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2018年3月17日 (土)

小運転線 その1 上沼垂

今回の記事、「小運転線」というよくわからないタイトルをつけましたが、記事の内容とはあまり関係がないかもしれません。誤解を招いたらお許しを。

発端は新潟運転所上沼垂支所の配線図です。こちらです。
19790717m1
白新線と並行してもう1本の線路が描かれており、「小運転線」と書かれています。

上沼垂駅と新潟操車場(いずれも当時の名称です)との間には上記のように白新線以外にもう1線、貨物列車用の本線が敷設されており、このような形態は結構珍しいのではないかと思っています。
そこでこのような
『隣り合う2停車場間に、主たる本線以外に併設された線路(主に本線)』
を探してみよう、というのが今回のテーマです。
上記の例ではその線路にたまたま「小運転線」という名前が付けられていましたのでこれをタイトルにしました、という流れですので、小運転線という名称にこだわったわけではありません(汗)。

それでは本題です。

1)上沼垂駅~新潟操車場
・前述の通りこのテーマのきっかけとなったところです。
・いろいろ調べてはみたのですが、この小運転線がいつごろ開通したものなのかがよくわかっていません。以前にこのあたりの空中写真をまとめた記事を書きましたが、1965年から1973年の間ぐらいではないかと思うのですが。上沼垂が貨物営業を開始した頃かもしれません。いずれにせよ新潟操~上沼垂~沼垂・焼島方面への臨港貨物線を結ぶ貨物列車のために設けられた線路であろうと思われます。

以下、線路の変遷です。

最初は1973年頃。
1973r
・上沼垂~新潟操間の太線が小運転線です。
・この当時は白新線は単線でしたので、白新線の複線化ではなく白新線と小運転線の単線並列の形態とした理由がナゾです。後年の白新線の複線化を見越していたのでしょうか。

次に1978年頃。
1978r
・白新線が複線化されてこのような形態になります。白新上り線は信越線を跨ぐこととなり、臨港貨物線からは遠ざかってしまいました。
・白新線の上下線は小運転線を挟み込む形となり、東新潟駅のホームは上下で大きく離れた位置関係となりました。ちょっと複雑なカタチの複線化ですね。

1979071701_3
・1979年撮影です。越後石山からの外線が白新線を跨ぐあたりです。
・右は白新上り線、左は小運転線です。

1979071702d
・振り返るとこんな感じ。
・白新線が複線化される前は線路は赤線のようにつながっていたハズです。

最後に1989年頃。
1989r
・新潟操車場の貨物基盤再整備の関係でしょうか、白新下り線と小運転線が入れ替えられ、東新潟駅のホームは上下線が隣り合うこととなりました。これでかなりスッキリした気がします。

1990080901
・1990年撮影です。右の白新上り線はそのままですが、左は白新下り線に入れ替わっています。

1990080902
・右の白新下り線は小運転線時代に比べて軌道が強化されているように見えますね。

貨物輸送の縮小でこの辺りの貨物列車も本数が激減しました。今となってはわずかな本数の貨物列車のためにそれ用の線路が必要とは思えず白新線だけで事足りるような気もしますが、前述の通り白新線が複線化された際に上沼垂で上り線が臨港線とは信越線を挟んで反対側に接続される形態となったため、この小運転線が存続しているのかもしれません。

このような線路、他にもいろいろありそうですが、とりあえず今回はここまでです。

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コメント

 「小運転」の定義について  個人の見解ですが、二つの停車場または相当する距離・区間を構内運転方式で運転するもの、と受け止めています。
 現場の慣用語であれば定義を唱える方がヤボですが。
 本線を走行するのか、新潟のように専用ルートを設けるのか、いろいろだと思います。途中に踏切もあったと記憶しています。

こんにちは。
今回のテーマ、とても興味深いです。
列車運転時刻表や列車運行図表に記載がある「入換」が小運転に当たるかと思いますが、いかがでしょうか。
上沼垂~新潟操もダイヤ上で記載があるか、気になります。

配線や運用を考えると興味深いテーマですね。
思いつくまま本線以外にも2駅間に線路がつながっている個所を列記します。
郡山操車場ー郡山駅
西浜松貨物駅ー高塚
徳山ー新南陽
などが思いうかびます。

