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2018年1月 4日 (木)

立川 1979/5/4 その2

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

早速ですが本年最初の記事です。

立川駅については以前の記事で1979年の様子を記事にしておりますが、貨物列車ネタ関係で立川駅が登場しましたので、この機会に未公開写真をご紹介します。

19790504r

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・青梅着発線です。両側ホーム、行き止まりです。

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・上の位置から少し右方向を向きました。

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・上り1、2番線の下り出発信号機です。

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・中央線ホームです。上り本線です。

0519790504d22
・下り本線です。

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・上り本線、上り1、2番線です。

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・青梅線ホームです。上り2番線です。

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・青梅線ホームの東京寄りの端からです。

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・中央線ホームです。下り本線です。

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・東京方です。

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・南武線ホームに移動しました。南武3番線です。

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・南武2番線です。

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・南武線の101系です。

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・川崎方です。

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・下の道路は都道16号線です。ED16が止まってるのは上り11~13番線あたりだと思います。

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・留置1、2番線、東京青果専用線あたりだと思います。

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・振り返って東京方です。

1819790504d31
・一つ目のDD13が入換中です。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

あけましておめでとうございます。
前の記事にコメントすればよかったのですが、この2年前の3月、2度にわたって青梅線の旧型国電を撮影しに行ったことを思い出します。ED16も懐かしいですね。
これらの写真は影の方向から見て午前9時前後の撮影でしょうか。当時は朝ラッシュになると中央線の上り電車をすべて上2(旅客案内上は「3番線」)に着発させ、青梅線からの乗り換えを含む大量の通勤客が階段を使わずに済むようにしていました。前の記事の2枚目の写真ではここに青梅線の電車が停車していますから、この事からも朝ラッシュが一段落した後の時間帯ということが判ります。
ところで下中1区と下中2区の間にあるクロスは、ただのクロスだったのでしょうか?

クモイ103さん、明けましておめでとうございます。
あまり記憶はないのですが、おっしゃる通りラッシュは過ぎた時間帯での撮影だったと思います。
中央線上りを上2に入れるのはなかなかのアイデアですね。階段上り下りが不要になりますし、中央線ホームの混雑も緩和されますよね。分岐器の速度制限は発生しますが。
>下中1区と下中2区の間にあるクロス
可動だったか固定だったかは覚えていませんが、スリップスイッチではない普通のクロスでしたね。

ご教示ありがとうございます。確かにここをスリップスイッチにする意味はなさそうですね。
こうして改めて駅全体の配線図を眺めると、青梅線も南武線も元は私鉄だった名残が残っていたような気もします。

クモイ103さん
かつては私鉄だった路線との接続駅は何とも言えない変わった雰囲気があって楽しいものですね。

ASAMA189です。
なかなか見応えのある配線のうちの一つだと思います。こちらの図にはないのですが、もう少し古いものになると、中央線ホームの東京方にも有効長の短いY字線があり引上げ線のようになっていました。多分想像するに、まだ、中央線が立川で増解結を行っていた時代に使われていたものだと思います。

ASAMA189さん、その時代の配線図、どこかに落ちていないでしょうか・・・。

今年もよろしくお願い申し上げます。

>クモイ103さん、ASAMA189さん、 f54560zgさん、

横から失礼します。

「タイムスリップ 中央線」

(巴川享則 三宅俊彦 塚本雅啓共著 大正出版)

という書籍の122~123ページに昭和46年3月現在の立川駅の配線略図が掲載されています。それを見ますと、その当時は、まだ東京方のY字線があったようです。線路呼称は「上り中線」で有効長は103Mです。

また、当時は、名古屋方のY字線の下中1区と下中2区の間にあるクロスには、下中2区から上り本線への渡り線もついていたようです。図からは、シングルスリップのように思えますが、可動クロスと渡り線だった可能性もあると思います。

KASAさん、ご教示ありがとうございます。

> 下中2区から上り本線への渡り線

どういう使い方をしたんでしょうね。
昭和46年というと、青梅電車区(西オメ)はまだ存在したでしょうか?
青梅電車区が廃止されて青梅・五日市線の車両が豊田区に移管されてから、立川~豊田間に入出庫の回送列車が運転されるようになったと思いますが、これと関係があるのかな?
想像するのは楽しいですが、真実も知りたいですね。

クモイ103さん、こんばんは。

青梅電車区ですが、JRR社の「旧型国電ガイド」によれば、所属車両の豊田区への移管は昭和46年2月1日付けのようです。

件の下り中線ですが、有効長が1区70M、2区200Mだったようです。

そして、下中2区から上り本線への渡り線なのですが、その使用例の一つとして、朝ラッシュ時、立川始発の快速電車で上り2番線発の電車がこの渡り線を使っていたようです。

「鉄道ジャーナル 1977年4月号」で中央快速線が特集されているのですが、その特集の中で、高尾~東京間の中央線の配線略図が掲載されており、さらにその図上、午前8時現在の各電車の在線状況が示されているのですが、立川駅の「下中2区」には、「816H」という武蔵小金井電車区受け持ちの快速電車が在線しています。

