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2018年5月 9日 (水)

北藤岡配線図

八高線は書類上は倉賀野駅が終点ですが、実態としては北藤岡駅で高崎線と合流する形態となっています。
もともとは信号場だったものがその後八高線にのみホームが設けられて旅客営業が開始されました。ですので八高線側から見れば「駅」なのですが高崎線側から見ると「信号場」ですね。
但し停車場変遷大事典には高崎線の項に北藤岡駅の記載がないのがナゾです。

最初は1958年(昭和33年)3月です。195803
この当時はまだ小野信号場となっており、駅ではありません。

続いて1969年(昭和44年)3月です。
196903
ホームは描かれていませんが、北藤岡駅が開業しています。
信号扱所が描かれていますので、まだ運転要員が配置されていたようですね。

続いて1978年(昭和53年)3月です。
197803
八高線上り列車用の待避線が設けられました。開通待ちによる高崎線列車の遅延が問題になっていたということなのだと思います。

続いて1984年(昭和59年)3月です。
198403
変化はありません。

最後に1993年(平成5年)3月です。
199303r
変化はありません。

書類上の扱いと実態が大きく異なる北藤岡駅ですね。

配線図はT.Mさん及びKASAさんよりご提供いただきました。

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コメント

こんばんは。
久しぶりに行ったことのある駅が登場して喜んでいるところです。
訪問したのは昭和58年頃で、当時北藤岡ー群馬藤岡間に施行されていた連動閉そくを見ることでした。その時はまだ「連動閉そく機」があるものと思い込んでいて、当務駅長さんにお尋ねしましたが、それはなく「方向てこ」そっくりの黄色いてこがあるだけでがっかり?した思い出があります。外見上は、単線自動(特殊)と変わらないように見えました。
八王子方への出発信号機があったと思いますが、配線図には登場しませんね。高崎線のみ記載してあるのでしょうか。

あの頃は、継電も見せていただけたいい時代でした・・・

当時は高崎線の列車に対しても状態注意(通過監視)を行っていましたね。短いホームの端に直立不動の助役さんの姿を思い出します。

3RT生さん、マニアックな訪問目的ですね(笑)。
配線図は高崎線の線路図なので八高線の信号機は省略されているようです。
私は信号扱所(駅本屋とは別の建屋の)に一度だけ入れてもらったことがあります。

刻苦七十年さん、まさか採時とかはしていないですよね。

f54560zgさん、みなさん、 こんばんは。拙HPのCMで失礼します。

昭和33年3月の図のみですが(汗)、北藤岡(小野信号場)の八高線側の線路図を私のHPにアップしましたので、ご高覧いただければと思います。

3RT生さんが訪問された時代の北藤岡~群馬藤岡間の線路図も是非みたいなと思います。

皆様、こんばんは。
KASAさん、八高線の閉そく方式の変遷、興味深いですね。自動化された幹線からの分岐から1区間だけ、通票を持たない区間があるケースは多かったと思います。九州では連査閉そく式をよく見かけました。
北藤岡ー群馬藤岡間の路線図は持っておりませんが、小生の訪問時に撮らせていただいた継電の写真からは辛うじて読み取れそう(画像を公開して良いものか悩んでおります)(汗)・・
お時間をいただければと思います。


f54560zgさん、みなさん、 こんばんは。

3RT生さん、メッセージをありがとうございます。

「自動化された幹線からの分岐から1区間だけ、通票を持たない区間」というのは非常に興味深い話題だと思います。

写真の方はなんかリクエストしてしまったみたいで申し訳ありません(汗)。もちろんお時間のある時に、差し障りのない範囲でお願いします。

KASAさん、3RT生さん
「自動化された幹線からの分岐から1区間だけ、通票を持たない区間」とする意図は、いったいどのようなものなんでしょう?

f54560zgさん、3RT生さん、

>意図

結局のところ合理化につながっているのでしょうけど、言葉で具体的に説明するのは、私にとっては難しいですね(汗)。

昭和53年3月現在の「国有鉄道閉そく方式一覧図」から抜き出してみますね。

「幹線」「分岐」にあわない箇所もあると思うので、どちらかというと、「自動閉そく区間と通票閉そく区間をつなぐ通票を持たない非自動閉そく1区間」ということになるでしょうか(汗)。

