操車場という名の停車場 その2
操車場という名の停車場のご紹介、その2回目です。
5.高崎操車場
・1943/10/1 高崎操車場開設
・1984/2/1 輸送基地に指定
・1986/11/1 輸送基地廃止
操車場の開設と組成作業の開始は同時期と思われます。
開設以来変わることもなく現在も操車場を名乗る貴重な停車場ですが、
なぜ信号場にならないのかはナゾです。
6.新小岩操車場
・1926/2/14 新小岩信号場開設
・1926/7/1 新小岩操車場に改称
・1928/7/10 旅客駅としての新小岩駅開設に伴い新小岩駅に統合
・1945/6/11 貨物営業開始
・1968/6/1 新小岩操駅として新小岩駅から分離独立
・1984/2/1 輸送基地に指定
・1986/11/1 輸送基地廃止、新小岩操車場に改称
・1987/3/31 新小岩操駅に改称
先に操車場として開設されていながら後からできた旅客駅に統合されてしまうというのも珍しいケースですね。
輸送基地廃止でも信号場にはならなかったのですが、Wikiによれば現在は信号場となっているようです。
7.大宮操駅
・1961/2/17 大宮操駅として大宮駅から分離独立
・1986/11/1 大宮操車場に改称
・1997/1/10 大宮操臨時駅に改称
操車場機能の歴史は1910年頃からのようです。長い間大宮駅の一部だったわけですが、なぜか1961年になって分離されました。
Wikiによれば現在は操車場に戻っているようです。
8.田端操駅
・1961/2/17 田端操駅として田端駅から分離独立
・1986/11/1 田端操車場に改称
・1989/6/22 田端操臨時駅に改称
・1990/4/1 田端操駅に改称
大宮操駅と同様1961年に分離独立するまでは長い間田端駅の一部でした。
今でも貨物駅として機能しているのでしょうか。
Wikiによれば現在は信号場となっているようです。
9.武蔵野操車場
・1974/10/1 武蔵野操車場開設
・1984/2/1 輸送基地に指定
・1986/11/1 廃止
北上操車場と同様、何とも言いようのない残念な操車場でした。
機関区もなく、分岐もないためあっけなく廃止されてしまいました。先端技術を投入した武蔵野操車場がまさか廃止されてしまうとは信じられない出来事でしたね。
10.新鶴見操車場
・1929/8/21 新鶴見操車場開設
・1984/2/1 新鶴見信号場に改称
日本を代表する操車場でした。
信号場にはなってしまいましたが、まだまだ存在感はありますね。
11.小田操車場
・1943/9/14 小田操車場開設
・1973/10/1 廃止
ナゾの多い操車場だったのですが、こちらの記事で皆様からありがたいコメントをいただきました。
実態としては1975年3月10日まで川崎新町駅の構内扱いで存続したようです。
12.塩浜操駅
・1964/3/25 塩浜操駅開設
・1984/2/1 輸送基地に指定
・1986/11/1 輸送基地廃止
・1990/3/10 川崎貨物駅に改称
個人的には操車場というよりは貨物駅としての印象が強いように思います。
操車場機能が廃止された後はすんなり川崎貨物駅という名前に変わりました。
続きます。
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今回は関東圏の操車場ですね。
高崎の地を踏めなかったのは後悔ですが、田端 新小岩 新鶴見 の各所を垣間見れたのだけでも良かったと感じます。
その各所へは、たとえ機関区訪問が目的でも、最寄り駅から機関区に向かう途中、動力車を含めた車両群の集結具合や数え切れないほどの線路群を目撃した時、とてつもなく凄い場所に来たのだとの思いを抱いたのを、30年も過ぎた今でも忘れられません。
やはり首都圏の鉄路の凄さが気持ちの高揚感を高めたのでしょう。
子供の頃に見ていた交通図鑑に大宮操車場が紹介してあり、貨車がウヨウヨしていた頃の大宮操車場を見学したかったなぁ、と半世紀近く時を経ても今だに想ってしまいます。
投稿: E10 | 2018年6月14日 (木) 00時07分
新小岩操車場一番北端(新小岩工場側)側線に一度だけ客車列車で進入した事が有りました以前何所かにコメントしました鉄道友の会主催首都圏貨物線巡りの旅での事常磐線から新金線経由で新小岩操車場迄来て折り返す為新小岩操車場の一番奥迄進入したのでしたが滅多に無い事でしたが既に夕暮れ時でしたので写真の撮影は断念しました残念な事でした
投稿: yyoshikawa | 2018年6月14日 (木) 12時55分
E10さん、私も特急列車ばかり追いかけずにもう少し貨物操車場を見ておけばよかったと後悔しています。
yyoshikawaさん、貨物操車場に乗り入れるとは貴重な体験でしたね。
投稿: f54560zg | 2018年6月14日 (木) 21時08分
貨物操車場ではありませんが
宮原操車場は現在もそのままの名称ではなかったでしょうか?
付近を走る阪急京都本線には宮操筋踏切というのもあります。
操車場の駅長は各管理局では
どういう扱いを受けていたのかも気になりますね。
投稿: 伊26 | 2018年6月14日 (木) 22時04分
伊26さま、 操車場は信号場などと同じく停車場の一種であり、トップの職名は駅長でした。営業活動を行わなくても「駅長」です。
「伊26」というのは旧日本海軍の潜水艦の名ですね。私も潜水艦に興味を持っています。
投稿: C6217 | 2018年6月14日 (木) 23時23分
新鶴見操車場の駅長は、東京駅長とほぼ同格の扱いだったそうです。最盛期には1,000名近い職員がいましたからそれも納得ですね。ヤード照明塔が林立する不夜城の光景も幻となりました。
投稿: 刻苦七十年 | 2018年6月15日 (金) 18時24分
鉄道友の会の貨物線探査列車品川を発車品鶴線(横須賀線)新鶴見操車場通過高島線経由桜木町より根岸線本郷台より東海道貨物線へ茅ヶ崎折り返し東海道貨物線羽沢へ其の侭新鶴見迄戻り武蔵野南線梶ヶ谷府中本町経由大宮迄向い折り返し再び武蔵野線へ武蔵野操車場より松戸へ松戸より金町へ其の後新金線経由新小岩操車場に入線折り返し千葉へ向かい折り返し総武快速線錦糸町まで来て総武緩行線入線秋葉原高架通過後御茶ノ水より新宿迄向い終着と云う操車場や貨物線マニアにはたまらない列車でした
投稿: yyoshikawa | 2018年6月16日 (土) 21時47分
伊26さん、C6217さん、刻苦七十年さん
宮原操車場については後程記事にする予定ですので少々お待ちください(笑)。
操車場には多数の職員の方がいたでしょうから、駅長さんの責任も大きかったでしょうね。
yyoshikawaさん、窓を開ければ新金線が見えるところに住んでいたのですが、残念ながら乗ったことはありませんでした・・・。
投稿: f54560zg | 2018年6月17日 (日) 10時49分