そして、高尾発7時28分の東京行き快速電車702T(豊田電車区受け持ち)の同誌「列車追跡」記事の中で、「この時間、上り電車は青梅線との乗換えに便をはかって、立川駅上り2番線に発着する。(中略)ホーム中ほどにあふれる通勤客はまだまだ余裕がある車内にも知らん顔。2分後続の豊田始発762Tを待っているのか、それとも13分後の立川始発816Hまで5本の電車をやりすごすつもりなのだろうか。」とありますので、上記816Hが、この渡り線を使用して上り2番線に入線するのではと思いました。

f54560zgさん、古い配線図は「鉄道ピクトリアル2007年11月号中央線快速電車」にも掲載されています。

KASAさん、いろいろと情報をありがとうございます。朝ラッシュ時の上2を使用している時間帯なら、確かにこのクロス部分で渡らなければなりませんね。
1区の有効長は70mですか。クモニが停まったのかな?
ASAMA189さん、ピクの2007年11月号は手元を探したらありました。ご教示ありがとうございます。交差部はスペース的にシングルスリップでしょうか。
また東京方のY字線も確認できます。これもシングルスリップを用いて(?)片渡りと一体化した面白い形をしていますね。

クモイ103さん、荷電や配給電車の折り返しや入れ換え用?の線路配置は、かつては、各所にみられ停車場の配線をより興味深いものにしていたと思います。東京方のY字線もなかなか複雑ですね。

ASAMA189さん、ご教示ありがとうございます。ピクトリアル誌の方の掲載は失念しておりました。

クモイ103さん、東京方のY字線につきましては、掲載元は忘れましたが、写真を見たことがあります。
線の形状は上り線への渡り線に、上り線から分岐して中線になる行き止まり線を組み合わせて引上げ線としていますが、スペースの関係からか、渡り線が直線なの場所に側線の方が、若干のカーブをもって交差しています。そして交差の角度が割と急なので、シングルスリップは無理だったのでしょう。通常の分岐の組み合わせでした。確かに一見シングルスリップと見えますけどね。

皆様、いろいろな情報ありがとうございます。特にASAMA189さん、ピクの情報ありがとうございます。
ついでに質問なのですが、この東京方の渡り線、出発信号機も設けられていて下り本線に到着した下り列車が東京方に折り返すのに使えそうなのですが、実際そのような列車ってあったのでしょうか。

クモイ103さん、訂正があります。中央線ホーム東京方のY字線ですが、通常の分岐と書きましたが、やはりシングルスリップでした。どうも昔のことでうろ覚えでした。証拠となる写真が、山田 亮「中央線、青梅線各駅停車」という最近出た本の立川駅の部分にあります。

KASAさん、荷電のための配線というと、やはり東京駅の京浜東北線ホームの南端にあった荷扱い線が代表格でしょうか。
また配給電車については、上野駅の北側で山手・京浜東北線から列車ホームの5番線へ入る渡り線を思い出します。松戸電車区へ向かう配給電車が使っていた様ですね。5番線ホームの途中に分岐器があって、東京方から入線してきた列車(編成?)が分岐器の手前で一旦停止してから所定の停止位置まで再移動していました。今は跡形もありませんが。

ASAMA189さん、情報ありがとうございます。やはりシングルスリップでしたか。
立川駅にはあまり馴染みがないので、こういう昔の配線の話が出ると、今さらに「行ってよく観察したかった」と思ってしまいます。

クモイ103さん、東京駅にあった荷扱い線は興味深いものでした。現在の5、6番ホームにその痕跡がありますよね。立ち入ることはできませんが、7、8番ホームから観察できますね。

上野駅5番線青森方の線路配置も複雑でしたね。ご指摘の運転取り扱いは、「上野配線図 追加」の記事の

http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-8fd3.html

1993年(平成5年)3月の配線図中にも記されていますね。13両以上は222R手前で一旦停車で、そこから誘導とあります。

皆様
昔は電車の合間を縫ってクモニやクモル・クルが走っていたことを思い出しました。そのための設備や配線は興味深いですね。

素晴らしいのひとことです。

さて、下中1区と下中2区のクロスは、シングルスリップでした。
これは、ご指摘のように朝夕の混雑時に立川止まりを上2に入れるためと、さらに夕方の新聞輸送のための荷電を上2に収容し、そこで荷物扱いをしていたからです。東京からクモニ13が2両で立川にやってきて下本に到着後、下中に引き上げ、上2に据え付け、新聞降ろし、切り離して、1両は高尾へ、残り1両は青梅に向かってました。(これとは別に青梅線では奥多摩寄りの最前部扉部分を幕で仕切って荷物扱いしている電車もありました。)
1~3番線ホームは、公共の地と同じレベルで、荷物扱いには最適ですから。