日高本線 苫小牧(操)~勇払(連査閉そく式)
足尾線  下新田~相老(連動閉そく式)
八高線  北藤岡~群馬藤岡(連動)
芸備線  広島~矢賀(連動)
       東広島~矢賀(連動)
岩日線  森ヶ原信号場~北河内(連動)
筑肥線  博多~筑前高宮(連査)
久大本線 大分~向之原(連査)
豊肥本線 下郡信号場~中判田(連査)  
日豊本線 鹿児島~竜ケ水(連査)

もう少し古い時代だとともっと多かったかもしれません。

皆さまこんばんは。
KASAさん、データありがとうございました。
分岐した1区間で終点となる、小波瀬ー苅田港間などを加えると、もう少しありそうですね。

広島管内のは連動閉そく式でしたか・・自動区間だと思っていました。
小生が敢えて「非自動」と謳わなかったのは、芸備線の備中神代ー矢神間が「通票を持たない区間」に該当することからでした。昭和47年に伯備線が自動化(CTC化)された際、この区間は連動ではなく自動区間となりました。閉そく信号機のない、のちに「自動B」と呼ばれる方式で、当時はまだ「単線自動閉そく式(特殊)」の名称は一般的でなかったと思います。
制度上は非自動と自動とで大きく異なりますが、連動と自動Bの区別は、実態を見る限り曖昧な感じを受けていました。北藤岡までわざわざ見に行ったのは、どこか違うのかを確かめるためだったのです。

3RT生さん、f54560zgさん、 皆さんこんばんは。

3RT生さん、

なるほど。これはたいへん失礼しました。八高線の場合に引きずられて、「非自動1区間」の意味かと思い込んでおりました。

先の「一覧図」でも「備中神代~矢神間」は自動区間になっていますね。これには気がつきませんでした。

3RT生さん、KASAさん
スミマセン、少し混乱しています(汗)。
要は、
「単線自動閉そく(特殊)と連動閉そくは何がちがうのか?」
ということでしょうか。
個人的には、
「なぜ自動化された幹線からの分岐から1区間だけ通票を持たない区間があるケースが多いのか」に興味が湧いてしまいます(汗)。

f54560zgさん、皆さまこんばんは。
ご質問の答えが出せないままで申し訳ありませんでした。
「合理化のため」には違いありませんが、それぞれの事情?がありそうです。独立した信号扱い所のあるような大駅では特に、本線側が自動化された後も、閉そくを扱う要員を別に配置することを嫌ったのでしょう。

「事情」を想像してみました。
1)分岐駅での通票折り返し使用に支障がある
[例1]大分 別府方面への直通列車が多数運転されていました。対向列車が離れたホームから発車するケースもあったと思います。
[例2]博多 筑肥線は編成が長く運転頻度も高いので、混雑するホームでの折り返し使用は困難もあったのではないでしょうか。竹下への小運転線分岐の存在も関係しているかもしれませんね。
2)分岐駅が信号場である
1人乗務の気動車列車の場合、運転停車を余儀なくされます。また、信号場の無人化ができません。
[例1]森ケ原 無人だったと思います。西岩国からRC制御だったのでしょうか?(資料が手元にありませんので推定です(汗)。下新田も同様かと思います。
[例2]下郡 (正確には分岐ではありません)有人ですが大分運転所の設置でできた信号場です。豊肥本線側は、信号扱い所に通過監視用と思われる小さな出窓があるだけです。
3)分岐駅がCTC化された
[例]備中神代 無人駅です。先に書きましたが、矢神まで自動区間になっていて、矢神とCTCとの間では、「閉そく」ではなく方向てこのやりとりがありました。

北藤岡の場合は2)に近いですが、当務駅長さんは八高線列車の発着前後、速やかに高崎線(こちらは進行定位)のルート構成を行う必要があり、こうした事情もあったかもしれません。

3RT生さん
詳細な解説ありがとうございます。
通票を運搬する作業をなくすという点ではよく理解できました。
ただ、連査・連動の場合は通票の取り扱いはなくなるものの閉そくの取り扱いは残りますので、無人化のためには自動化が必要ということですね。

f54560zgさん、みなさん、こんばんは。

3RT生さん、具体的でわかりやすいご教示をありがとうございます。

>西岩国からRC制御だったのでしょうか?

