推進運転
奥中山駅と小鳥谷駅の記事で列車の推進運転について触れさせていただきましたが、これ以外にも列車もしくは構内運転として編成単位での推進運転が行われている(いた)と思われるケースがありますので、これらについてご紹介したいと思います。もちろん事故や障害等による突発的なものは除外しますが。
1.上野駅~尾久駅間
これは除外させていただきますね(汗)。
2.碓氷峠下り列車
本務機の位置からすると推進と言えなくもないのですが・・・、これも除外します(汗)。
3.スイッチバック駅
編成単位の推進運転の代表例はこれでしょうね。かなり減りましたが、現在でも何か所かで見ることができます。例を示します。
●峠駅
下り本線には2基、トンネルの中の折返線には4基、いずれも運転士席を考慮した位置に中継信号機が設けられています。運転士さんはこれらの中継信号機を頼りに列車を退行させるものと思われます。
●初狩駅
上り1番線~第2折返線間の移動は、以前は場内・出発信号機による列車としての運転だったのですが、気づいたら入信による構内運転に変わっていました。
従って、上り1番線から名古屋方に向かう列車及び名古屋方から上り1番線に向かう列車は構内運転による推進運転が行われることになります(そのような定期列車は存在しないと思いますが)。推進運転の中継方法はよくわかりません(汗)。
なお、上り1番線等から第2折返線の先にある砕石専用線に向かう場合は誘導による推進と思われます。
4.構内配線の関係での推進運転
大きな貨物操車場や貨物駅においては、構内配線の関係で推進運転が生じるケースがあります。いくつか例を示します。
●田端操駅
田端操駅から山手貨物線新宿駅方面に向かう貨物列車の場合、山手出発線から山手上り線までは列車としての推進運転となります。出発信号機3A~3Cが設けられていますが、実際には中継信号機(3A)~(3C)を確認しての出発になるのかと思います。
●隅田川駅
隅田川駅から常磐下り線方面に向かう列車の場合、下り出発線から折返線までは列車としての推進運転となります。そのための出発・場内信号機及びその中継信号機が見て取れます。
逆方向も同様です。
●新鶴見操車場
神戸方→尻手方及びその逆方向の列車は下り出発線~割畑1番線間で推進運転が発生します。ちょっと見にくいですが、出発/場内信号機+中継信号機による列車としての運転のようです。
5.操車場の到着線
規模の大きい貨物操車場においては、到着列車とハンプ押上げ作業との競合を避けるため到着線~押上線間で推進運転を行う場合があります。いくつか例を示します。
●新鶴見操車場
神戸方及び尻手方から進入した列車はいったん折返1~3番線に入りますが、ここから4R~6Rに従って上り到着群線に推進で進みます。すなわち列車としての推進運転です。
ただ、中継信号機が運転士席からは見えない位置に描かれているのが?です。誤記かも。
●稲沢駅
下り貨物列車はいったん到着2・3番線に入り、ここから推進で押下0~5番線に進みます。配線図を見ると推進運転用の場内信号機は見当たりませんで、代わりにそれらしい入換信号機902L・903L及びその反応灯(?)と思われる902LPE・903LPEが確認できます。
すなわち稲沢駅においては列車としてではなく構内運転での推進運転ではないかと思われます。
●吹田操車場
吹田操車場においても上り列車は上り到着1~3番線に進んだ後上り押上線まで推進運転するのですが、残念ながら配線図には推進運転用の信号機が記載されていません。入信は省略されているような気がしますので、構内運転によるものなのかもしれません。
6.その他
●奥中山駅・小鳥谷駅
ここは記事にいろいろ書いた通りです。構内運転による推進で間違いはないと思うのですが、中継方法がナゾです。
●天王寺駅
「はやたま」の回送時に推進運転が発生していたハズですが、配線図(1983年12月)を見る限りそれ用の信号設備は記載が省略されているようです。
1992年5月の写真では黒いシートで覆われた入信か入標らしきものがあり、遠くには線路表示式の入標も見えます。
機回し作業もありますので、おそらく誘導による推進ではないかと思うのですが。
●会津若松駅
かつては機回り設備があったのですが、いつの頃か下本・中線・上本が頭端化されました。「ばんえつ物語」は到着後誘導されながら推進で引き上げるという「荒業」をやってのけています。
●岡山操車場
3RT生さんからいただいた情報です。
岡山操車場の全貌については別途記事を作成しようと思っていますが、今回は推進運転に関する部分だけご紹介します。
