貨物列車ネタ20(重たい列車・長い列車) その1(五日市線・鵜殿)
貨物列車ネタの20回目です。またまた誤解を招きかねないタイトルで申し訳ありません(汗)。
貨物時刻表を眺めていると「ン? なんだコレ?」と思う貨物列車がいくつかあり、書籍やネットで調べていくうちに勾配や有効長の関係で特殊な運転方法を採用しているということがわかってきましたので、これらについてご紹介したいと思います。
●最初は五日市線の貨物列車です。
下図は1968年10月の貨物時刻表から作成した貨物列車ダイヤです。武蔵五日市駅~武蔵岩井駅間のみ旅客列車も細線で表しています。
「ン?」と思ったのは、貨物営業を行っていないハズの武蔵増戸駅始発・終着列車が設定されている点ですね。
最初にネタばらしをしてしまいますと、こちら様のサイトに大変詳しく紹介されています。
http://www.geocities.jp/red50kei/iwai/iwai-main.html
これを拝見するとこれ以上の説明は必要ない気もするのですが、そこをあえて(汗)。
要するに武蔵五日市駅~大久野駅間の上り勾配の関係で拝島駅方面からやってきた貨物列車を武蔵増戸駅で分割し、2回に分けて輸送する方法をとった結果のようです。
従って帰りは下り勾配(しかも空車?)なので大久野駅から一気に拝島駅方面に向かいます。
ただそうであれば、大久野駅から武蔵増戸駅に向かう360、362、364、366列車は単機ではないかと思うのですが。
1980年10月になると上図のように1往復に減少してしまいました。そして1982年に大久野駅が廃止され、このような妙な貨物列車も姿を消してしまいました。
●次は鵜殿駅の貨物列車です。
まずは2004年3月です。
稲沢駅方面からやってきた貨物列車は目的地である鵜殿駅を素通りし、いったん隣の新宮駅まで向かいます。この時点では新宮駅の貨物扱いは廃止されていますので、営業上の理由で新宮駅まで行く必要はないハズなのに?というところが「ン?」ですね。
このような運転方法がとられた理由が鉄道ピクトリアル2000年3月号に記されており、「急勾配に備えてDD51の重連となっており、この補機分の有効長が鵜殿では確保できないことから下り(空荷)は1駅先の新宮まで行き折り返し、上りは新宮から出発する変則的な運転形態となる」ということだそうです。
新宮駅から鵜殿駅に戻るときは勾配もなく重連である必要がないので、単機牽引となって有効長内に収まることができる、ということなのでしょうね。
なるほど、そういうことですか、とは思うのですが、単純に「鵜殿駅に着いたらすぐ入換を始めればいいんじゃないの?」と思ってしまいます。鵜殿駅で列車交換があるわけでもなさそうですし。まあ、そんな単純なことではないのだとは思いますが。
次に2009年3月です。
新宮駅折り返しがなくなって鵜殿駅直行になりました。ということはコキの両数が減ったのでしょうね。同時に単機牽引に変更されたのかもしれません。
そしてWikipediaによれば、2013年3月に鵜殿駅発着の貨物列車は廃止されてしまったようです。
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こんばんは。
五日市線の項目の終わりの方で疑問を呈された「大久野駅から武蔵増戸駅に向かう360、362、364、366列車は単機ではないか」について、全くの当てずっぽうですが、もしかして車掌車を連れて戻っていたということは考えられないでしょうか?
