしまったんですね。

11月22日放送のNHK BS2よみがえる新日本紀行(1967年放送南伊予)を見ていて感じたことを述べます先ず新日本紀行という番組には良く鉄道シーンが毎回略出て来ることです当時当たり前に色々な車輛や鉄道風景が見られる事です 当時当然ですが映画フィルムで撮影されており16対9画面で撮影されていた事が意外でした当時普通のTV番組では4対3が主流であったので意外です タイトルバックに8輌編成のDC急行が中間駅で貨物列車と離合する姿が有りました当時予讃線でも未だ長大編成の列車が運行されていた 宇和島駅では到着した急行宇和島号を映しており同時に構内放送も録音されており乗り換え案内はホーム末端から隣ホームへ踏み切りを渡る事を放送していました 番組中盤では村の集落に花嫁が嫁いできて村の人達総出で歓迎するシーン老若男女が狭い村の道一杯になり嫁いで来た花嫁を歓迎しています
今では人口減少でこんなシーンは視られ無くなってます 南予地方は御存知蜜柑の産地急峻な山間に広がる蜜柑畑で作業する人々海では漁業に携わる漁師達国鉄の機関手が南予名物牛相撲にのめり込む様子番組最後には宇和島駅を発車するC58牽引の貨物列車有蓋車二輌に有蓋緩急車一輌最後部に補機としてC12がバックで繋がって行くシーンで終了 本編終了後現在の南予地方の様子が流れており村に嫁いで来た花嫁さんの現在の姿が出ています
予讃線の現在の列車が出てきてますが四国名物ステンレスDC一輌だけの列車シーンが出てました

yyoshikawaさん
新日本紀行、懐かしいです。主題曲が好きでした。

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