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2019年2月 3日 (日)

広島(操車場)配線図

広島付近の配線図は持っていないものと思っていたのですが、何気なく古いデータを見ていたら以前SYさんからご提供いただいた図面を発見してしまいました。
せっかくですのでご紹介したいと思います。

但しいつ頃の図面かよくわかりませんで、また実際のものなのか計画図なのかもはっきりしないところがあるのですが、ご参考までに(汗)。

最初はこの図です。

1r
・広島操車場は1916年の開設ですので、少なくともこれ以降の図と思われます。
・広島操車場と宇品線を結ぶ短絡線が描かれていません。この線路は本線ではなく側線であるため、いろいろ調べてもいつ頃設けられたのかがわかりませんでした。
・操車場部分にはハンプが記載されています。このハンプは1925年に撤去されたようですので、この図は1916年から1925年の間のものかもしれません。
・図の右下には「芸備鉄道」と書かれた破線の線路があります。芸備鉄道の買収は1937年ですので、つじつまは合いますね。
・この破線で描かれた芸備鉄道線、広島駅方向には線路が伸びているのですが、矢賀駅方向には線路が伸びていないのが気になるところです。車止めではなく左側にも線路が伸びているのではないかと思うのですが。車両基地らしきところには転車台も描かれています。
・将来広島第二機関区となる付近には転車台が描かれているのですが、1939年の空中写真1945年の空中写真とを広島第一機関区の扇形庫の直径を基準にして位置関係を比較すると、位置が変わっているようです。このあたりは再整備が行われた模様ですね。
・伯備1~4番線と書かれた線路もナゾです。

次はこの図。

2r
・最初の図とは宇品線の短絡線、倉庫線が増えている以外は大差ありません。
・また広島第二機関区付近には「ガソリン動車庫」の文字が見えます。
・この図が正確な縮尺に基づいて描かれたものだとすれば、1939年の空中写真とほぼ一致していてるように思えます。

最後にこの図。

3r
・これはKASAさんのサイトの1976年の図面とほぼ同じですね。
・広島操車場が抱き込み式に改良されたのは1965年ですので、それ以降のものと思われます。

広島第二機関区は出自が芸備鉄道の車両基地かというと若干微妙ですが、全く関係ないものでもなさそうです。第一は山陽鉄道、第二は芸備鉄道であるということであればおもしろいですね。

なお年ごとの出来事は「鉄道による貨物輸送の変遷」を参考にしています。

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コメント

 私の生まれる前の図面をみて興奮しています。
 最初の図。 芸備鉄道の基地と国鉄の基地が並んでいたのもはじめて知りました。また芸備基地
の右方は旅客ホームと推定します。
 推定を重ねますと、国鉄の転車台設備は広島駅の旅客機の折り返しではないでしょうか。旅客機の全部が単線の入出区線を通って広島機関区へ入出区していたのか疑問です。
 最後の図では下り旅客線が高架で抱き込みになっていますが、上り旅客線は広島駅の入出区作業と、広島操車場では芸備関係と平面交差が残っています。
 その仕上げが別項で紹介した上り旅客線の抱き込み配線でしたが、新幹線に用地を譲ったため実現可能性は0となりました。そうすれば広島駅は芸備ホームを山陽ホームが抱き込む形になって効率化が計られた筈です。

りで

C6217さんのコメントに、ハッと気付かされました。
これまで多々あったf54560zgさんの記事の更新時に、自身の生まれる前の配線図などを目にした時、感激を通り越し、驚嘆や驚愕の感情を覚えたものでした。
これは大袈裟な表現ではなく、私にとっては日常を通り越した、非日常の感性であり、広島の前項の EF55型のお話のお礼とともに、C6217さんに感謝申し上げます。

教習車と言えば、民営化前後の頃、姫路駅の電留線に EF651132号が数ヶ月に及んでいたしょうか留置されていて、当時は駅前が勤務先だったこともあって、所謂、飾磨街道の豆腐町(とふまち)踏切を通ると EF65型が見渡せ、あるとき意を決して人気の少ない夜間に撮影に出向きました。
電留線のエンド側に保線関係らしき詰所があって、夜遅くにもかかわらず明かりがついていて、職員のかたがひとりおられ撮影許可を申し出ると、「わしがええ言うわけにいかんけどな、まあええやろ」と構内に入れていただき撮影出来ました。
しばらく留置されていたことを尋ねると、「たぶん運転士の訓練用やろ」とお答えされ、また、長万部機関区を訪問した時も、扉の閉まった薄暗い十数線の扇形車庫内にポツンと DD51型が留置してあり、見学手続きをしていただいた助役さんに尋ねると、運転士の教習車として借りて来ているとお答えいただきました。
そういえば、同じ頃だったでしょうか、姫路第一機関区の転車台から神戸方の線路に EF81型が頻繁に来ていて、こちらもオリエント急行が姫路駅での機関車付け替えでの運転士さんの訓練用だったかも知れません。

