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2018年8月13日 (月)

岡山配線図

個人的には、岡山界隈は難しいです(汗)。
なぜかというと、

・路線で見ると、山陽線を中心に宇野線、津山線、吉備線と、3つもの支線が分岐しています。運転系統で考えたら伯備線と赤穂線も加わるかもしれません。複雑です。
・停車場で見ると、岡山駅、岡山操車場、西岡山駅が絡み合っています。その境界がよくわかりません。
・車両基地に目を向ければ、岡山機関区、岡山電車区、岡山気動車区、岡山客貨車区、岡山貨車区、岡山運転区、岡山運転所がくっついたり分かれたりといった歴史をたどっています。複雑です。
・何より私は岡山に行ったことがありません(新幹線で通過しただけ)。

そんな岡山界隈ですが、今回は岡山駅を中心にご紹介します。

最初に1958年4月。

195804r
・この頃は山陽線も宇野線もまだ電化されていません。
・ホーム部の本線は8線のようですが、上下本線の間に挟まれた副本線は1線だけです。
・宇野線は山陽線の上下線とも乗り越して山側に回り込んでいます。四国へのルートとして山陽線~宇野線の直通列車はそこそこ需要があったのではないかと思うので、なぜ山陽上下本線間に割り込む形にしなかったのがちょっと不思議です。
・津山線・吉備線と山陽線との接続はシーサス一つだけです。いくら戦時買収線区だからといっても関係が希薄すぎですよね。誤記かも。
・門司方への4線は、図の上2線が機関区への機走線で、下の2線が山陽上下本線です。
・門司方の、山陽線と宇野線に囲まれた、転車台を含む側線群は何でしょうか。
・津山線沿いの「岡貨線」というのもよくわかりません(汗)。

続いて1966年3月。

196603r_2
・山陽線と宇野線が電化され、線路配線もずいぶんと変わりました。
・山陽上り線が移設されて宇野線が山陽上下本線間に割り込む形になりました。これで自然な形になったように感じます。ホームも1面増設されています。
・門司方は旅客車回送線1線が増設されて5線になっています。
・門司方の転車台は姿を消しています。
・下り場内信号機の「神戸方~3番線」が1RA3ではなく1RB3であり1RA2と1RA3・5・6の間にあること、また出発信号機4Lが設けられていることを考えると、ここでいう「3番線」とは東1番線のことではないか、つまり東1番線は本線ではないかと思うのですが。
見にくいので拡大図です。
196603s

・津山線・吉備線と山陽線との関係も強化されましたね。津山線に関しては5番線への進入と6番線からの出発が可能になっています。

続いて1969年4月。

196904r
・ほとんど変化がありません。それどころか門司方の転車台が復活していますので、ちょっと怪しい気がしてしまいます。

続いて1986年4月。2つの図があります。一つ目はコレ。

198604ar
こちらには入換信号機が描かれているのですが場内信号機がありません。

もう一つの図は

198604b1r

198604b2r

場内信号機が描かれていますが入換信号機は見当たりません。

・本屋に面していたと思われる1番線のホームが島式となり、1線増設されました。ちょっとびっくり。
・津山方に岡山気動車区が描かれています。おそらく以前からこの位置にあったのではないかと思うのですが。
・東1番線は赤穂着発線という名称もつけられて、切り欠きホームに面した本線として描かれています。
・山陽上り線は宇野線をくぐる手前で2手に分かれていますが、名前の付けられ方を見ると片方が山陽上り線、他方が伯備上り線となっていますね。実際にそのように使い分けがされていたかどうかはわかりませんが。

続いて1992年4月。

1992041r

1992042r

これも見にくいので拡大図を。

19920411

19920412

・何と1番線が分断されて東1番線と西1番に分かれました。またまたびっくりです。以前の東1番線(赤穂着発線)は東2番線になっています。
・1986年4月の図で、2手に分かれて伯備上り線となっていた線路はさらに2手に分かれるようになっています。つまりこんな感じになっています。
R
・宇野線場内の23LI2がナゾです。30RYから考えるとY線がどうも西2番線らしいのですが、もしそうであれば23LI2は23LA6と23LA7の間のはず。誤記かも。
・貨物扱い設備はすっかり整理されてしまったようですね。

最後に1999年10月。

1999101r

1999102r

これも見にくいので拡大図を。

19991011

19991012

・1992年4月の西2番線に関する疑問は解消しましたね。
・東1番線用の場内信号機1RA1が使用停止と上書きされています。しかしながら出発信号機13Lはそのままになっていますので、東1番線が使用停止なのかそうでないのかはよくわかりません。