今たまに立川に行くと、旅客用番線表示が変わって戸惑うことしきりです。私にとっての3番線は上2以外の何物でもないからです。

でもそれを言ったら、新宿なんか目も当てられませんよね。(中央)特急ホームが急行線上りと入れ替わっちゃって上下に挟まれてるし、下りが10番線だって。10番線とは緩行下りなんですけど。

懐かしいもの、本当にありがとうございました。

f54560zgさん、実際に下り本線から東京方に出発する列車は存在したかどうかわからないですが、昭和46年中央線電車列車ダイヤという資料を入手し、その図面の中に立川駅の但し書きみたいな部分があり、下り本線からの逆線出発のルートはあるみたいです。
また同様に上り本線からの高尾方出発ルートもあり、もちろん、下り中1、下り中2の間のシングルスリップの渡り線を通って行ったことでしょう。
当時は線路の数に対して、ホーム数が少なく、配線も複雑で、なんかすごいと思います。

ピクトリアル2007.11号に昭和35年11月21日改正の朝7時から9時の間のダイヤが掲載されていて、昭和34年11月9日から昭和40年9月30日まで実施の立川分断ダイヤだったこともあり、東京方が下り線、浅川(高尾)方が上り線で相互に折り返しをしています。

皆様がおっしゃる通り、立川駅はホームが少ないがゆえに運転面ではいろいろと特殊な方法がとられていたんですね。今はそのあたりが改良されたわけですが、昔を知る方にとってはなかなかなじめないところがありますね。

KASAさんのホームページ最新版に立川青梅線1972年版が掲載されました残念ながら八王子側構内だけですが話題の中線横断背向渡り線中線クロス部がシングルスリップでした
他に今回西立川1944年東中神1944年1972年中神1944年1972年昭和前1944年昭島1972年が掲載されてますご参考迄に

yyoshikawaさん、ありがとうございます。続きも準備中ですので、ご高覧いただければと思います。

KASAさんのホームページ最新版に立川駅が掲載されました 1962年1971年1997年の三編です中でも1971年版の付録に立川駅東端から立川基地に向かう引き込み線の配線も掲載されてます
当時の地図上では立川駅東側から基地外周を囲むようにぐるりと引き込み線が記載されてるのを見た事が有り末端部は略立川駅正面方向を向くという不思議な引き込み線の全体像が初めて解りました
下河原線共々ご参考願えます

yyoshikawaさん、ありがとうございます。ご紹介いただき恐縮いたします。立川の専用線の末端は、飛行場の滑走路に並行するように敷かれていたようですね。

KASAさん、またまた貴重な資料ありがとうございます。改めてコメントをさせていただきたいと思います。

 昨年「大宮配線図」の項で立川駅の話を持ち出し、大変お騒がせしました。
 現在の立川駅配線に関してですが、以前から不思議に思っていたことがあります。

 下り線ホームの6番線から発車する青梅線直通電車は本線にいったん合流してから青梅短絡線に入ります。このため、青梅特快、中央特快待ち合わせ時に5番線、6番線に停車した電車は同時発車できません。これが運行の遅延を助長してもいます。構内の敷地には十分な余裕があるに、なぜ6番線から短絡線へ直結できない(しない)のか。端部が狭くなっているホームの構造による制約なのでしょうか、教えて頂ければ幸いです。

TKB47さん
今後もお騒がせをお待ちしております。
立川駅の配線については、こればっかりは配線設計者に聞かないことにはわからないと思うのですが、個人的には、空中写真を見る限り渡り線を入れるスペースはあるように感じますね。もともとそのような運転を想定していなかったのではなかと想像してしまいます。

早速ありがとうございました。
自分でも空中写真を見てみます。青梅方面行と中央線下りがホーム両側に並ぶ機会はかなり多いので、今からでも配線を変えればいいのにと思います。

TKB47さん
いつか配線変更が行われるかもしれませんね。

 立川はホーム増設で様子が変わってしまいましたが、新旧写真と現地を照合すると納得できない面があります。経過をご承知の方はご教示下さいませんか。
 旧中央本線ホームは現在の中央上りホームでよいのでしょうか。それともホームの移設があったのでしょうか。
 昔ながらの土盛りでなく、最近の桁式の構造に見えましたので、移設を疑った訳です。でもホーム移設は大工事になるのでふつうは敬遠されます。

C6217様確かにそうです品川駅の一連の工事でもそうでしたが旧来の土盛りのままと桁式の混成と線路移籍等で列車の運行休止したりしてましたが立川駅では列車を運休せずに改装工事したのは異例です

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