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2018年7月26日 (木)

野木配線図

最初は1972年2月です。

197202
この時点では棒線駅です。残念ながら特に興味をそそられるものはありませんね。

続いて1980年3月です。

198003r
東京寄りに、ホームと直列に待避線が設けられるという、大きな変化がありました。
ホーム部分が改修されないところからは、何やら急場しのぎ的な雰囲気を感じてしまいます。
しかしながら細かいところを見ますと、
 ・2Rの下の誘導信号機
 ・入換標識11R、11L、12L。4Rの下の12Rがモレているような気もしますが、図のままで正しいのかもしれません(下り線には7Rがあるので)。
要するにこの中線は、単純に待避だけを目的とした線路ではないような気配です。
ただ、これらの誘導信号機や入換標識を使用して、どのような作業が想定されていたのかは想像できません(汗)。

その後待避線は撤去され、昔の棒線駅に戻ってしまいました。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

変なコメントがつきましたね。
google翻訳でロシア語から日本語へ機械翻訳してみたら、以下のようになりました。

素敵な一日を!
State Serviceのキャビネットにアクセスできない場合は、サイトの指示に従ってください
強くお勧めします!


なお、サイトには接続しないほうが無難でしょう。


コスモスさん、ご心配いただきありがとうございます。
実は怪しいコメントはちょこちょこ発生しており、通常はスパムコメントとして表に出ないように処理されています。それがなぜか今回は通常のコメントとして扱われてしまったようですね。

野木の記事をありがとうございます。

昭和48年10月改正の列車運転時刻表をみますと、すでに件の中線が存在していて、貨物列車を中心に上下とも退避が行われていたようです。

ただ、定期列車、予定臨時列車の範囲では、入換標識をつかっていると思われる列車は見出せませんでした。

一方、入標とは関係ありませんが、当時、間々田では、中線で、急行列車の運転停車による退避も行われていたようで、退避列車の使い分けがされていたような節がありますね。

特急列車スピードアップには必要な設備だったのでしょうか。

KASAさん、お調べいただきありがとうございます。
何か異常時の対応が意図されていたのかもしれませんね。
切迫した中で急ごしらえで設けられ、貨物削減により短期間で姿を消した設備のように思えるのですが。

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