昭和51年4月1日現行の広島局の運転取扱基準規程によれば、森ヶ原の信号機と転てつ器は、柱野駅での取り扱いだったようです。

KASAさん、みなさま こんばんは。
森ケ原は柱野からのRC制御だったのですね。いつもご教示ありがとうございます。
無人化するとなると連査閉そく式では無理ですね。RCでは分岐部に連動閉そく式が採用できて、CTCになると自動化しないといけない、というわけではないと思うのですが、通票を廃止した年代がその別れ目なのかもしれません。管轄する管理局の考え方もあると思います。
個人的には、連動と自動Bの違いを納得するには、結線図を見ないことには決着しないのでは?と思っております(汗)。

 連動と自動Bの相違点について。  連動閉塞は軌道回路が駅間のみで、駅構内は駅長による確認に頼っている。  自動Bは駅構内を含めて100%軌道回路を有している。  この理解は正しいでしょうか?
 これが正しければRCやCTCの区間で連動閉塞が採用されることはあり得ないと思います。

3RT生さん
連動と自動Bの違いについて、貴ブログでぜひとも解説をお願いしたいと思います。いかがでしょうか?

f54560zgさん、皆さまこんばんは。
「書きかけ」のレポートではないですが(汗)群馬藤岡編を拙ブログに掲載しました。なにぶん信号は(他もですが)勉強中なので、ご教示の程よろしくお願い申し上げます。
http://lbxnydr.cocolog-nifty.com/blog/
です。
北藤岡編も書きたいと思っております。よろしくお願いします。

f54560zgさん、 C6217さん、3RT生さん、みなさん、こんばんは。

RCやCTCの区間で連動閉塞が採用されることはあり得ないというC6217のご指摘はまさにその通りではないかと思います。

一方、3RT生さんが指摘されていらっしゃる、自動区間の岩徳線から岩日線が分岐する「分岐部」の停車場(森ヶ原信号場)が、無人化され、RC制御の被制御駅の場合、分岐する岩日線の常用閉そく方式が非自動の「連動閉そく式」というのはあり得るのだろうか?という点についてなのですが、これについては、先のコメントで、私の書き方が中途半端で、もしかしたら、誤解を招いたかもしれません。お詫び申し上げます。

昭和51年4月1日現行の上記規程の当該条文を読みますと、森ヶ原は、柱野からのRC制御であることには間違いないのですが、さらに他の条文から、森ヶ原駅は「無人ではなかった」ことがわかりました。

「閉そく方式変更時における森ヶ原信号場及び柱野駅の信号機の取扱い」という項目を扱った条文で、西岩国・柱野間を1閉そく区間とした時を除き、森ヶ原駅長が柱野駅長に対し、取り扱うべき信号機名と、定、反位別とを通告するべき旨が規定されており、少なくとも当時は、森ヶ原は無人駅ではなかったようです。

分岐する岩日線が連動閉そく式であるがために、無人化できなかったのでしょうか。

ただ、そうすると、通常の場合でも、森ヶ原駅で閉そくを取り扱った後、それを柱野駅に通告して、信号機や転てつ器を操作していたのでしょうかね。
個人的にはなんか中途半端な印象を受けます。
RC化は、CTC化を見越した先行投資だったのでしょうか・・・。

のちほど、森ヶ原信号場の当時の信号機位置図を私のHPにアップしておきます。長文で失礼しました。

皆さまこんばんは。

KASAさん、詳細なご説明をありがとうございました。小生の勘違いから、てっきりRC制御と思い込んでしまいまして、申し訳ありません。

森ケ原は無人化できないにせよ、閉そくを取り扱う時間帯だけ人員を配置しておけばいいので、岩日線の運転頻度から見てかなり省力化できたのでしょう。併合閉そくとした時間帯もあったと思われ、山陽本線列車の迂回運転などを想定したものと思いました。
自動化しなかったのは局の判断(費用対効果?)なのでしょうか。

3RT生さん
早速のご対応ありがとうございます(笑)。
そちらのほうにお邪魔させていただきますね。

ところで今更なのですが教えてください。
岩徳線及び岩日線の閉そく方式の変遷、どのような歴史を経ているのでしょうか。
森ヶ原信号場について、とても面白そうですね。

拙HPに森ヶ原信号場の線路配置図をアップしましたので、ご高覧いただければと思います。

>管理人さん

「youtube」で、

高崎→北藤岡で、見ること をお勧め します。

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