その後大掛かりな改良工事が行われたようなのですが、申し訳ありません、それに関する資料はありませんです(汗)。

配線図はT.Mさん及びKASAさんよりご提供いただきました。

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コメント


 岡山近辺はずっと見てきましたので懐かしい場所です。記憶を頼りに重箱の隅を・・・・・。

 1958-03

 山陽本線の中線が1本のみ・・・・・そのとおりです。山陽本線の旅客列車は直通が多かったので間にあったのでしょう。2番線は伯備線の着発が多かったようです。
 5番線も宇野線より山陽線の着発が多かったと思います。つまり1・2・4・5の4本で山陽・伯備の全列車をまかなっていました。
 上り貨物はホームのない4番線を通過してホームの負担を軽くしています。
 宇野線のホームは元は図上側の客車留置線の位置にありました。狭くなったので西部で山陽本線を跨いでこのように移設されました。大正時代のことです。跡地は図のとおり岡山客車区です。
 岡山駅は総合駅でその上側に貨物設備があり、専用線に岡山土地倉庫・日清製粉などが見えています。
 津山線・吉備線のママ子扱い・・・・・中国鉄道が国鉄に買収されてまだ15年ほど、戦後で設備投資ができなかったのはやむを得ません。
 津山・吉備線は次に記す基地があったので独立国でした。本線筋とのつながりは貨車の授受のみです。
 門司方の機走線・・・・・名は機走線ですが正確にいえば隣の岡山操車場への小運転線です。機関区は岡山操に接していて、岡山からの入区は岡山操経由となります。
 岡山着発の貨車は岡山操から小運転で来ます。9600が20両ほどの貨車を牽くので外観は列車そのものです。図の小運転到着線に着きます。発はどの線からでも可能で操車掛の進路確認と指示で出発していました。おおらかな時代です。
 門司寄りにある転車台・・・・・ここは岡山機関区中部転向所です。(図での略称は中テ、ナカテと読む)組織上は機関区の一部分ですが給水と転向・留置が可能で、他区の機関車はほとんどここで折り返していました。スケールからいえばミニ機関区です。ただし給炭と検修はありません。
 津山線の岡貨の標記・・・・・意味は不明ですが、ここに津山線・吉備線を担当する基地がありました。名は岡山機関区岡山支区。転車台とレンガの車庫があり、機関車・客車・気動車の配属がありました。ただし機関車は運用のみで修理は機関区で行います。次第に気動車が主力となり、現在は岡山気動車区となっています

宇高連絡船廃止と瀬戸大橋の開通で、1988年を挟んだ時期には何度か岡山駅で乗り換えていました。
1986年4月の図で1番線のホームが島式となっていた時期に相当します。
ここは新幹線の高架下にあり、大胆な改造をしたものだと思っていましたが、さらにその後東西分割という再度の大改造で私もびっくりしたものです。
C6217さんのコメントの通り昔は直通が多かった山陽本線の旅客列車ですが、時代が下るにつれて岡山駅を境に東西の折り返し列車が増え、その分着発線の増設が求められてきた結果でしょう。

 1958補遺・・・・・津山線・吉備線が独立国と述べましたが、信号機も腕木のままです。信号扱所は大変だったことでしょう。

 1966-03

 山陽本線電化が1961年ですから蒸機の面影はありません。
 上り機待線・・・・・電化で機関車交換は無くなったのに重装備の機待線が完備しています。これは山陽本線の電化方式が岡山以西を交流として計画されていた名残りです。つまり直流機と交流機がここで並ぶ訳です。50年後の先年に電車留置線になって用地は十分生きています。
 門司方旅客回送線・・・・・これは岡山運転区への通路線です。1965年に発足して、岡山機関区の電車部門が移り、1966年に岡山客車区が移りました。この図ではその前か後か不明です。
 転車台・・・・・電化によって不用となり、中テは他の線と合わせて客車留置1~9番線となりました。ただし転車台そのものは当分のあいだ残っていましたので、次の項で残っているのも其のあたりの標記混乱かと思います。(転車機能は生きていたのかも?)
 東1番線・・・・・ホームのある本線です。赤穂線気動車が折りかえしています。場内の標記も、1RBは東1番、1RA356(進路表示機3進路)は3・5・6への進路です。
 4番線の車止め・・・・・3番線に到着する上り列車の安全側線の役目です。
 津山線・吉備線との連絡改善・・・・・定期列車はないものの直通に備えてルートが整備されました。津山線が上り下りとも3番線につながりました。また10番線(山陽上り貨物通過)から津山へ進出可能です。
 津山線貨物は岡山操から小運転で岡山に到着し、入換で津山貨物着発線(11番)へ移され、津山基地からC11が連結していました。
 この新ルート完成によりC11がそのまま山陽本線を走って岡山操へ直通することになりました。下りは津山線から3番線に着発、上りは貨物通過(10番線)から津山線へ出発できます。
 このため11・12番の授受線は不用となり、津山線の客車留置に転用されました。