末尾になりましたが、SYさんご提供の配線図の本頃、是非とも SYさん御自身の重厚な解説を以前の他頃同様にお聞きしたいと、SYさんファンの私のみならず、読者の皆さんも熱望されていることと存じます。

C6217さん
第二機関区の転車台、おっしゃる通り第一機関区の転車台と分担して蒸機の転向に勤しんでいたのかもしれませんね。

E10さん
何か変化が起こる前には、意外なところで意外な車両を見ることができそうですね。

f54560zgさん、こんばんは。

古い時代の広島界隈の配線図をありがとうございます。

特に、宇品貨物線が当初からはなかったことや、芸備鉄道の東広島駅などの位置がわかり感謝申し上げます。

C6217さんとE10さんのコメントもいつも興味深く拝読しております。

図面を提供されたSYさんにも感謝いたします。わたしも、SYさんのコメントを熱望している者の一人です。

 E10さまのコメントで、姫路第一区機関区の転車台からEF81が・・・の描写は転車台に架線が張ってあることを意味します。他には沼津機関区にあったと聞いています。全国で架線を張った転車台はどのくらいあったのでしょう。
 姫路に入区する電機乗務員は混乱時の転向に備えて訓練をしていたそうです。パンタを下げて回るので安全手順の訓練です。

 先項の名前はC6217です。PCを取り替えたら勝手がわからず、ミスばかりです。ごめんなさい。 

転車台好きにとって、ツボを押さえられたような C6217さんのコメントに、思わずニンマリとしてしまいました。
架線付転車台の考察は三角線ほどハードルが高くないかと感じるのですが、如何せん、空中写真や古い地図とか、ましてや配線図(宮原配線図などの仕様もありますが)を持ってしても、架線は三次元でないと確かめようがなく、当時の記録や証言でないと新たな発見とならないのが歯痒いところです。
思い付くままに、高崎、長岡、直江津、浜松、米原、そして姫路(他所にもまだまだありそうです)なのですが、電化の進捗で蒸電混在の機関区となり、構内配線の都合上、転車台がELの通路になったと推察され、たぶん浜松頃で既出ですが、浜松機関区の配線改良途上にEL留置場所として転車台から蜘蛛の巣状に架線が張られていました。
また、米原機関区では扇形車庫の端の2線が貫通していて架線が張られていたようです。
話題の姫路第一機関区は、転車台の山陽本線側直近にあった機関区事務所の場所をディーゼル関係の研修庫に明け渡したため、従来の扇形車庫の約半分を潰し、事務所を新築したのですが、残った扇形車庫の事務所寄り2線に架線が張られ、屋根やパンタグラフが目視出来るような通路台も設置されていて、ELの仕業点検などに使われていたようです。
民営化頃に姫路第一機関区を訪れた時、たまたま EF65型が転車台に載って扇形庫に収容されたシーンをカメラ撮影していますので、いずれ詳しくお伝え出来ればと思います。

その、架線仕様転車台ですが、以前、他項で f54560zgさんも疑問を呈しておられたと思うのですが、直江津のように車両がすっぽり見える上路式転車台で集電柱のないタイブに架線が張られているイメージなのですが、転車台の動力である電気をどのように通電させているのか疑問です。(なにしろ電気に疎いもので。鉄道模型の転車台の原理とかでしょうか?)
また、長岡機関区の項を御覧いただくと、なんと車両の下側が隠れる下路式転車台が架線仕様となっており、(浜松、米原も近似かと)仮に現存していたら、集電柱の最上部のセンター付近を間近で確かめてみたいものです。

架線仕様転車台。時期や目的の資料の発見など、いずれ何かのきっかけ次第では記事の出現に期待しています。
末尾になりましたが、以前から各所項目か転車台シリーズ項にELが自力で載れる転車台としてのコメントを考えていたのですが、こちらにまとめさせていただきすみません。
考察の機会をいただいた f54560zgさん、C6217さんに感謝いたします。

 E10さまコメントの補足。
 転車台の架線について誤解が多いので敢えて付け足します。揚げ足とりではありません。
 転車台自体には架線はないのですが、自分の架線があって一緒に回っているという思い込みが多いのです。
 架線は扇形線から延びて来て横断していますが転車台とは無関係です。したがって転車台が回るときパンタは架線から外れます。全扇形線に架線があってもダメです。
 したがって、電機は、転車台の所定位置に停止した後に・・・パンタ降下・・・転向・・・パンタ上昇・・・という操作を行います。パンタの上下は時間を要するし、機関士と転向担当との安全確認のやりとりなど作業効率の低下は甚だしくなります。 
 自分の架線をもって、レールの接続と同時に架線も扇形線と接続すれば・・・・・作業効率は上がらない?

