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2018年3月25日 (日)

旧蛇窪信号場の状況(yyoshikawaさんから)

旧蛇窪信号場の現況についてyyoshikawaさんから写真をご提供いただきましたのでこの場でご紹介させていただきます。

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・旧住吉踏切の人道地下道現在閉鎖

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・ホーム南端部から新幹線高架が被り始める

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・原は品鶴線3番目の踏切

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・森前架道橋銘板

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・森前架道橋上は西大井駅ホーム

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・西大井駅駅舎

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・立会川架道橋

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・上蛇窪架道橋

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・西大井駅ホーム北端

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・下蛇窪架道橋

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・下蛇窪可動橋

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・此の築堤上に背向渡り線と蛇窪信号所が存在していた

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・西の下架道橋

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・此の辺りから蛇窪

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・杜松地下道へ上る坂

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・旧杜松踏切跡現在人道地下道化

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・杜松地下道から西大井駅方向を見る此の先で品鶴線と大崎支線が合流していた

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・此の辺り迄嘗て路線別複々線であった

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・下村踏切西大井駅方向

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・品鶴線2番下村踏切から西大井駅ホームを望む

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・下村踏切から隣の住吉踏切が見える自転車の女性が渡ろうとしている

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・住吉踏切

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・旧住吉踏切は現都道26号線工事現場付近に有った

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・品鶴線大崎支線現合流部

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・住吉踏切から下村踏切を渡るオートバイが見える

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・嘗て品鶴線は今の新幹線高架の所を通っていた

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・嘗ての背向渡り線は現住吉踏切辺りに有った

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・都道26号線工事現場旧住吉踏切跡

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・住吉踏切品鶴線跡品川方向

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・住吉踏切品鶴線跡西大井方向

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・旧住吉踏切脇に人道地下道が存在していた

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コメント

突然蛇窪付近の現在の状況写真画像をf54560zgさんのブログに掲載させて頂きました
現在一般的には蛇窪というと東急大井町線下神明駅高架と交差した処に品鶴線と大崎支線が合流する場所が蛇窪といわれてますね 此処に両線が合流する様になったのは新幹線高架工事が始まった頃でした
然し嘗て客車特急つばめはとの編成毎山手貨物線大崎支線品鶴線を利用した方向転換していた時代の蛇窪信号所は此処ではなかったからです 何故なら仮に現在と同じ場所で方向転換に伴う折返ししていたとすると隣接する三か所の踏切(品川大崎側から住吉 下村 杜松)を少なくとも十数分間閉鎖せねばならないのです27枚目の写真住吉踏切から隣の下村踏切が望める位近接してるからです
f54560zgさんやKASAさんのブログ掲載の大崎配線図を見ておると此れ等の踏切の有る区間は1960年代頃は路線別複々線であた両線が合流するには杜松踏切の先であったのです 
品川大崎から築堤で徐々に勾配を登り鎗ヶ崎と云う台地にあがり再び小さな谷筋を築堤で越え次の戸越台地へ上り杜松踏切の先で立会川の谷筋を再び築堤で越え次の原踏切迄は最大16輌編成の列車が停車しても踏切支障が起きないのです現在此の築堤区間に西大井駅が存在しております そして此の築堤区間に下蛇窪上蛇窪という架道橋が有ります写真9枚目12枚目がそれです下蛇窪架道橋は西大井駅品川大崎よりに有り上蛇窪は西大井駅ホーム下に有ります
蛇窪とは昔此の辺りの土地が窪地で然も立会川谷筋で有りジメジメした所で蛇がニョロニョロ出て来た処であったので此の地名が付いたが後に此の辺り上神明下神明と変更した現在は二葉町と再度変更されました名前として蛇窪が残っているのは架道橋名だけです
嘗ての複々線区間は新幹線工事の折撤去され高架用地になりました
東急大井町線架道橋部分は現在も複々線長の架道橋で越えてます嘗ての複々線であった名残りです 取り合えず此処迄述べました  

yyoshikawaさん、詳説ありがとうございます。
蛇窪という、ちょっと不気味な名前ですが、特急列車の転向作業が行われた栄誉ある信号場ですね。

今回の写真は一枚目以外は同じ日に撮影したもので西大井駅の先の原踏切から順番に線路沿いに品川大崎方面へ移動しながら撮影しました そんな関係で通常の蛇窪廻しとは逆の順番になってます悪しからず
嘗て客車時代(当然青大将)上り特急つばめ号が東京に到着するのが17時頃其れから一旦品川迄到着編成の儘機関車牽引で展望車先頭で回送其れから山手貨物線を通り大崎へ回送(KASAさんのホームページ大崎1951年配線図参照)大崎駅48イで中線入線後少し停車後スハニ35先頭で推進運転で大崎支線を最徐行で進み蛇窪信号所迄向い一旦停止後背向渡り線で品鶴上り線を品川へ牽引回送してました 毎日必ず行われていた儀式で子供の頃線路際で見て居ました当時の写真は以前レールマガジンに投稿してます

yyoshikawaさん、短距離とは言え列車としての推進運転ですよね。上野~尾久間と同じような取扱いだったのでしょうか。

「そもそも は、
  その周辺=デルタ線 であり、
客車列車時代は展望車が最も後方に連結。 
=
1列車を、丸々方向転換させる事 で
      設けられた線路」 のようですよ。


昔はSLの牽引 でしたが、
その後、電気機関車になり→
「今は電車」なので、わからない ようですが、
いわば
「1等展望車 を、常に最も後ろ にする ため」。

名無しさん、当時のプライドが感じられますね。

抑々は山手貨物線品鶴線間を品川で折り返しせぬ様両線を結ぶ大崎支線を建設両線間の短絡線としたものです貨物列車直通の為です
全ての客車列車に展望車が連結されていた訳では有りません戦前は富士号燕号戦後はつばめ号はと号だけでした然も戦後一方向固定座席のスハニ35形及びスハ44形特急用三等客車が連結されていたので編成ごと方向転換せねばならなかったのです其の為丁度デルタ線であった山手貨物線品鶴線大崎支線を使い方向転換したのです

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