久喜配線図
東北線の久喜駅です。
最初は1958年3月です。
・上りのホームは島式に見えますが、本線は片側だけで反対側は側線です。副本線はホームのない中線のみです。
・東武との貨車の授受がどのようにして行われていたのか興味深いですね。
続いて1972年2月です。
・本屋に面した下りホームが島式ホームに変わり、下り1番線が設けられました。結構大きな改良工事だったのではないかと思うのですが。
・上りホームと東武線ホームの間の線路が増えています。東武線のホームが移設されたんでしょうか。
最後は1980年3月です。
この後に東武線との連絡貨物の廃止が行われるなど大きな変化が生じているハズなのですが、スミマセン、配線図はありません(汗)。
配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
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東武鐵道が北千住より久喜迄開通した時から両駅は貨車授受の主要駅になりました其の後利根川を越え伊勢崎迄路線を伸ばすとより貨物輸送量が増加し当然両駅における貨車の授受のも増加した
唯東武鐵道が開業した当時は北千住も久喜も日本鐵道の駅であり東武鐵道は両駅間を結ぶ日本鐵道のバイパス線的な存在でもありました故に東武鐵道は開業時日本鐵道に習い当時の中小鐵道には珍しくピーコックテンダー機後の5500形同型機を主力機として導入其れ以来4-4-0テンダー機を多数保有する私鉄として有名になりました
前置きは此れ位にして久喜駅配線図に付いて私感を述べてみます
1958年度の配線図では東武鉄道構内の配線の一部が省略されておるので1972年度の配線図を参考に国鉄東武間の貨車授受について述べます(あくまで私感です)
国鉄構内で下り引き上げ線が上り本線を横断する形で青森方向に伸びておる事です此れは東武鉄道との貨車授受用の引き上げ線として機能していたのです其れに対する上り線用の引き上げ線の無い事本線を引き上げ線代わりに使用して入れ替えしていたのか唯運転本数の多い幹線で其の様な入れ替えを常時していたのか?疑問です
東武鉄道向け貨車の授受は下り列車のみで扱っていたのか
東武鉄道側構内は上下両方向に其々引き上げ線が敷設されており入れ替えで本線を塞がぬ様貨物列車待避線は国鉄側に二本敷設されてます
東武の授受線は国鉄上りホーム裏の二本が其れに当る線で国鉄上り方向は55番の片渡りで二本共貨車授受出来る国鉄下り方向は授受1番と上りホーム裏側線が56 57番の両渡りで結ばれている事から此の二線で授受していたのでしょう
国鉄貨物の合理化で久喜での貨車授受は廃止され近所に新設された貨物ターミナルとの間に東武鉄道は連絡線を敷設し其方で貨車授受を行う様になりましたが東武鉄道が貨物輸送廃止となり授受線は現在は甲種輸送の新造車輌の受ける時のみ使用するのみでしょう
話しは変わりますが昔山手貨物線に日々数往復の東武鉄道の一般型貨車で編成された葛生発京浜工業地帯行き石灰輸送専用列車が有った通常のス スム ト トム等が石灰の粉に白く染まり走ると其の石灰粉を辺りに撒き散らし突走っていましたが何処の駅から国鉄線に入線していたのか久喜か北千住だと思うのですが 国鉄線上を自社の貨車だけで編成された貨物列車を運転していたのは東武鉄道だけではないでしょうか
投稿: yyoshikawa | 2018年5月24日 (木) 17時30分
久喜は今では東武鉄道も二面四線となってしまいましたね。現在はJRと東武は線路がつながっていなかったように記憶しています。
72年・80年の配線を眺めていて『東武日光方』
と書かれているのに気付き、思わず笑ってしまいました。
投稿: Hinamiya | 2018年5月24日 (木) 18時40分
久喜駅だから東武側は伊勢崎線のはずなのに、なぜ館林でも伊勢崎でもなく「東武日光方」?
まさか栗橋駅と間違えたとか?
なお、久喜駅を経由する東武日光行は東北線経由です。
投稿: 廃韓 | 2018年5月24日 (木) 22時52分
Nゲージのキットメーカー「キングスホビー」が久喜に店を構えていた時期、よく訪れました。2000年代に入ってもかなり後まで、東武側の配線はあまり変わっていなかったように思います。ただし切り欠きホームの授受1番線の存在は知りませんでした。
23ロと24、また25と26イの向い合った分岐器同士が、やたらと接近していたのが妙に印象に残っています。
投稿: クモイ103 | 2018年5月26日 (土) 19時50分
yyoshikawaさん、東北線の上下方向のそれぞれに対して東武線の上下方向の授受(つまり4通り)となると、結構複雑な作業になっていたんでしょう。特に東北線側は合間を縫っての忙しい作業ですね。
Hinamiyaさん、廃韓さん、他社さんのことには無頓着のようですね。
クモイ103さん、最近の久喜駅の様子は本日の記事でご紹介しますが、申し訳ありません、東武線側はほとんど省略です(汗)。
投稿: f54560zg | 2018年5月27日 (日) 17時00分
半世紀の久喜市民ですがたまたま見かけて楽しませていただきました。
ところで72年80年というのは間違い無いでしょうか?
記憶ではかなり早くに橋上化されたと記憶していますが略図のせいかその様子が見られません。
wikiでも70年に改築されたとあります。
橋上化で駅前広場と跨線橋が北に移設されました。
投稿: daburun | 2022年8月25日 (木) 22時29分
>72年と80年
元資料が間違っていなければその通りだと思います。
また、線路の資料ですのでそれ以外の部分は簡略化(いい加減?)な可能性はあると思います。
投稿: f54560zg | 2022年8月27日 (土) 22時56分
1958年の配線図では下本に面したホームに描かれている本屋記号が、1972年以降の配線図では省略され、同時に1958年は下本のホームから東武線ホームまでだった跨線橋が、1972年以降は駅裏側まで延長されているので、橋上化されたことが配線図にも反映されたと考えた方がよさそうです。
投稿: 北東航21 | 2022年8月29日 (月) 20時40分
お二方、お返事ありがとうございます。
私は技術屋ですが鉄道ファンではないのでその辺りの機微が分からない代わりに、機能まで略した略図に違和感感じてしまいますが、これからは細かいことは気にせず馴染みの駅を周らせていただきます。
投稿: daburun | 2022年8月30日 (火) 19時40分