壬生川・伊予亀岡・内子・箸蔵・豊永・繁藤配線図
t_yosiさんからご提供いただいた四国総局各駅の連動図表のご紹介です。
(一覧表はこちら)
(路線図はこちら)
今回は、
・主本線・副本線により3本の本線が設けられている。
・連動装置は第1種継電、おそらく進路てこ式。
・閉そく方式は単線自動閉そく。
を共通要素とする駅です。
●予讃線 壬生川駅 1985年2月
・3本の本線は、上下共用の本線と下り専用の待避線及び上下共用の待避線という、ちょっと微妙な使い分けですね。
・ここで対向となる進路の構成の防止に着目してみましょう。
まず2Rに対する2L。これはてこを共用していますので同時には構成できません。4Rと4L、5Rと5L、7Rと7Lも同様ですね。
次に2Rに対する5L。5Lは(11又は〇2L)となっていますので、11であれば2Rの〇11と転てつ器の条件が異なりますし、また〇2Lであれば上記と同じく2Lと2Rのてこの共用により競合が防止されます。
4Rと7Lでは13の定反位の条件が異なります。
信号てこ間を直接鎖錠するケースをよく見かけますが、この場合はてこの共用や転てつ器の条件でカバーしていることがわかります。
●予讃線 伊予亀岡駅 1985年2月
・安全側線はありません。
・ここも上下共用の本線と上り専用の待避線及び上下共用の待避線という、微妙な使い分けです。
・ここでは2Rと5L、4Rと7Lという対向となる進路については信号てこ相互間に鎖錠を施していますね。
●内子線 内子駅 1986年2月
・移転したのちの姿ですね。移転したのは1986年3月ですが。
・新谷駅同様、予讃線と内子線の境界の駅となっています。
・下り本線と上り本線、それに上下共用の副本線という、ポピュラーな配置です。
●土讃線 豊永駅 1986年11月
・705R・705Lで進路外の724が記載されているのがナゾです。703Rには記載されていないんですけど・・・。
配線図はt_yosiさんよりご提供いただきました。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。
« 北伊予・伊予中山・新谷・塩入・阿波川口・小歩危・土佐岩原・大田口・土佐北川・土佐一宮配線図 | トップページ | 幡生 2015/6/21 その4 »
コメント
« 北伊予・伊予中山・新谷・塩入・阿波川口・小歩危・土佐岩原・大田口・土佐北川・土佐一宮配線図 | トップページ | 幡生 2015/6/21 その4 »
単なる駅の感想になりますが、内子駅は2年前に特急で通ったことがあります。
海線から山線に分岐し、猛烈なエンジンの唸りと加速で高速走行して勾配やトンネル区間を突っ走ったのが印象的でした。
内子駅が高架だったとは知らず意外でしたが、駅前に C12型が保存されていて、宇和島機関区跡の扇形車庫とセットで、なんとか観光資源にならないものかと感じました。
既に駅名は忘れていたのですが、ちょっと嫌な予感がして繁藤駅を調べたのですが、やはりと言うか、国鉄時代の高知機関区で土讃本線の D51型の話しをお聞きしていると、土砂災害の話しになり、列車ごと流されて、機関士さんは直前で回避出来たのですが、乗客への責任感から逃げ遅れた車掌さんは殉職され、当時の国鉄マンの使命感を感じるお話をうかがいました。
投稿: E10 | 2019年2月23日 (土) 18時07分
○豊永駅
>705R・705Lで進路外の724が記載されているのがナゾです。
723と724イが同じ軌道回路(724イT)にあるので、仮に705R・705Lで724を定位鎖錠しないと以下のような不都合が生じるからです。
・上り列車到着に備えて705Lを設定。このとき、724がたまたま反位だったとする
・その後上り列車が進入してきて、724イT上に在線する
・このタイミングで下り列車が接近してきて、場内702Rを設定しようとしても、
・下り出発704Rは当然設定できない(上り列車が進入中なので)
・724を定位転換させて安全側線に開通させようとしても、724イTに上り列車が在線していて、てっ査鎖錠が効いているので724は転換できない
となってしまい、702Rが設定できなくなってしまいます。
こういう不都合を防ぐために、705Lを設定したタイミングで予め724を定位転換するようにしています。
705Lを例にして書きましたが、705Rの場合も同様(先行:3番線→終点方、続行:起点方→1番線)です。
投稿: 名無し信通区 | 2019年2月23日 (土) 19時57分
こんばんは.更新のスピードがスゴいです。思い出のある駅名が次々登場して追いつけませんです(汗)
>壬生川と伊予亀岡
似ていますが、RC時代、伊予亀岡は被制御駅で「1線スルー」の配線ですね。壬生川はかつて入換駅で、11号は2番線側が定位です。交換のないときは本屋側に列車をとるようにしていたので、こうした配線になったと思います.この辺りも撮影でお世話になったところです.
>内子
内山線(予讃本線の新線区間)開通の日、この駅にいました.高架のプラットホームには地元の子どもたちが整列して日の丸の旗を振り、上りの181系特急「しおかぜ」を見送りました.昭和の光景でした...
内子駅は移転したのですが、旧駅に残った線路で、復刻されたSL「坊ちゃん列車」が運転されたのも思い出です.
>箸蔵
かつて3番線には、後続特急を退避する客車列車がありましたね.
1981年の2月頃だったと思います.深夜に通過するDF50重連の上り貨物列車がありました.動画など簡単に撮れない時代、スチル撮影は無理なのでウォークマンをもって録音に行きました.ホームの陸橋から見た、霧の中を独特のエンジン音を響かせ、佃からの勾配を上ってくる光景は感動的でした.とても寒い夜で、乾電池の電圧降下なのかカセットテープは回転ムラがおき、残念な録音結果になりました.
>豊永705R, 705L
後から702Rを引くとき、724定位でないと同時進入できませんので条件が入っているのだと思います。
(名無し信通区さんが詳しくコメントされていました。ありがとうございます)
投稿: 3RT生 | 2019年2月23日 (土) 20時09分
E10さん
繁藤駅の土砂災害の情報ありがとうございます。大惨事だったのですね。知りませんでした。
名無し信通区さん
さすがですね。納得しました。
3RT生さん
一刻も早く皆様にご紹介しようと日夜奮闘しております(笑)。
3RT生さんは「良き時代」の四国に結構足を運ばれていたようですね。私は残念ながら・・・。
投稿: f54560zg | 2019年2月24日 (日) 20時09分