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2017年12月 2日 (土)

貨物列車ネタ11(複数のルート) その1(水戸線・赤羽線・東京)

貨物列車ネタの11回目、今回は経由するルートについてのお話です。

 

旅客列車でも貨物列車でも、始発駅から終着駅に至るルートは最も所要時間が短くなるようなルートで設定されるのが基本です(アタリマエです)。
しかしながら営業上の理由、もしくは列車運転上等の理由により、基本のルートとは異なるルートで列車が運転されるケースがあります。
昔の旅客列車の例でいえば、
①福知山経由の「あさしお」に対し、宮津経由の「あさしお」
②東北線経由の「はくつる」に対し、常磐線経由の「ゆうづる」
③信越線経由の「白山」に対し、上越線経由の「はくたか」
などですね。
①と③は営業上の理由、②は運転上の理由ではないかと思っています。

 

43-10貨物時刻表を見ていて、このような、普通とは違うルートを走る貨物列車がいくつか目にとまりましたのでご紹介したいと思います。

 

●水戸線経由の貨物列車
首都圏と東北地区を結ぶ貨物列車は数多く設定され、先の「はくつる」「ゆうづる」の例のようにその多くは東北線もしくは常磐線経由で運転されています。
その中で例外的なのが水戸線経由で運転されている列車で、大宮操~小山間は東北線、短絡線を経由して小山~友部間は水戸線、友部~岩沼間は常磐線を通ります。

 

R
東北線経由に比べると常磐線経由は約15km長く、水戸線経由の場合は約40km長くなります。

 

43-10貨物時刻で確認できる列車は以下の上下4本です。
・351列車 大宮操→青森操
・353列車 大宮操→青森
・350列車 青森→吹田操
・352列車 青森→吹田操
水戸線を通過するのは午後から深夜にかけての時間帯です。
EF80が東北線を走っていたものと思われます。

 

わざわざこんなルートで運転されている理由は、
1)貨物取扱いの関係で水戸以北の常磐線を経由する必要があった。
かつ
2)常磐線の水戸以南の線路容量に余裕がなかった。
ということぐらいしか想像できないのですが、貨物時刻表上では353列車の内郷駅にカッコなしの着発時刻が記載されているだけで、他の列車の水戸~長町間の駅に記載されている着発時刻にはすべてカッコが付けられているんです。
カッコ付きの時刻が運転停車を示すものであれば何も常磐線経由とする必要もないわけで、結局水戸線経由である理由がよくわからなくなってきます(汗)。
まあ、貨物時刻表の記載内容にもアヤシイ点はチョコチョコありますので・・・。

 

●赤羽線経由の貨物列車
池袋~板橋~赤羽間の当時の正式名称は山手線ですが、便宜上ここでは赤羽線と呼ばせていただきます。
山手線池袋以南と東北線赤羽以北とを結ぶ貨物ルートは田端操経由が基本だと思うのですが、山手線のページ(新鶴見操~大宮操間)を見ていると田端操の着発時刻の行に時刻を示す「数字」でも通過を示す「レ」の記号でもなく「・・・」と記載されている列車が上下合わせて19本存在しているのです(「時刻を示す数字」もしくは「レ」の記号が記載されている列車は上下合わせて200本ぐらい存在します)。ということは、これら19本の列車は田端操を経由しない=赤羽線経由ではないだろうか、ということなんです。
貨物時刻表には「赤羽線経由」と明示されているわけではありませんので推測の域を出ませんが(汗)。

 

R_2
赤羽線経由は田端操経由に比べて6km程度距離が短くなります。

 

具体的な列車は以下のようです。
・5061列車 稲沢→宮城野
・3875列車 高島→酒田
・4183列車 稲沢→郡山操
・5371列車 浜川崎→水戸
・571列車 新鶴見操→大宮操
・573列車 新鶴見操→大宮操
・5171列車 東静岡→郡山操
・7891列車 塩浜操→高崎操
・2581列車 入江→大宮操

 

・5350列車 青森→吹田操
・5460列車 大宮操→新鶴見操
・5560列車 長町→新鶴見操
・7174列車 郡山操→東静岡
・7870列車 高崎操→塩浜操
・1596列車 久喜→浜川崎
・556列車 大宮操→新鶴見操
・5150列車 青森操→吹田操
・2985列車 大宮操→八王子
・2987列車 大宮操→八王子