門司方に高架の貨物折返線が設けられ、西岡山駅への出入りに際してはこの折返線をはさんだ推進運転という方法がとられています。
配線図には入換信号機100Rが記載されていますので、構内運転方式であったと思われます。中継信号機的なものは見当たりません。
直感的には門司方(車止め側)に機関車が連結されているものと思ったのですが、中継するものがないと運転士さんからは100Rは確認できません。でもDE10だったら問題なしでしょうか。
これ以外にも推進運転が行われている(いた)事例はあるかと思います。
また、以上は機関車牽引を対象としており、スイッチバック駅での運転以外では電車や気動車等はエンド交換する(すなわち電車や気動車には推進運転は存在しない)という前提で書いています。電車や気動車でもエンド交換せずに推進運転をすることがあるとなるともっと対象が増えるかもしれません(汗)。
配線図はT.Mさん及びKASAさんよりご提供いただきました。
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おはようございます。推進運転、スイッチバック駅にはやり方が様々あって興味深いですね。現在はエンド交換が常識的になりましたが、フツーにバックしたり、車掌が断続音でブザー合図したり、列車掛が推進運転合図を表示したり色々でした。
岡操ー西岡山間の構内運転ですが、
貨物折返線→授受線方面
授受線→貨物折返線
が推進運転でした。
100Rの「西岡南通路」へのルートは、入信現示の中継として100RY1Pが貨物折返線の中間くらいに設けてあります。逆向きの授受線から出発には同様の設備が見当たらないのですが、「運転開始時機の指示」は駅長又は運転係(操車担当)の指示によっていたようです。
ただ、以前のコメントに書きましたが、操車担当の誘導は省略されていました。
岡山ー岡操間の機走線にも推進運転があったようです。
岡山県初登場となる岡山操車場の記事、楽しみです。
投稿: 3RT生 | 2018年7月29日 (日) 10時09分
推進運転と云えば蛇窪廻しも有名でした 特急つばめ号はと号の方向転換の為毎日執り行われていました上りのつばめ号はと号が東京迄戻って来て牽引機の機廻し後展望車側に連結大崎迄機関車先頭で回送大崎の中線入線後最後部のスハニ35の車掌室を先頭で蛇窪迄を大崎支線を約2㎞間推進運転で蛇窪信号所迄向い一旦停止其の後機関車先頭で牽引で蛇窪信号所の背向亘り線を渡り品鶴線を品川へ向かい戻りました距離的には上野尾久間より短いですが立派な推進運転ですね
投稿: yyoshikawa | 2018年7月29日 (日) 13時42分
常磐線土浦駅の下り貨物列車について、下り列車到着時に発着線兼荷役線に据え付けるのに、入換運転による推進運転が行われています。発着線兼荷役線は上下共用の1線だけですが、上り線外側にあり、上り列車は進入進出が可能ですが、一方下り列車については、出発は可能ですが、進入は直接できません。下り副本線に到着したら、入換運転で下り引上げ線に編成ごと引き上げてから、推進運転で下り本線、上り本線を超えて、発着線兼荷役線に据え付けます。
貨物列車は1日2往復ありますが、午後着の下り列車は土浦終着で、機関車の機回しも見られ、荷役後上り列車として出発します。機回しは上り本線を使います。
このような形態、運転になっているのは、発着線兼荷役線を整備したときに、上り側(上野寄り)構内に桜川鉄橋があり、下り本線から発着線兼荷役線につながる渡り線を配するスペースが取れなかったためと推測します。
投稿: コスモス | 2018年7月29日 (日) 14時40分
推進運転では有りませんが 阪神電鉄では最近は固定編成が主体になりましたが嘗て高性能電車でも固定編成では無く早朝深夜とラッシュ時間で編成輌数が増減しており尼崎と御影で増結車を連結したり解放したりしており 其の際片運転台車単行で回送していた 尼崎は構内運転でしたが御影では御影石屋川車庫間で本線を単行は連結面先頭で回送していたリ付随車連結面先頭で推進運転等がありました
可也後迄阪神電鉄は軌道法により運行していたのでその様な運転が出来たのでしょう
投稿: yyoshikawa | 2018年7月29日 (日) 15時52分
3RT生さん、スミマセン、教えてください。
>貨物折返線→授受線方面
>授受線→貨物折返線
>が推進運転でした。
これは常に折返線の車止め側に機関車が連結されていたということでしょうか?