C6217さま
パンタの上下って基本運転席の押しボタンだと思うのです。
それほどの手間ではないと思うのですがいかがでしょうか。
また転車台の円形の部分で架線を分けてしまうと、転車台部分の架線、周囲の架線それぞれを支える必要があるというデメリットもあります。
転車台を含む前後を通して架線を張る方式がいいのではないでしょうか。
余談ですが現在でも似たような入換が見られる場所に都電の荒川車庫があります。
トラバーサーですが、やってることの理屈はおんなじで、トラバーサー搭乗→パンタ下げ→転線→パンタ上げ→留置線入り ってな感じです。

水上のターンテーブルにも架線が張られています。
EF55が現役のころ、上越線高崎 - 水上間の「EL&SL奥利根号やEF55奥利根号」の運行時に水上で転向するときに、自力でターンテーブルに出入りしていました。
未確認ですが、上野の地平構内にターンテーブルがあったときに、EF55対応でそのターンテーブルに架線が張ってあった可能性が考えられます。

皆様
架線仕様の転車台!
またまた面白いテーマですね。一見関係のなさそうな電機と転車台を結びつける、とても興味深いですね。どれくらい存在したのでしょう。
「自分の架線を持つ転車台」、あったら運転側は便利かもしれませんが、設備屋さんは大変そうですね(汗)。

Hinamiya さま
 パンタの昇降について、最近の形式はスイッチ扱いですが、直流機の少なくともEF66までは空気配管によって操作していました。
 弁は両運転室にあり、弁のセット位置は、下・閉・1上・2上・12上、となっていました。閉というのは反対側の運転室がとる位置です。一方が閉でなければ両方から給気・排気の指令が出て混乱します。
 上昇は空気圧とバネ、、降下は自重です。したがって空気容量の大きい上げシリンダへの給気は時間がかかり、降下のときもシリンダの排気が終わってから上昇バネに逆らって自重で降ります。結構スローモーな作業です。

C6217さま
以前下関だったと思うのですが、寝台列車からEF66が切り離されるのを見たとき、すんなりパンタが降りるのを見て先のような誤解をしていました。
弁を操作してから降下し始めるまでが長いということなのですね。
勉強になりました。ありがとうございます。


EF55が来広していたお話。大変興味がありいろいろと調べたくなりました。どーでもいい、小ネタを。その昔、EH10が走行していたころ、岡山までは運行していました。これは、EH10が、もしや広島まで運行されるのではと、子供心は期待感でいっぱい。(この時点ですでに年齢がばれそうですが・・・)当時のセノハチはEF59が重連で押し上げ、3重連で戻ってくるなんて、今して思えば、考えられない時代でしたから。実際、走る時の迫力は、とのかくでかい物が好きな子供心をわしづかみにしましたわ。EH10を先頭にEF59が押し上げるその光景なんて、絵か模型の世界でしか実現不可能ですものね。しかし、現実とは酷なもので、実現しませんでした。のちにこのセノハチで、広島が独立王国?を歩むきっかけになることを知ってしったので・・・。結局、EH10のあの黒い巨体に黄色い帯を実物でみることは、岡山機関区に留置されていたのを一度見たきりです。今では、逆にこのセノハチのお陰で、広島には、ある意味、広島車両所(元の広島工場)もあり、それはそれで良いのですが。今ではEF510が岡山まで乗り入れているのを見ると、少し残念な気分です。EF510とEF67の競演も、その昔の幻想を思い起こさせるほどに魅力的で。沿線に念願かなって住居を購入し、毎日、複々線をみながら、EH67の雄姿に力づけられる毎日です。

 蛇足ですが補足します。 EH10が岡山より西に入線しなかったのはセノハチにおいてEF59との協調運転が不可能だったからです。運用上からは新鶴見~幡生をロングランしたかったところでしょう。
 このため、東京・大阪から直通する宇野行の貨物列車に多用される結果となりました。

ヒメジョオンさん、C6217さん
セノハチは岡山と広島を分断する関所なんですね。
EH10は他の旧型電機と同じ茶色の塗装だと思い込んでいた私は、初めて見たときのその真っ黒さに力強さといいますか異様さといいますか、とにかくびっくりした記憶があります。

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