 1969-04

 転車台が・・・・・残っているのは上述のように現実スケッチでしょう。
 貨物設備と客車区・・・・・どちらも引っ越した後なので線路は残っていても機能は無しだと思います。専用線は相当遅くまで残っていました。

 1986-04

 1番線を新設・・・・・番号にこだわって番線名が全部変わりました。よくある0番線を避けた理由は何でしょうか。
 ここは新幹線高架橋の下でスペースの有効活用を図ったのでしょう。そのために高架下の駅舎部分は間口は広くとも奥行き15mで、横向きのウナギの寝床になりました。
 上り機待・・・・・2本が整理されて1本になりました。
 岡山気動車区・・・・・先述の岡山機関区岡山支区が独立して気動車区となりました。機関車は機関区へ、客車は運転区へ移管です。
 東1番線・・・・・赤穂線の電化に伴い、整備されましたので6両編成が入ります。配線も少し変わっています。
 伯備上りの線名・・・・・上り進入ルートが2本になったので、線名を本線・伯備と名付けました。列車種別とは関係ありません。
 右端の機関区・・・・・扇形庫葉撤去されています。長さ24mの転車台は裸になりました。
 24mあるので入換機2120が無動力の9600や8620を連結して載っていました。

 1992-04

 1番線の分割・・・・・折り返し列車が増えたので分割して西1番・東1番となりました。当時の新聞には、改札を入って正面に階段なしのホームを置くのは大都市のシンボルだとありました。 なんという感覚?
 宇野の場内・・・・・誤記ですね。
 上り伯備のルート増設・・・・・どうも判りかねる配線変更です。山陽本線上りが西1番に到着のとき構内を左端から右端へ大横断して塞ぐので・・・というのは素人解説ですね。
 貨物扱い整理・・・・・貨物設備は岡山操の隣接地に移転して西岡山駅となりました。このため小運転は姿を消しています。

 1999-10

 東1番の使用停止・・・・・構内ダイヤの制約が多いため、東1番は使用停止されました。ただし線路や信号機の撤去はなかったので゛再用のつもりがあったのかどうか?


 最近に施工された改良工事は大規模なものになりました。目標はホームの削減です。このため赤穂線と伯備線の列車が相互直通運用を始めました。
 廃止した1番線を復活して、山陽本線・伯備線・赤穂線の善列車をホーム2面4線で受け入れ、宇野線改めて瀬戸大橋線をホーム1面切欠こみ3線でまかないます。残りの津山・吉備を1面2線で担当します。
 この結果、津山・吉備ホームを廃止して駅前広場の拡張に充てました。
 現在の津山・吉備ホームは元の山陽本線上りホームであり、60kgレールとロングレールで残っています。キハ40が静々と発車して行きます。

 管理人さま、この続きをぜひお願いします。
 

C6217さん、クモイ103さん、詳細なコメントありがとうございます。何しろ行ったことがありませんもので(汗)。
>宇野線のホームと客車区
やっぱりそうですよね。最初から高架橋のはずはないですよね。それと、ここが客車区でしたか。
>機走線
なるほど、貨物扱い線と操車場を結ぶ線路は必要ですね。
>岡山以西の交流電化計画
全く知りませんでした。ありがとうございます。
>1番線の新設
全体を繰り下げるのはなかなか英断ですね。その後も大掛かりな番線変更が行われたようですが。
>この続き
申し訳ありません、ないんです。この後に面白いそうなことがいっぱいあるのはわかっているのですが・・・(汗)。