そこそこの距離を推進で走行していたように思いますので、安全確保には苦労があったのではないでしょうか。
yyoshikawaさん、おっと、蛇窪を忘れていました。失礼しました。これはどういう取り扱いだったのでしょう。尾久のようにスハニの先頭に人がいて前方の注視や緊急時の制動手配を子なっていたのでしょうか。
また同様の事例が隅田川や尼崎、九州、青森で行われていたようにおもいますので、これらも同じような取扱いだったのでしょうか。
また、電車や気動車でも、おっしゃる通り両側に運転台があるとは限らないですね。
コスモスさん、下りが素直に荷役線に入れないがために特殊な運転になっているんですね。下りの入換は誘導でしょうか。
投稿: f54560zg | 2018年7月29日 (日) 20時03分
f54560zgさん、こんばんは。
判り難くて申し訳ありません。岡山局の運規の
(構内運転をするときの動力車の連結位置の特例)第52条
の中に「岡山操車場貨物折返線と授受線間で機関車の前に30両以内連結のとき。」
が、動力車を最後部に連結してよい区間に指定されていました。
貨物折返線と授受線間で、とありますので
(1)西岡山北通路線から入信147R, 148Rにより貨物折返線へは入機DE10/11が先頭で、折り返し140Rにより西岡南通路線から授受線方面へは推進運転。
(2)(西岡山駅からの)授受線から貨物折返線へは推進運転で、折り返し101R方面へは入機が先頭。
となると思います。
投稿: 3RT生 | 2018年7月29日 (日) 20時59分
すみません、貨物折り返し線からの入信は100Rでした。訂正します。
投稿: 3RT生 | 2018年7月29日 (日) 21時28分
f54560zgさん、こんばんは。
入換信号機の表示と操車係の誘導のようです。操車係は無線でELの機関士に指示し誘導しています。
投稿: コスモス | 2018年7月29日 (日) 22時11分
特急つばめ はとの方向転換の為大崎支線の区間での推進運転では先頭になるスハニ35の車掌室に前部監視要員が乗務し前方確認及び非常時には制動手配出来る様空気制動弁が車掌室に備えられていた筈です其れを使用したのでしょう 当時大崎から蛇窪迄に交差する踏切がで八ヶ所でしたので其処が特に注意の場所だったのでしょう
余談ですが大井工場の試運転線が昔東海道本線の側迄来ていた頃(旧大井連絡線跡を試運転線に転用)当時自由に通れる道が有り其処で時々試運転の車輛を見物してました或る日クモハ41形が単行で試運転してるのを見ました貫通側エンドを先頭に試走するのは不思議な風景でした
推進運転から外れるかもしれませんが阪和電鐵で鐵道省の客車を使用した南紀直通超特急白浜号天王寺へ回送の折客車先頭で推進運転(牽引はモヨ100形重連)でしたので推進時先頭の客車(形式失念)の車掌室にデッカーのES形制御器と制動弁を備え付け最前部車掌室からモヨ100形を制御していましたどの位の距離推進運転していたかは失念
投稿: yyoshikawa | 2018年7月30日 (月) 18時55分
客車旅客列車としての推進運転で最後まで残っていたのは門司駅でしょうか
上り限定ですが、はやぶさ到着→引き上げ/富士到着→機解放/はやぶさ推進→連結を毎日やっていました。
下りは当然ですが推進運転はありません。
余談ですが、旧同和鉱業小坂線(小坂鉄道)小坂駅の宿泊施設「ブルートレインあけぼの」は宿泊者限定ですが、留置線→引上げ→推進でホーム据付に乗車できます(翌朝はその逆)。
投稿: TKSY | 2018年8月 1日 (水) 20時06分
3RT生さん、ありがとうございます。
ということは、行きと帰りで機関車の位置が逆なんですね。
コスモスさん、ありがとうございます。
やはり誘導ですよね。
yyoshikawaさん、上野~尾久間の推進と同様の対応がされていたのですね。
TKSYさん、情報ありがとうございます。
旅客が乗った車両の入換はさぞかし神経を使ったでしょうね。わたしも郡山駅でざおうに推進で連結するばんだい12系を見物したことがあります。
投稿: f54560zg | 2018年8月 1日 (水) 20時32分
