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2019年3月 3日 (日)

下関 2015/6/21 その1

幡生駅のお隣り、本州最西端の下関駅です。
今回はその1回目、ホームの神戸方の様子です。

KASAさんのサイトで配線図が紹介されていますので、合わせてご覧下さい。

01p1080967
・9番線です。

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・振り返ります。一番右は貨物扱所からの通路線です。

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・8番線です。

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・7番線です。

12p1080986
・6番線です。

13p1080990
・振り返ります。
・5番線にはホームはありません。

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・4番線です。

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・3番線です。

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・左の線路は貨物通過線です。

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コメント

JRの会社毎の考え方の違いか東日本では積局的にコンクリートの重枕木化を推進西日本では幹線の主要駅である下関であれど木製枕木が本線に未だ存在しておるのは驚きです一部コンクリート枕木化はされてますが

山陽本線の旅客列車は全部が下関止で、九州からの列車もほとんどが下関~小倉のピストン運用です。一部の九州側の日豊本線の直通は415系が大分の基地に帰るためでしょう。
そうすると下関では全乗客が突合せ乗継ぎとなります。ホームの使用方がうまく配分されているのでしょうか? さらに山陰本線が加わります。
下関の電機基地は電車に使用するのでしょうか。それとも貨物からの委託?

yyoshikawaさん、そうですね、確かに違和感を感じますね。

名無しさん
詳しくはわかりませんが、下関駅での乗り継ぎはさほど考慮されているようには思えませんね。

また先項で名無しで失礼しました。
山口県西部は社会的に北九州を向いていますから、輸送需要はあると思われます。下関市はイヤがリますけど。
乗り継ぎ前提にダイヤを組めば1本のホームでほとんどの乗換を実現できそうです。

下関の写真をありがとうございます。また拙サイトもご紹介いただき恐縮です。ありがとうございます。

架線柱の形状とか懐かしい感じがしますね。いずれは、インテグレート架線(?)の架線柱とかに更新されていくのでしょうか。

1990年代の初頭に一度訪れたことがあります。山陽方面と九州方面へ同時刻に発車する列車があり、間違えて乗ってしまった思い出があります(汗)。九州方面へ行く予定が幡生で折り返す羽目になりました。幡生での待ち合わせ時間がかなりあり、私としては楽しかったですが。

かつては、九州から来る交直流の電車が小郡あたりまで直通していたような記憶があります。

KASAさんのおっしゃるように、ある時の小郡駅で九州の車両を見た時はびっくりで、C6217さんのお話のように、関門間の下りの門司駅や小倉駅、上りの下関駅での降車客の多さにもびっくりでした。
ちょっと飛躍しすぎる連想ですが、敦賀駅発伊予市駅行きとか、企画商品を考えてほしいかな、とか思ってしまいました。

下関駅のイメージは、長らく あさかぜ の一部などの寝台列車が終着駅だったのと、昼間によく見かけていた、しおじ ながと 等の行き先でしたので、憧れと馴染み深さが交錯する駅でした。
民営化頃は、関門の機関車交換やブルトレ牽引機を擁する下関機関区とターミナル駅のイメージで、ホームに降り立つだけで身震いするような威厳を感じる駅でした。

時を経て何度か利用していますが、f54560zgさんが取材された頃になると、かなり乗換駅としては不便さを感じる駅で、まぁ、私の地元駅のように、不足、不満、不安、と三拍子揃ってはないのでしょうが、なんとかならないものかと思ってしまう感覚でした。

移転前の山陽鉄道時代からは、唐戸地区だったでしょうか、左へ大きくカーブしての終着駅で、工場、機関区、ターミナル駅と敷地は広くなくとも、転車台を2基擁するまとまった鉄道設備だったようです。

皆様
私はあまりそのあたりには注目していなかったのですが、「海の向こう」とはいえローカル電車での人の移動は結構あるんですね。個人的には優等列車の客がほとんどという印象が強かったもので(汗)。
下関界隈は車両基地設備と貨物側線の数が半端なさそうですね。

管理人様、
私は北九州市在住です。関門海峡を挟んでいるとは言え、下関市は北九州都市圏の一部と見る向きもあります。以前は九州から山陰、山陽直通の列車も珍しくなく、420・423系は小郡(現 新山口)まで乗り入れていましたが、現在は全て下関止まりで完全に分離され隔世の感があります。415系もかなりの年数を経ており、後継車が気になるところですが、新車の噂は聞こえてきません。門司駅での上り列車停車中の交直転換試験、デッドセクション直前の遮断器の作動音など、直流区間に入る際の風物詩です。

関門海峡を挟んだ下関と門司は古くから一体の都市圏、ということが、鉄道連絡船の歴史に関する本には語られています。
青函トンネルの開通で青函連絡船が廃止されたのとは対照的に、関門トンネル開通後も関門連絡船は20年以上、東海道新幹線開業の年まで存続しました。
関門海峡には自動車道路だけでなく歩行者用のトンネルもあり、その上民間の船便も頻繁に運航されていて、対岸同士の強い結びつきをうかがわせます。

海峡連絡を担う415系の後継車はまだ情報がありませんが、まあ多分「でんちゃ」じゃないですか?

下関と門司は江戸時代の昔から片や長州藩片や小倉藩の支配下であったが人々の往来は盛んであり両町間の住民の中には親戚関係の家も多々存在していたのも事実でした 幕末蛤御門の変で朝敵になり幕府軍と相対した四方戦争で特に小倉藩との間の戦いでは親戚同士が争う状況で壮絶であったと歴史にあります・・
日本の都市で海を挟んでいる所は少なくないですが特に狭い海峡の其の両側に都会が有るのは関門海峡だけでしょう今も海峡を挟んで人の行き来が多いのは此処位ではと思います

>直通列車
昔は山陰・宇部線からも直通列車がありましたからね。ここに限らず直通列車が分断されてしまったところが各地にあるのではないでしょうか。

先日久々に下関を訪ね、関門トンネル開業前の駅付近や、現在は道路となっている本線の遺構などを見て回りましたが、若い頃に来た下関駅とは打って変わり、売店や立ち食いうどん屋も無くなっていました。かつて優等列車が頻繁に発着し、機関車の交換や九州からの乗り入れ列車等で、一日中居ても飽きない活気ある雰囲気は消え、通勤通学のお客様が淡々と利用される駅に変わっているようで、時の経過を感じます。

キハ65さん、おっしゃる通りですね。
かつての長距離列車発着駅とは思えない、無機質な雰囲気になってしまいました。

下関駅の欠番ホームについてです。下関駅は関門連絡船で九州と連絡をしており、関門トンネル開通後も関門連絡船は運航していました。1・2番ホームは関門連絡船の乗船ホームでした。3・4・5番ホームは山陰線の専用ホームでした。5番ホームは山陰線折り返しの欠けホームが存在していました。欠番ホームはもともと使用されていたのですが関門連絡船の廃止。3・4番線が山陽線下りホームになり5番ホームは廃止されました。今でも幡生-下関間には山陰線専用路線の名残が残っています。幡生-下関間は山陰線、山陽線の上下の三本の線路が存在していました。

幡生-下関間に3本の線路があったとは知りませんでした。いつ頃からいつ頃までの間だったのでしょうか。

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