コスモスさん
青森-青森信にも線路(回送線)がありますね。

それから本線以外の線路がつながっている区間で、他方が厳密には停車場では無いところとして、
青森-青森車両センター
秋田-秋田車両センター(NG)
があることに気づきました。

やわやわとまれさん、こんにちは。

車両基地がらみの小運転線配線ですね。
幕張車輛センターは、津田沼駅と幕張本郷駅の総武快速線上下線の間に抱き込み式で配置されていますが、入出区線がどちら側の駅にも繋がっていますので、C6217さんご指摘の定義に該当しそうです。
実際には津田沼から幕張本郷まで、車両基地内を通過するような運転は考えにくいとは思われます

面白いテーマですね。
f54560zg さんの(主に本線)という条件には必ずしも沿いませんが、私も子どもの頃、駅間が本線以外の線路で繋がる箇所が無いかと目を凝らしていました。
今まず思い浮かぶのは総武本線津田沼-幕張間です(と下書きしていたらコスモスさんが先に書かれてしまいました…)。
厳密には違うかもしれませんが、尾久操車場-井堀信号場間の入出庫線もちょっと引っかかります。こちらは以前、本線の橋梁工事の際に営業列車である「北斗星」が迂回で通ったことがありますね。
昭和50年代に鹿児島本線門司港-門司間を通った際、本線の海側に貨物側線がどこまでも続いていて、もしかして駅間が繋がっているのでは?と思ったことがあります。これは全く根拠がありませんけど。

連投で失礼します。

鹿児島本線の博多駅と竹下駅の間にも、回送列車用の小運転線らしき線も含めて3線路ありますね。

ご無沙汰しています。小運転線、とても興味をそそるタイトルですね。現在でも健在なところとしては、山陽本線の鷹取‐兵庫間でしょうか。かつては徳山‐新南陽間にもあったように思うのですが、近年は岩国以西へ行く機会がなく、現地を見れずにます。

こんばんは。新たなテーマに以前から気になっている区間についてご教示願えればと思い、書き込ませていただきます。
豊肥本線の大分−下郡(信)間は、大分電車区(→大分車両センター)出入区車両の回送のため使用されていましたが、JR化後日豊本線からも出入区できるようになり単線並列でした。現在では大分駅の高架化に伴い日豊本線鹿児島方への列車は別線(単線)に移り、かつての日豊本線は「中通路線」として引き続き回送に使用されています。
この経緯からみて、下郡(信)はあくまでも豊肥本線の停車場だと思うのですが、(日豊本線→)「中通路線」の大分駅−大分車両センター間は、大分駅の構内運転の扱いなのでしょうか?

f54560zg さん、みなさん、こんばんは。

クモイ103さんの鹿児島本線・門司港~門司間に関するコメントを拝読して、昭和52年12月の配線図をみてみたのですが、門司港~葛葉間にまさに「小運転線」がありますね。

この「小運転線」は、非電化で葛葉駅の場内・出発信号機が腕木式というユニークなものなのですが、まさに、ブログ本文で書かれている「隣り合う2停車場間に、主たる本線以外に併設された線路(主に本線)」でした。

葛葉~門司間は、門司駅までは到達していないものの、この小運転線を延長するような形で、飼料会社の専用線へとつながっていたようです。

門外漢の私が、関西風で言うところの、「いっちょかみ」 になりますが、SLファンの視点から見ますと、タイトルの 《小運転》のイメージは、やはり C50型蒸気機関車は外せません。
蒸気機関車誌連載の《動輪の響き》の影響からか、稲沢機関区にそこそこの両数が長らく配置されていたC50型に関して、小運転と聞くと距離的に長すぎても稲沢線が頭を過ぎるのですが、稚内から枕崎まで、あちこち見て歩いていたら、本線と並行する線路を見かけたことは多々ありました。
しかしながら、それは国鉄線と並走する私鉄線だったり、専用線や引込線、そして車両基地への出入区線だったりと、その正体は様々でした。
素人目には、鶴見地区や桜島地区などが候補かなと感じたのですが、はてさて、皆さんの関心の高さに第二弾以降の記事に注目ですね。