そういえば磐越西線の上り客車急行が郡山に到着後隣に停車中の東北本線上り客車急行後部に乗車列車が併結される為最後部に機関車が連結乗客乗車のまま福島方向へ牽引其の後推進運転で東北本線上り急行後部に連結後上野へ向いました
投稿: yyoshikawa | 2018年8月 2日 (木) 12時14分
東武佐野線終点葛生から奥に伸びていた大叶線と会沢線は石灰石セメントドロマイト等産出する鉱山の間を縫いながら終点大叶第三会沢へ伸びてました沿線の各荷扱い所の配線の関係と片上りの勾配線であった為葛生より必ず推進運転で到着貨車を各荷扱い所に送り込んでました其の折前方監視用にトフ後にはヨを必ず最前部に連結し前方確認しながら大叶第三会沢へ運行してました 葛生ヘ戻る折は機関車牽引で帰てきました
投稿: yyoshikawa | 2018年8月 3日 (金) 16時21分
今はダイヤ上有るかどうか分かりませんが田端操車場の位置関係で対山手貨物線間系は到着時引き上げ線から推進で操車場へ入線逆に出発は操車場から引き上げ線へ推進後出発していたはずです
投稿: yyoshikawa | 2018年8月 4日 (土) 18時22分
yyoshikawaさん
>郡山での併結
スミマセン、勘違いしてました。下4(当時の2番線)にばんだいが到着して着機が逃げ、磐西本(当時の3番線)にざおうが到着して着機がそのまま全部を引き上げて下4のばんだいに連結、という手順でした。従って福島方向への引き上げはありませんでした。
>大叶線と会沢線
末端の貨物側線では結構推進運転が行われていたかもしれませんね。
>田端操車場
おっしゃる通りです。記事にもそのように書かせていただいております(汗)。
投稿: f54560zg | 2018年8月 5日 (日) 11時52分
郡山での併結の件ですが乗車していた急行磐越西線ではDF50が牽引しており郡山到着後最後部に蒸気機関車が連結福島方へ一旦牽引し引き上げ後推進運転で東北本線急行に併結してました蒸気機関車が引いておるのを窓から顔を出して見て居ました
投稿: yyoshikawa | 2018年8月 5日 (日) 14時11分
推進運転の定義が少しボヤけています。主信号機によって運転する場合に限定すべきではありませんか?
誘導合図で動くときは入換であって運転と呼ぶのに抵抗があります。
旅客列車の併結などは駅外にわたる大きな作業になりますが、あくまで入換であって推進運転というのは疑問だと思います。 妄言多謝。
投稿: C6217 | 2018年8月 5日 (日) 15時02分
毎回興味深く拝見しています。
記事の趣旨からは外れるかもしれませんが客車、貨車を後ろから押す形態を推進と呼ぶのであれば紀勢本線にはきのくにシーサイドが運転されていました。
それはともかくとしまして天王寺駅での紀勢本線直通客車列車ですが、天王寺始発の場合は竜客からDE10けん引で到着した関西本線下り回送列車は地上線にて機回、一旦名古屋方へ引き上げた後に阪和線連絡線の上り坂を推進にて押し上げていました。
ホームに客車を据え付けると逆の手順でDE10が退き単機でやって来たEF58の連結となります。
一方、天王寺駅到着列車は事前に客車引き取りの為関西本線経由で到着、待機していましたDE10が単機で上り坂を登り客車に連結、坂道を下りていきましたが、地上引き上げ線から直接関西本線には入れないので推進運転にて一度折り返して竜客への上り回送列車となります。
ホームに残されたEF58は単機での回送です。
但し時期によっては異なる手順の場合も有ったと思われます。
なお、竜華機関区EF58EF15重連の旅臨時団体列車に参加したことが有りますが、この際も客車の据え付けは上記の通り。機関車は重連単機にて竜華機関区→阪和貨物線→阪和線→和歌山駅→折り返し阪和線→天王寺駅で行われていました。阪和線の途中駅で折り返せない為に態々和歌山までもって行ったものです。
現在関西本線と阪和線を結んでいました線路は線路が撤去され、地上側約半分は路盤も有りませんが、高架側約半分は遺構として残っています。
投稿: 海南市交通史研究家 | 2018年8月 5日 (日) 18時29分
以前カキコした平塚の相模石油もそうですが、
忘れちゃいけないのは。
九州の小波瀬西工大前~苅田港じゃないでしょうか?
