« 渋川配線図 | トップページ | 坪尻・新改配線図 »

2019年4月 9日 (火)

渋川 2016/6/4

2016年6月の渋川駅の様子です。

01p1110001
・大宮方です。上り本線です。

02p1110002
・上り1番線です。

03p1110004
・振り返ります。ホーム壁面の穴はかつての機械連動時代の名残でしょうか。

06p1110022
・跨線橋からです。

07p11100251
・この辺りはかつては専用線が伸びていたのでしょう。

08p1110024
・振り返ります。

10p1110018
・宮内方です。

12p1110005
・上りホームの宮内寄りです。

17p1110006
・宮内方です。上り1番線の右側の列車停止標識がちょっと「?」です。上り2番線用の名残?

19p1110008
・その先のほうです。写真中央やや左の列車停止標識も「?」です。

20p1100989
・旧前橋街道踏切からです。

22p1100991

25p1100995
・かつての貨物扱所は保守基地になっています。

41p1100994
・保守基地への線路は横取り装置です。

51p1100984
・吾妻線の場内信号機です。

51p1100987
・上越線の上り場内信号機です。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 渋川配線図 | トップページ | 坪尻・新改配線図 »

コメント

私はやっぱり「国鉄」が好きなだけのオッサンなんだな、と思います。
あれだけ思い入れのある渋川駅でも、今日のこの姿には、何の感情もわきません。
私は耄碌してしまったようです。

誤解のないよう付け加えますが、プログ主様には感謝の気持ちしかありません。
だからこそ、鉄道の情景を無味乾燥にしてしまったJR各社には万斛の恨みを禁じえないのです。

吾妻線の線内折返しは考慮されていないのか・・・と思って過去の時刻表を改めてひっくり返しましたが、上越線高崎方面へ直通しない渋川始終着の吾妻線列車は、山陽新幹線が岡山まで開業した昭和47(1972)年3月15日時刻改正で消滅していたのですね。
半世紀近く(!)も認識がズレていた様です。

名無しさん、お察しいたします。私も同じです。

クモイ103さん、遠い昔の出来事になってしまいましたね。

5枚目の専用線跡は、私が訪れた2009年でも既に撤去されてましたが、まだ駐車場ではなく一面バラストでした。 おそらく以前はこの広大な敷地に何本にも枝分かれして活躍してたのでしょうね。
また6枚目の俯瞰した景色は、2009年も偶然同じ角度で撮っていて比べると、線路の風化は大分進んでます。
お役御免となった線路は、錆びて朽ちてやがて撤去されてしまうのは何とも悲しいです。

猫OGさん
廃止されてその土地が早々に別の用途に転用されるのと、いつまでも錆びた状態で放置されるのと、どちらが幸せなんでしょうね。

>管理人さん。


新前橋まで乗り入れ=
電車区の関係 と
群馬県庁所在地=前橋へ の接続
&
高崎まで乗り入れ=乗り換えの関係

「線内だけ ですと、折り返す際 の」があるので。


コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 渋川 2016/6/4:

« 渋川配線図 | トップページ | 坪尻・新改配線図 »

過去の記事

2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