投稿: クモイ103 | 2018年4月 3日 (火) 20時15分
クモイ103さん、なるほど、その可能性はあるかもしれませんね。何かつなげていれば単機ではないということですね。ただ、貨物を輸送しない貨物列車というのはちょっと釈然としないところはありますが(笑)。
投稿: f54560zg | 2018年4月 4日 (水) 20時25分
ネット上に、大久野駅でED16+車掌車(ワフのようにも見えますが)の写真がありました。クモイ103さんがご指摘になられた列車の証左でしょうか。
参考HP:http://ed1614.g.dgdg.jp/newpage9.html
投稿: コスモス | 2018年4月 5日 (木) 20時02分
コスモスさん
興味深いページを紹介して下さりありがとうございます。ワフを1両だけつないだED16が何だかそれっぽいですね(構内入換中の1シーンという可能性も考えられますが…)。
ふと飯田町の紙センターへ行くハワム列車のことを思い出しました。有効長の都合で新宿で分割していましたが、車掌車が初めから中間にも入っていて、新宿では単純に切れば良いようになっていたと思います。五日市線ではそうしなかったのかな。
投稿: クモイ103 | 2018年4月 7日 (土) 13時55分
クモイ103さん、コスモスさん、f54560zgさん、
写真のアングルからややわかりにくいですが、解説文章を読みますと、こちらにも、ワフ一両連結の写真を撮られた方がいるようです。武蔵五日市(三内)での撮影のようです。
http://count32totteoki.naganoblog.jp/e215565.html
立川機関区が特集されている「電気機関車EX Vol.3」(イカロス出版)には、武蔵増戸駅の駅別注意事項や線路図といった貴重な資料が掲載されています。
当時の機関士の方のお話からは、武蔵増戸に列車が到着すると、車掌さん(列車掛)が、(貨物列車の重量が軽い日は)編成を分割せず、そのままいきましょうという旨、言ってくることもあったのだとか。
車掌車、そして、貨物列車の車掌さんの役割って、興味深いなと思いました。
投稿: KASA | 2018年4月 8日 (日) 01時35分
コスモスさん、クモイ103さん、KASAさん
KASAさんご紹介のサイトのとおり、車掌車のみを連結していたため単機ではなく「貨物列車」なんですね。武蔵増戸駅ではどのような入換が行われていたのか興味深いですね。
投稿: f54560zg | 2018年4月 8日 (日) 14時51分
車掌さん(列車掛)にとっては、分割しなければ入換作業の手間が省けるというメリットがあったのでしょうね。
投稿: コスモス | 2018年4月 8日 (日) 20時17分
コスモスさん、面倒な作業はないにこしたことはありませんものね。
投稿: f54560zg | 2018年4月15日 (日) 18時27分
国鉄動力近代化で、直流のEF60、交流のEF70、交直両用のEF80と、85㎞/h以上を示す電気機関車に対して、2両1型式のEH10は重量があって、増備されなかった。コンテナ特急‟たから”をEH10を牽いていた。
昭和30年代半ばからの電気機関車に対して、貨物列車は、今みたいなコンテナ輸送を進めるべきだと今思い出せば感じた。蒸気機関車の全盛期で、昭和40年に入ると、旅客列車の電車化が進み、電気機関車はともかく、ワム型、ワラ型の2軸貨車は75㎞/hでは、電気機関車のスピードについて行けなくて、昭和40年代後半には各地で競合脱線が問題になった。各操車場で編成を組み換えては、時間がかかった。貨車も客車と同じボギー車に換わりつつあった。
今はコンテナ輸送の高速貨物が、主要幹線だけになくった。トラック輸送は、ドライバーの定年とか、過重労働が問題になった。運送屋も長距離は鉄道に任せるように言い、在来線はアメリカの鉄道みたいに貨物列車が主になってきているもかも知れない。
輸送量の少ない支線に、スーパーレールカーゴを軸重の重い機関車より、有効に使えないかである。外から理想を言うのは簡単だけど?
意見してきても・・・ね。は、人を見下す様に取られかねないよ
投稿: ニッシー | 2020年3月24日 (火) 20時00分
EH10は東海道全線電化の折隘路になる関ケ原の勾配区間に於いて1200tの貨物列車を単機牽引出来る性能を持った貨物用電気機関車を国鉄では導入を検討していた当時最新の貨物用電気機関車は戦時設計EF13改とEF15であった何れも牽引力不足が問題となり我が国初の貨物用高出力H型電気機関車を登場させました 其れ迄の電気機関車は殆ど先輪付きのアーキュティレド式台車デッキ付連結器も台車に取り付け車体には前後荷重が掛からぬ構造でした其れを止めてスーベル式に改め車体にも前後荷重が掛かる構造に変更 後の新型電気機関車の礎になりました
BB型片運転台二輌固定連結機関車黒に塗られた車体は貨物輸送新時代を思わすものでした 此れ等の内EH1015は高速旅客列車牽引の実験機としてチョコレート色に塗装して高速旅客列車運行実験をしてましたが電車特急が就航することとなり一般貨物用に戻されました
登場時より高出力を買われワキ1000ワム90000で連結された宅扱列車を始めコンテナ特急タカラ号等の牽引後に新型機関車が登場後は廃車迄東海道本線の一般貨物輸送に活躍していたEH10が廃車後マンモス電気機関車は出現しないと思っていたところJR貨物では中央線貨物用にEH200 交直両用のEH500と青函用交流専用機EH800がラインナップされました 異色のEH機として黒部渓谷鉄道と東京都交通局に有り方や762㎜片や1435㎜の電気機関車です 又脱線してしまいました
投稿: yyoshikawa | 2021年7月 8日 (木) 18時18分
おっしゃる通り、私ももうEHは現れないであろうと思っていましたので、ちょっと驚きました。
投稿: f54560zg | 2021年7月 9日 (金) 19時37分