KASAさん、フォローありがとうございます。
門司駅まで繋がっていなかったのは残念ですが、やはり相当長い貨物線があったのですね。
私が通ったのは日没後だったため詳細に観察できませんでした。

クモイ103さん、返信ありがとうございます。配線図をいつもとは違った視点からみる好機になりました。

少し補足させていただければ、門司駅側からも貨物側線が門司港側に伸びていて、その線路名称からみて、貨物側線は、現在の小森江駅の先にある神鋼メタルプロダクツのところまで達しており、一方、門司港側からの貨物線は、葛葉駅を経て、上記の神鋼メタルプロダクツの門司港側の隣にある門司飼料のところまで来ていたようなのです。

結局のところ、線路はつながっていなかったものの、門司港~門司間の鹿児島本線の上り本線側には、門司港、門司の両駅から伸びる貨物線がほぼ途切れることなく敷かれていたということになると思います。

KASAさん、重ねてありがとうございます。
駅間5.5kmをほぼカバーする並行貨物線、昼間の明るい時に通ってよく観察したかったです。

話は変わりますが、高崎線の倉賀野-高崎間はどうだったでしょうか?

自己レスです。
高崎操車場の配線図をよく見たら、倉賀野駅とは惜しいところでつながっていなかった様ですね。失礼しました。

皆様、たくさんのコメントをいただきありがとうございます。中には「想定外」のものもあり、今後調べるのが楽しくなりそうです。
その中で3RT生さんの大分駅の件についてはちょっと興味をひかれましたので、恥ずかしながら記事にしてみました。
北九州の貨物線はまさにカオスですね。実態を誰も把握していなかったのではないかと思うくらい・・・。

クモイ203さん、高崎操車場~高崎間に、機関区を介して、機走線(複線?)がありますね。倉賀野駅も貨物側線があって倉賀野までなんかつながっていそうな地帯ですよね。

高崎操駅から上り本線をアンダークロスして、機走線が高崎機関区まで繋がっています。背中合わせになっている高崎駅寄りの高崎車両センターとは線路が繋がっており、車両センターから高崎駅までは本線とは別の入出区線で繋がっています。つまり、高崎操駅ー高崎駅間では、本線とは別ルートで線路が繋がっていることになります。なお、機走線は操車場が現役だったころは、上下別の複線でしたが、現在は単線です。

皆さま、こんばんは。
「機走線」もワクワクするタイトルです。小生が馴染みの場所では岡山−岡操間にも複線の機走線がありました。機走線自体の距離は短いのですが、国鉄時代には出入区機以外に岡操方面への職員輸送便の設定があり、岡山機関区、上り前方、運転本部の横に簡易なホームがありました。岡山運転区のスヤ37も岡操まで運転されていました。

クモイ103さん、前コメントでお名前を間違えて書いてしまいました。たいへん失礼しました。申し訳ありません。

コスモスさん、高崎の機走線は、現在は単線なのですね。ご教示ありがとうございます。

3RT生さん、岡山~岡操間も複雑ですよね。職員輸送便も(連続する)広大な鉄道施設構内ならではで、興味深いです。これも「小運転」の一つに含まれるのかもしれませんね。

質問ですが、営業運転列車が走行をしている線に関しては、小運転線の定義には当てはまらないのでしょうか?

皆様
高崎も岡山もややこしいところですね(汗)。

ASAMA189さん、
「小運転線の定義」については明確なものはなく、C6217のおっしゃるように現場サイドでの慣用的なものではないかと思っています。但し個人的には営業運転列車が走行をしている線も当てはまると考えています。
「小運転線」という表現のほか、「小運転列車」という表現もあり、この場合は、東海道線や山陽線のような幹線線区において、国府津~鴨宮や幡生~下関のような特定の短小区間に運転される列車を小運転列車と称しているようですね。

私が思いついたところでは、小運転線というのか分かりませんが、山陽本線の厚狭〜宇部間の本線に並走の貨物線を思い出しました。もう廃止された線ですが、本線と親子のように単線の線路があったようですね。
最初知った時は、珍しい形状だなぁと思いました。貨物列車の他に、九州から宇部線に直通する交直流車もその線を借りて走っていたみたいです。実際に行ったとか乗った訳ではなく、雑誌、本で知っているだけですので、どうぞ悪しからず。

