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2018年6月14日 (木)

東金沢~森本間の高架橋

話があっちこっち飛んでしまって申し訳ありません。
先日の東鷲宮駅の記事で登場した高架橋の遺構(正確には遺構ではないのかもしれませんが)に関連して、東金沢駅~森本駅間に存在する高架橋の遺構(こちらも遺構と呼んでよいのかどうか微妙ですが)について記事にしてみました。

なお、この件については情報が少なく、かなり推定が含まれています。
間違い等ありましたらご指摘ください(汗)。

まずWikiの情報から整理した金沢駅周辺の年表です。1975年頃をスタート地点とします。
・1984年12月  貨物通路線開通、着発線を東金沢駅付近に移設
・1990年6月  金沢駅高架化(上り貨物線を除く)
・1991年4月  上り貨物線高架化、金沢駅の高架化完了
・2002年10月  金沢駅~森本駅間の旅客線及び東金沢駅移設
・2003年6月  金沢駅貨物扱所が金沢貨物ターミナルとして分離独立
・2015年3月  北陸新幹線開業

次に国土交通省の空中写真を見てみます。
・まず1975年10月時点ではこんな感じです。
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=794173&isDetail=true
この時点ですでに北陸新幹線建設が想定されていたのでしょうか、将来の線路移設用地が見て取れますね。
当時の各駅の様子は以下をご覧ください。
金沢運転所
金沢貨物基地
東金沢駅

・続いて1983年5月。
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=162410&isDetail=true
金沢運転所西側に北陸線の上り高架橋ができつつあります。

・続いて1987年8月
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=285529&isDetail=true
年表の通り、貨物通路線が開通して旅客線と分離されているように見えます。

・続いて1997年5月
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=262353&isDetail=true
大きな変化はないようです。

・続いて2007年10月
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=702873&isDetail=true
年表の通り旅客線及び東金沢駅の移設が完了し、旧旅客線のスペースに北陸新幹線の高架橋が建設されています。

以上のように、金沢駅~森本駅間においては北陸新幹線の用地を確保するために在来線の線路の移設を行いました。
この際、貨物線と旅客線を段階的に移設したため、1984年から2002年の間は金沢駅~森本駅間は客貨が分離された複々線になっていたと思われます。
そして上り貨物と下り旅客の競合を避けるため、東金沢駅~森本間に本記事のタイトルである高架橋が設けられた、ということになります。

図で表しますと、
・1975年頃はこんな感じかと。
Image0011r
赤は貨物線を表しています。

・これが1984年12月になるとこのようになっていたのではないかと。
Image0012r
金沢駅~森本駅間で客貨が分離され、東金沢駅を過ぎたあたりで線路別の複々線となります。そして上り貨物線が旅客上下線を立体交差でまたぎ、方向別の複々線となって森本駅に至っていたと思うんですよね。

・さらに2002年10月になるとこんな感じに。
Image0013r
青は新幹線です。
旅客線も移設されて在来線は複線に戻ったと思われます。

以上のような経過をたどった結果、東金沢駅~森本駅間には「遺構」のような、何も跨がない高架橋が残ったわけです。

以下は2018年5月31日の様子です。

01p1150358
・森本駅の金沢寄りです。

02p1150354
・振り返って金沢方を望みます。右側にはいかにも、といった感じの空きスペースがあります。
・1985年頃は、おそらく現在の線路が上り線で、右側に下り線があったのではないでしょうか。

04p1150363
・金沢駅寄りに移動して金市新保踏切です。森本方です。
・左側にスペースがあります。

05p1150360
・振り返ります。
・上り線はこの辺りから坂を登っていきます。

07p1150365
・さらに金沢駅方向に移動します。高架橋の頂点付近です。
・かつては上り貨物線が旅客上下線を跨いでいたと思われますが、現在ではなにも跨ぐものはなく、一見すると「何のための高架橋?」と思ってしまいますね。

10p1150367
・神谷内踏切です。上り線が坂を下っていきます。

現在となっては何の用もなさない無意味な高架橋のように見えますが、もともとそうなるような計画のもとに建設されたものですので、「遺構」と呼ぶのは少し違うのかな、と感じています。

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コメント

はじめまして。いつも楽しく拝見しています。
さて、懐かしい話題が出てきましたので、コメントいたします。

●金沢駅の高架化に伴う貨物設備移転
まず、1984年頃の貨物線の移転ですが、これは金沢駅の高架化工事に伴うものです。
すでに貨物の取扱設備や金沢運転所は駅の東方に移転していましたが、貨物列車の発着設備や貨物ヤードは駅構内に残っており、これを移転するために、金沢~森本間に貨物の通路線を作り、貨物発着・ヤードを現東金沢付近に移転するものでした。

当時、私は実家の金沢におり、父が貨物ヤードで勤務していたこともあり、配線図を含む計画を見せてもっらたり、実際に工事の進捗を見に行ったりしたものです。

●1984年頃について
さて、森本~東金沢付近の跨線線路橋については、おおむね記事に書かれたとおりです。
ただ、2点ほど違いがあります。

(1) 金沢駅東方の立体交差
1984年12月頃の金沢駅東方の立体交差について、描かれた図では上り貨物通路線が運転所からの入出区線のみを跨いでいますが、実際には本線も跨いでいました。
つまり、森本方と同じで、本線を抱き込む形で金沢駅で合流する形でした。

このとき、本線は金沢駅の東方で、やや北側に向きを変えて通路線をくぐり、迂回するような形に変更されました。運転所の入出区線・貨物の取扱設備の引き上げ線も同様に北側にシフトされています。

最終的には、金沢駅が旧構内の北側で高架化されましたので、迂回の形が解消したというわけです。

(2) 貨物駅そのものは移転していない
貨物の取扱設備そのものは移転していません。
あくまで発着線とヤード外転されたのみです。

●貨物通路線の金沢での配線
貨物通路線は金沢駅で再び本線と合流しますが、貨物通路線は金沢駅の1番線・7番線にしか入れない配線でした。

東金沢駅を移転する際、通路線が本線になりましたが、まだ完成して日の浅い高架の金沢駅の配線を無変更して、どの線にも入れるように変えたんですね。

●貨物通路線の最高速度
当時の北陸本線の最高速度は120km/hでしたが、貨物通路線には立体交差付近などに75km/hの曲線制限があり、あくまで貨物用であったことが伺えます。

この制限が現在でも残っています。

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というわけで、あくまで金沢駅の在来線高架化のために行われたものであり、まだ計画が具体化していなかった北陸新幹線を想定したものではないと考えています。

yokeさん、はじめまして。
詳細な情報ありがとうございます。この関係の資料があまり見つけられなかったものですからとてもありがたく思っています。
それにしても高架化と新幹線開通とで金沢駅周辺は大きく変わりましたね。

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