岡山駅の配線図をありがとうございます。

雑誌などをみますと、最近の改良工事で、瀬戸大橋線からの線路が、山陽上下本線間に割り込まない線路配置になったようですね。

山陽線上り方面からでは、「伯備上り」のルートが本線になったのでしょうか。

> C6217さん、

「伯備上りの線名」についてのご教示ありがとうございます。私、この種の話題が結構好きなものでして(汗)。

同一方面からの進入ルート、または、同一方面への進出ルートが複数ある場合の、線名のつけ方というのは、駅ごとに様々で興味深いと思います。

KASAさん、岡山駅はずいぶんと変わったようですね。前面展望動画を見てみましたが、山陽上り線は伯備上り線とはまた違うルートです。面白そうなので最新の配線図を書いてみたいと思います。

運輸安全委員会の重大インシデント調査報告書に岡山駅が上がっています。平成18年(2006年)4月27日に発生した、岡山駅神戸方での信号冒進インシデントに関するものです。
連動制御盤の写真を見ると、本稿最後の1999年から配線がさらに変わっていますね。下り場内信号機も2基に整理されてしまったようです。

http://www.mlit.go.jp/jtsb/railway/rep-inci/RI2007-3.pdf

こんばんは、元地元住民です(汗)。
宇野線(瀬戸大橋線)ホームからの進出ルートに、津山線、山陽本線下り方面があるのが特徴と思います。
昭和46年に宇野発の急行「しんじ」小郡行きに乗車したことがあります。岡山で6番線?に到着、「砂丘」を分割「しんじ」は山陽本線下り方面へ進出しました。
現在も同様のルートが瀬戸大橋線ホームから取れるのが興味深いです。

NZさん、情報ありがとうございます。過渡期の配線でしょうか。いくつかのステップを経て工事が行われていったのでしょうね。
3RT生さん、宇野からやってきて岡山で伯備線と津山線に分かれるってことですよね。今では考えられない・・・。

新幹線が岡山開業し、四国、山陰への主要連絡口となった。倉敷~米子への伯備によって、大阪から福知山線経由の‟まつかぜ”より2時間以上速くなった。
伯備線は、布原信号所の‟D51”の3重連が話題になった。当時の私はまだ現場へ行ける訳ではなくて、テレビで知って、例の鉄橋を通過を撮りに行き、当時の地主が場所代を取ったことが問題になった。D51が鉄橋を渡ろうとすると、3両の機関車が一斉に蒸気を出して機関車を隠してしまった。そのことから伯備線が知られて、新幹線に合わせて、本線と同じ規格に改良された。
初めて伯備線に乗ったのは、電化前の特急‟やくも”で、奥羽本線と中央本線の電化によって回された500馬力の初めて、伯備線にの‟181系”のディーゼルカーで当時は食堂車があった。短い無人駅を通過して、ここが‟布原”であった。
伯備線の‟EF64”は、岡山の配置か、稲沢から無動力で貨物列車に入れて回送して来たのかである。振り子式の特急電車も交換の時期である。広島からも伯備線いたいな路線があればである。
四国へは、マリンライナーで高松へより、松山、高知へ連絡している。赤穂線で播州赤穂へ回って、始発の新快速に乗り継いだりである。岡山よりも広島に普通電車は新車が入った。
中国地方の中心は広島しでも、列車のハブは岡山である。
今は、本無機と補機は無線でやり、蒸気機関車のの時代は汽笛を船の発行信号みたいに鳴らしていたのかである。

改良前の岡山駅は進入進出ルート数が日本一だったということを聞いたことがあります。

本線も路線も多いので、日本一でも不思議ではない気がしますね。

 岡山駅は1960年に宇野線ホームを抱き込む形に改良されて、そのときの構内進路数が600を超えました。当時は日本一だったのは事実です。
 最近の改良(年?)によって1999年10月の図のうち、
① 旧1番線が復活して本屋前が島ホームとなりました。
② 昔の上り本線が再び上り本線となりました。これにより山陽本線は島ホーム2本となりました。
③ 宇野線ホームはそのまま、ただし切欠きホームが増設され、1本のホームで4本の着発線を持っています。
④ 旧上りホームは津山・吉備ホームとなりました。元の上り本線ですから60キロのロングレールで、キハ47が静々と発車しています。
⑤ 津山・吉備ホームは廃止され、駅前広場用地となりました。
 山陽本線はホーム2本と記しましたが、伯備線・赤穂線が乗り入れていますので、結構な列車密度です。
 以上、近況のみ。


C6217さん
岡山配線図 追加2の記事
http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/post-f1dd.html
で2011年の配線図をご紹介しています。
C6217さんさんからもコメントいただいております・・・(汗)。

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