ASAMA189さん、かつて美祢線から宇部線へ直通して多数運転されていた貨物列車のルートですね。旅客の気動車列車も少数ですが宇部まで乗り入れていました。むかし宇部駅のホームに立って門司方を眺めていると、上り本線に九州からの小郡行き交直流電車が、そして貨物線には美祢線からの宇部行き気動車が、並走して同時進入してくるシーンに遭遇しました。また宇部線の戦前型国電も朝に1往復宇部から厚狭まで足を延ばす運用があり、私が見た時は貨物線へ進出して行きました。

KASAさん、誤記は気にしないで下さい。チョッパ制御になってびっくりしましたが(笑)

小運転線といえば、博多-竹下(南福岡車両区竹下車両派出)ですかね。
博多駅の切替工事に伴う、小運転線経由の営業列車運転もあったようです。
http://www.geocities.jp/vzm05304/under_construction/hakata/maai/maai.htm
(勝手なリンクで失礼します)

こちらのページによると、構内運転ではなく列車扱いのようですね。速度制限がきついようなので速度的には変わらないようですが。(笑)

3RTさま  岡山~岡山操車場の機走線は私も見ています。複線の構内運転であり、入換信号機が3現示でした。白色灯の水平が停止、斜めが注意、垂直が進行、です。
 岡山機関区は岡山操車場に接していて、岡山から機関区への入区は、機走線を構内運転で岡山操車場へ至り、そこから機関区へ進入していました。
 現在は機走線が廃止となり、岡山からの入区は本線を岡山操車場へ行かないとできなくなりました。

 管理人さま  3現示の入換信号機の記号はどうだったでしょうか?

皆様
宇部の貨物線、竹下の回送線も調べてみたいと思っています。
3現示の入換信号機の記号は私もよく知りませんです(汗)。

C6217 様
3現示の入信、見てみたかったです。小生が岡山にいたのは国鉄末期でしたので、その頃にはもう存在していなかったのでしょうか。
手元の昭和30年代の資料には3現示の入換信号機が登場しますが、入換標識共用の際に設けられる識別標識は見当たりません。入標の記号に斜線が入ると入信(2現示)、は今と同じで、斜線が放射線状に2本入ると3現示の入信、だったようです。

3RT生さん、3現示の入換信号機の記号の情報ありがとうございます。3現示ということは現示によって制限速度が違っていたのでしょうか。結構長い区間の構内運転でないと意味がないのかもしれませんね。

ところで、
2011年以前の苫小牧は構内運転なのでしょうか?
それとも小運転?
2011年に貨物基地を苫小牧貨物駅へと変更後は、
苫小牧駅接続の製紙工場は、
苫小牧~苫小牧貨物間は時刻表上列車扱いですが、
それ以前は旅客と貨物は同一駅扱いだったわけです。

構内運転扱いなら、時刻表記載もないだろうし、
小運転扱いなら時刻表はあったような気がします。

2011以前の時刻表持っていれば解決する話なのですが(;^_^A

ゆかわあきらさん
手持ちの貨物時刻表を見てみたのですが、少なくとも1997年版以降では苫小牧(本)~苫小牧(貨)間の小運転列車が掲載されていますね。
逆に1992年版以前では、苫小牧(本)、苫小牧(貨)がそれぞれ分かれて記載されているものの、両駅間を結ぶ貨物列車は掲載されていません。
したがってこの間に運転方法が変更になったのかもしれません。

管理人様ありがとうございます。
92年前後はワキ5000(3万番台)からコンテナ化の過渡期にあたるようで(ウィキペディアでは93年で完全コンテナ化)それまでは、苫小牧駅(本)からの発着だったかもしれませんね。
(あくまでも線路の関連が今と違うが前提で、現状だと貨物基地まで入れ替え扱いや小運転で取り込まないと無理そうなので。)

上のは私です。

 岡山の3現示入換信号機の設置理由は、次の入換信号機の見通し距離が短かったためと聞いています。
 3現示の進行ならば次は停止現示ではないと判断できますから。

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