 

距離だけ見れば田端操をスルーする列車は赤羽線経由としたほうが有利ですが、電車との共用というダイヤ上の制約から上記19本だけが赤羽線経由とされたのではないかと想像しています。

 

今でいえば湘南新宿ラインと埼京線の2つのルートで貨物列車が走っていたわけですが、'80貨物時刻表では単純に赤羽線を通過するだけの貨物列車は消滅してしまっています。

 

●東京駅経由の貨物列車
常磐線上りのページに、
・4284列車 高萩→門司
という列車が記載されているのですが、その一番下の方にさりげなく「東京品川経由」と書かれているんです。「ええっ!?」という感じですよね。
対となるような下り列車は見当たりません。

 

R_3

 

まあ、秋葉原までは貨物列車が運転されていた時代ではあるのですが、でもやっぱり奇妙な列車ですね。EF80はどこまで牽引したんでしょう。新橋駅を深夜の0時30分前後に貨物列車が通過するって、まるで幽霊列車のような・・・。

 

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

EF80のカマ交換はツソっぽい気がしますね。
根岸→神立の石油タキはツソで81に交換してましたし。

平塚ので書こうと思ったのですが、あっちはなぜ本郷台経由で輸送されなかったんだろうと思ってます。
前日に根岸から塩浜操に送ってから翌日相模貨物に送り込むわけでして。
返空も塩浜操に送った翌日に根岸に戻ってきます。
塩浜操経由だと行き帰り最低四日かかるんですよね。塩浜操から根岸経由で回って増結しての本郷台経由で行っても間に合いそうなんですよね。

根岸で解放連結が出来ない訳ではないのに。
(いまはありませんが、田浦のタキは根岸で解放連結してました。)

貨車やコンテナ運用の方が複雑すぎてわややです。

確かプレスアイゼンバーン発行の形式シリーズEF58に1950年代有楽町撮影のEF58牽引の貨物列車の写真が掲載されてました 因みに写真の貨物列車は昼間の時間帯に上野方向から運行されていた  
恐らく当時一部の貨物列車が東京駅を経由で定期運行されており其の名残りが43-10の時刻表の4284列車では・・・
貨物列車の不思議に対の列車が存在しない場合が有る事です
例えば現在の山手貨物線経由の早朝のコンテナ列車(大崎5時03分通過北行)対の南行きは無い逆に昼の山手貨物線経由のコンテナ列車(大崎12時12分通過南行)の対の北行は無い
因みに何方もEH500牽引です
或は此の二本が対なのかもしれませんが・・・

水戸線経由について。
 貨物の主力が常磐線なのは線形によるものでしょう。白石~福島の25‰、福島~金谷川の20‰では補機が必要です。単線による時間延長があってもモトがとれます。
 水戸線経由の理由は東北方面からの貨物列車を大宮操へ入れるためです。田端操は既に飽和していて大宮操が肩代わりしたといえます。40kmを迂回しても採用する必要性があったのでしょう。

 田端操の時刻欄が空白なのは、赤羽から池袋へ向かう列車は田端操の入口をかすめるだけなので、時刻設定を省略した・・・? これは考え過ぎですね。
 赤羽線経由ならば、赤羽では貨物線と隣接しているし、池袋も山手線をオーバークロスして貨物線へ入れます。線内の平面交差だけなので設定可能ですね。
 赤羽線電車はどちらも1線折り返しなので着発のスキマを衝けそうです。これも妄想過剰でしょうか。

