幡生 2015/6/21 その2
幡生駅のその2です。
今回はホームの神戸寄りの部分です。
・上りホームです。4番線です。先に信号機が2つ見えますが、4番線用(山陽線)は左で、右は3番線用(山陰線)です。
・下りホームに移動します。右が1番線、左が2番線です。2番線は主として山陰線列車が使用しますが、3番線と違って架線が張られています。
・2番線の神戸方には信号機がありますので、2番線に架線が張られていることを考えるとこれは山陽線への出発信号機かもしれません。
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コメント
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f54560zg様 此の写真撮影時期は本当に2015年なのですか
であればクモハ11117が当時まだ健在であったということですね 貴重な写真です通常ですと両運車は利便性から比較的最後迄残ってましたが片運車はどうしても相手が必要ですので残る事は稀でした
投稿: yyoshikawa | 2019年2月17日 (日) 20時35分
f54560zgさん、幡生駅の最近の写真をありがとうございます。
遅れてしまいましたが、拙HPで、幡生駅と下関駅の配線略図をアップしました。ご高覧いただければと思います。
写真の旧型国電車両は、可部線で走っていた車両ですかね?
投稿: KASA | 2019年2月18日 (月) 01時16分
KASA様
多分可部線か福塩線に所属していた車輌だと思います何方の線にしても20m車に置き換えられ随分経つているのに撮影時迄存続していた事は脅威的です
東京総合車輛所(大井工場)でもクモヤ90 クモハ12 クモニ13等保管してましたが何時の間にかスクラップにしたらしいです クモヤ90は一部分が大宮鉄道博物館に収容されましたが・・
投稿: yyoshikawa | 2019年2月18日 (月) 15時39分
yyoshikawaさん
2015年時点で健在であったのは間違いないのですが、ただご覧の通り、大分傷みが激しい状態なのが残念でした。
KASAさん
お待ちしていました!(笑)
密かに期待をしていましたもので・・・。
ありがとうございます。
投稿: f54560zg | 2019年2月18日 (月) 19時35分
クモハ11117 は、可部線で使用されていた様です。
鉄道ピクトリアルNo.289(1974年2月号・17m級国電特集)に掲載された昭和48年10月1日現在の可部線電車配置表に含まれています。
投稿: クモイ103 | 2019年2月18日 (月) 19時58分
yyoshikawaさんの少し驚かれたようなコメントに、クハ111にモーターを付けた17番車が珍しいのか…で、画像を見てみると見当たらず、次の画像の雀田の茶色い電車をよく見ると……、でした。
例えると、クモハ11117は電車界の B6かピーコック なのかなとか、私の立場からすれば、飯田町の扇形庫が今だに残っていた級の話しなのかと、いろいろ架空の想像を膨らませてしまいました。
いつもながら yyoshikawaさんのお話は勉強になります。
KASAさんのサイトも拝見させていただきました。
下関では、三角線の一部分のように感じた所もあったり、機関区の端にSLの文字を見つけ、山陰貨物か幡生入換の名残りかと想いにふけり、更には御紹介のサイトには下関機関区の巨大とも言える給炭給水設備も見受けられ、感激しております。
今回のような記事の発展は、f54560zgさん、KASAさん、お二人のお人柄によるアライアンス(ビジネス用語でない本来の意味で)の賜物であり感謝いたします。
投稿: E10 | 2019年2月19日 (火) 00時27分
クモハ11117は省電初の鋼製車で関東大震災で可也の車輛が消失した為と衝突事故等で木端微塵に壊れる危険を排除する為登場した当初木造省電モハ10の流れをくむモニタールーフ(Wルーフ)車でした車体強度を保つ為魚腹台枠の採用二段窓の採用溶接技術が未だ完全でない為リべットで外板を止めていたので竣工当時ゴツイイメージでした当初制御車は製造されませんでした戦後更新時モニタールーフは普通の丸屋根化と切妻化して63電車(クモハ73)を思わす姿になりました更新時一部の電動車は中間電動車化あと電動機制御器抵抗器コンプレッサーパンタグラフ等を外して制御車化されたのも出てきました
写真画像の時点で既に車齢80年をこしてました奇跡です
投稿: yyoshikawa | 2019年2月19日 (火) 17時21分
皆様
車齢80年の17m旧国がいまだ姿をとどめているのはまさに奇跡ですね。
>クハ111にモーターを付けた17番車
クモハ111-17ですね(笑)
KASAさんの下関、本当に感激モノです。
投稿: f54560zg | 2019年2月21日 (木) 21時59分
>yyoshikawaさん、 クモイ103さん、
クモハ11117についてご教示いただきましてありがとうございます。
本棚に「旧型国電ガイド」(昭和56年10月1日JRR社発行)(もともと飯田線のレールマップが掲載されていることで購入したものでした。)が眠っていることを思い出し、改めてみてみますと、クモハ11117については、昭和52年1月23日廃車(広島運転所)とありました。
42年前に書類上は廃車となり、工場で保存?されていたとは。
>E10さん、 f54560zgさん、
配線図の方、ご覧いただきありがとうございます。今後ともご教示のほどよろしくお願い申し上げます。
投稿: KASA | 2019年2月23日 (土) 01時40分
国鉄にしろ私鉄にしろJRにしろ工場の奥にとんでもない車輛が残存してる事が多々有ります JR東海の浜松工場でトキ900が上回りを撤去され控え車として長年使用されてた(後原形復元)JR東日本の大井工場では木造御料車を多数保管(後鉄道博物館収容)クモハ12クモヤ90クモニ13等保管していたり東武鉄道の七光台車庫の奥に東武鉄道所有鉄製有蓋車テ200(後整備上毛電鉄大胡車庫保存)東急長津田工場入れ替え機デキ3020(後上毛電鉄大胡車庫保存)国鉄東神奈川電車区奥に保管されていた謎の長物車多分無蓋車の車体撤去車(事故の折の資材運搬用に保管されていたらしい)多度津工場に保管されていたキハニ5000等枚挙にいとまないでした
投稿: yyoshikawa | 2019年2月23日 (土) 12時01分
yyoshikawaさんのコメントから、鉄道入門書に必ず出てきそうなキハニ5000の文字に、おでこの上に四角いのが載った茶色く可愛らしさを感じる車両が思い浮かびました。
スタイルが気に入って、ちょっと高価だったけど昔Nゲージを購入したような気が。
とんでもない車両と事故の文字に、丸田祥三さんの「廃景」や、果ては山奥の朽ちた森林鉄道まで思い浮かんだのですが、なぜか糸崎機関区の扇形庫の裏手辺りに在った D51364号のキャブだけの写真も思い浮かび、三河島と糸崎に何の関連性があったのか?でした。
検索してみると、投炭練習用との記述もあったのですが、三河島と酷似した配線が糸崎機関区の受け持ち区間にあり、三河島での機関士さんの合理的な運転手法が、時に裏目に出てしまった戒めと啓蒙をかね、敢えてナンバープレートを付け替えたのかとか考えてみたのですけど、真相はなんなのでしょうか。
投稿: E10 | 2019年2月23日 (土) 23時43分
皆様
書類上の廃車は42年前ですか。スゴイですね。
確かに工場などの片隅には思いもよらぬものが残されていたでしょうね。
鉄道とは関係ありませんが、私の会社の工場にもつい最近まで民俗資料館に陳列してもよさそうな古典的な生産設備がありました(汗)。
D51364と糸崎機関区・・・いったいどういう関係なのでしょうね。
投稿: f54560zg | 2019年2月24日 (日) 19時28分