西那須野配線図
かつては東野鉄道が接続していました。鉄道線廃止後に東野交通に改称されましたが、その名もつい最近消えてしまったようです。
まずは1958年3月です。
・単線非電化時代です。
・単線区間には珍しい中線があります。下り専用です。
・上り用にはホームのない上り1番線が設けられています。
続いて1972年2月です。
・複線化されましたが本線関係は単線時代と変わっていませんね。
最後に1980年3月です。
・中線が上下共用となり、ごく一般的な複線区間の中間駅になりました。
配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
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随分昔蔵王温泉へ行く途中西那須野駅で東野鉄道の二軸単車の気動車(エンジンは撤去)数両東野鉄道線構内末端部に留置されていたのを車内より見る事が出来ました当時地方鉄道でも二軸単車の気動車其の物も珍しい(トレーラーですが)くなっていた時代ですが見る事が出来ました 写真は父親が撮影してます
投稿: yyosikawa | 2018年10月25日 (木) 18時07分
yyosikawaさん
昔の地方私鉄の構内には得体のしれないモノがゴロゴロしていましたね。
投稿: f54560zg | 2018年10月28日 (日) 14時47分
初めてコメントいたします。時折拝見しております。
今回は貴重な資料を拝見でき、大変に驚いております。一時、西那須野に住んでおり、その頃に大変馴染み深いのは最後の80年の配線です。84年に車扱い貨物の取扱いが終了するまで、ほぼこのままの配線でした。当時は上り4番(一番東側)まで架線が張られていたものでした。(上り2番辺りまでは宇都宮(所)のPFが入って入換えをしていましたが、さらに奥は入換動車が担当)
興味深いのは下りで着いた貨物の入換えで、中線到着後は切り離す貨車を牽いて下り本線を進み、15Rから19Lの渡り線を通って上り2番に入れるということをしていました。また午後に黒磯4番を空けるために設定されていた回128~回131(旧型客車使用)も上り方から中線到着後、EF58を切り離して上り1番線と先述の渡り線を使って下り方に機回しすることをしていました。※この方法で最後に機回ししたのは86年7月の64+江戸だったはず。
分割民営化直前の86年11月改正で上り1番の使用が停止され、87年2月に分岐器や側線群もかなりが撤去されました。渡り線はその後もなぜか放置され(上下の本線上だから?)、撤去されたのは88年になってから。
時が過ぎ、02年春の改正で中線の使用も中止され、同年7月には分岐器類も撤去となり、運転上ではかなり重要だった役割は終わりを告げました。今では優等列車もなく、またみどりの窓口もなくなり、随分と寂しくなったと思います。
長々と失礼しました。今後も期待しております。
投稿: 匿名 | 2018年11月18日 (日) 23時52分
匿名さん、コメントありがとうございます。
回128~回131なる列車があったこと、初めて知りました。この列車のためにわざわざEF58が駆り出されていたわけですね。貴重な情報ありがとうございます。
投稿: f54560zg | 2018年11月20日 (火) 20時04分
以前のコメントの補遺であります。
先般、実家で資料をあさっていましたら、西那須野駅の年表中の77年の項目に構内配線改良の文字がありました。ネットなどにある画像などを見ても、中線を上下共用にしたのはこの時期なのかもしれません。
※78年10月、いわゆるゴーサントーの時点では朝に宇都宮~西那須野の区間列車があります。
以上、補遺でした。
投稿: 匿名 | 2018年12月24日 (月) 22時42分
匿名さん
情報ありがとうございます。
それまで矢板折り返しだった列車が53-10で西那須野折り返しになったようですね。その点では比較的最近(?)になって上下共用になったんですね。
投稿: f54560zg | 2018年12月26日 (水) 19時38分
f54560zg さま
いつもお返事ありがとうございます。
たびたびで申し訳ありません。実はこれらの件でずっと謎だった2つのことが「こういうことか…」となってきました。
1)鉄道ホビダスの国鉄時代にある「12系客車誕生」の項。この中に「折り返しの西那須野で~」という一文がある割に撮影された12系が停車しているのが上り1番線なのです。どうしても80年の配線が頭にあるため、折り返しなら中線を…と思っていましたが、なるほど当時の中線では折り返せなかったのですね。つまり渡り線を転線の上で上り1番線に入れて折り返しの発車待ちだったわけです。
2)この中線の共用が行なわれた頃、青森方(第2大田原街道踏切)の横に上りの接近灯と警報機(カンカン音)が設置されました。※配線図にある通り、当時は踏切警手がいてハンドルで上げ下げしていました。
踏切の警報ブザー音(トートー)がありながら、どうして設置したのか、幼い日に不思議だったのを覚えていました。確かに上り本線からダイレクトに中線に入る列車がありますから、入換作業の注意にも接近灯・警報機が必要だったわけですね。
今回の記事から、さまざまなことがわかってきました。ありがとうございました。
また、よろしくお願いします。
投稿: 匿名 | 2018年12月26日 (水) 22時14分
匿名さん
図面ではわからない貴重な情報をいつもありがとうございます。
投稿: f54560zg | 2018年12月30日 (日) 17時46分