改造車のヨ38000によるアレです。
投稿: ゆかわあきら | 2018年8月 5日 (日) 20時33分
これを推進とするかは議論のあるところですが…。
奥出雲おろち号
嵯峨野観光鉄道
ヨ38000のように制御できるようにはなってますけど。
投稿: ゆかわあきら | 2018年8月 5日 (日) 20時37分
yyoshikawaさん、失礼しました。
私が見たのは1990年頃だったと思うのですが、それより昔では福島方に引き上げていたんですね。
C6217さん、おっしゃる通り基本的には列車か構内運転(すなわち誘導されずにバックする形態)に限定したかったのですが、実際にどのような形態で運転されているのかがわからないケースもあったため(汗)、線引きが難しくなってしまいました。
そもそも、もともとは運転士さんから入換信号機が確認できない場合に入換信号機用の中継信号機というものが存在するのかどうか、というところが発端だったんですけれどね。
海南市交通史研究家さん
>きのくにシーサイド
動力車の連結位置よりも運転士の位置重視ということで除外させてください(汗)。
>阪和線連絡線
ここを電機が上り下りすることはなかったんですね。架線も張られていなかったんでしょうか。
ゆかわあきらさん
おそらく平塚は誘導でしょうが、苅田港は列車ですよね。上野~尾久と同等の運転方式でしょうか。
奥出雲おろち号と嵯峨野観光鉄道はきのくにシーサイドと同じ・・・かな?
投稿: f54560zg | 2018年8月 5日 (日) 21時28分
新幹線基地が整備されて以降の田端操はプッシュプル状態で着発線と山手着発線を入信で動いてましたね
C6217さんが言うとおり、運転士が信号機を見て自分の責任で動くのが「本線の列車」、誘導(入換合図)を受けて動くものは「車両の入換」という定義しかない以上、推進運転は「列車」ですので、しっかり分けないとややこしくなるかと思います。
投稿: 中の人 | 2018年8月 6日 (月) 00時03分
スイッチバックまで含めるとややこしくなりますからねぇ。
敢えて書きませんでしたが、
浜川崎、
姨捨、
桑ノ原、
二本木と。
姨捨と二本木は電車はエンド交換せずにそのままバックしてますし。
投稿: ゆかわあきら | 2018年8月 7日 (火) 00時48分
f54560zgさん
海南市交通史研究家さん
とりあえず天王寺阪和線ホームから環状線寺田町へ降りる連絡線を下るEF58の画像がありますので、架線は貼られていました。
借りモノですが画像↓ 1984年4月撮影のようです
http://outdoorsite.biz/railway/el/ef58/ryuge/19840423ef58139_2.jpg
あと末期の竜華区のEF58定期運用は、
単253 竜華から天王寺へ送り込んでから、924レ牽引。
921レにて天王寺着後、単250で天王寺から竜華入区
単253/単250はいずれも10分程度で走ってますから、阪和貨物線経由ではないです。
あの連絡線、常用していたのは、921レ/924レと吹田工場から鳳区、日根野区への配給電車ぐらいでした。
投稿: TKSY | 2018年8月 8日 (水) 10時51分
中の人さん
>新幹線基地が整備されて以降の田端操
そうか、そっちがありましたね。大変失礼しました(汗)。
>定義
記事の中で例として掲げたものについては列車か、構内運転か、誘導かの区分をしています。
ただ、あまり厳密な区分はせず、「ちょっと変わった運転」とゆるくとらえてもいいのかなとは思っています(汗)。
ゆかわあきらさん
スイッチバック駅も一例として峠駅を掲げています(汗)。
TKSYさん
情報ありがとうございます。電機だけでなく、電車も通過していたんですね。
投稿: f54560zg | 2018年8月 8日 (水) 20時45分
>管理人さん
「youtube」で、
「スイッチバック、姨捨駅」で検索、
=
かなりよい画像=映像、見られますよ。
投稿: | 2019年2月 3日 (日) 15時39分
浪速駅配線図のところでもコメントしましたが、百済発浪速行きと思われる781レは、百済駅から平野駅へ推進で運転されていました。
平野・百済配線図を見ると、百済駅の出発線(0~4番線)の出発信号機の進路は平野駅4番線と思われますので、浪速行きは3番線から出発となるので、入換信号機によるバック運転と思われます。
投稿: 北東航21 | 2020年12月25日 (金) 09時23分