赤羽線経由の貨物列車は高校時代の途中まで存在したので懐かしいです。EF15が牽いていました。赤羽線の電車列車は日中はのんびりした運転間隔でしたから、池袋駅構内で下り貨物と上り電車が平面交差するものの、貨物が割り込むすき間はけっこうあったと思います。まあ板橋までの区間列車もあり、東北本線の貨物列車を全部通すほどの容量は無かったと思いますが。
なお赤羽線は昭和47年7月15日に独立した正式な路線名となりました。同時に、それまで山手線が東北本線の支線だったものが、赤羽線と共に東海道本線の支線に変更されています。鉄道公報第6844号(昭和47年7月15日)旅達第72号・旅客輸送基準規程の一部改正より。

f54560zgさん、みなさん、こんばんは。

>赤羽線経由の貨物列車

これは以前から私もHPでまとめようと思っていて、なかなかできないでいます(汗)。

今回、昭和47年10月2日改正の列車運転時刻表から、池袋を通過、発車する貨物列車の時刻表を下り方面(田端操、板橋方面)だけですが、駅張りの時刻表形式で作成してみました。

下の「KASA」の部分をクリックしていただければと思います。

1、赤と黒の数字が、池袋を通過する貨物列車の通過時刻で

赤が板橋経由で17本、黒が巣鴨経由で85本、うち(田)のついたものが田端操行きで35本

2、桃色と緑の数字が、池袋に停車する貨物列車の発車時刻で、

桃色が板橋経由で1本、緑が巣鴨経由で10本、うち(田)のついたものが、田端操行きで5本

3、紫色の数字が、池袋発板橋行きの貨物列車の発車時刻で3本

以上、全116本の貨物列車のうち、田端操行きの列車40本と、板橋行きの列車3本を引いた、山手貨物線~東北貨物線赤羽以遠直通列車73本のうち、55本が巣鴨経由、18本が板橋経由ということになっているようです。

赤羽経由は、時間的に偏りがありますので、やはり電車の本数が少ない時間帯に設定されている感じですね。

なお、上記、73本の列車は、大宮操車場行を含めて大宮操まで停車駅はありませんでした。

また、赤羽線の貨物列車として、板橋発十条経由久喜行が1本設定されているようでした。

引き続き失礼します。

>東京駅経由の貨物列車

興味深い列車のご紹介ありがとうございます。

手許にあります昭和47年3月15日と10月2日改正の列車運転時刻表をみますと、内郷発新鶴見行きの1278列車として設定されていました。やはり上りのみですね。

上野駅は9番線、東京駅は11番線通過で、品川12番線停車となっています。

昭和48年10月1日改正では設定されていないようなので、「昭和の上野・東京ライン」を走った特急列車たちと運命をともにしたのかもしれませんね。

上野~東京を経由した荷物列車も、たしか、上野→東京の南行方向の設定のみで、逆は山手貨物線経由だったと記憶しております。こちらは、高架線経由では隅田川に直接入れないからだと思うのですが、貨物列車の場合は、北行き方向もあっていいような気がしますよね。

参考までに上記1278列車の時刻表をアップしましたので、どうぞご高覧ください。
3月15日改正と10月2日改正で、日時が揃っていない点はお許しください(汗)。

藤代~東京間

http://senrozu.blog17.fc2.com/img/20171204TbvrS5eJ

秋葉原~品川間

http://senrozu.blog17.fc2.com/img/20171204Mg06qQuh

品川~新鶴見間

http://senrozu.blog17.fc2.com/img/20171204WP9fDqvc

すいません。上の貨物列車ですが、東京駅10番線通過でした。訂正します。

嘗て国鉄荷物全盛時代有名な荷物列車が有った隅田川発東京経由の荷物列車品川迄はEF15が牽引品川でEF58牽引の汐留発の荷物列車に連結後更に前部に今一輌浜松回送のEF58を増結し重連で下って行く超豪華荷連であった 冬場は58二輌共SGを吹上て走る姿は特に壮観でした

ゆかわあきらさん、
EF80が新鶴見まで??? でも他に考えにくいですよね。貨車の運用はおっしゃる通り奇々怪々です。

yyoshikawaさん、
よりによってEF58ですか・・・。

C6217さん、
常磐線か東北線か、一長一短があるんですね。

クモイ103さん、まだ当時はのんびりしたところがあったんでしょうね。

KASAさん、貴重な資料ありがとうございます。そうですか、東京駅は通過なんですね。ちょっと意外でした。

yyoshikawaさん、冬場のEF15はちょっと寒かったのでは?

yyoshikawaさん、みなさん、 f54560zg さん、

yyoshikawaさんがコメントされている

>恐らく当時一部の貨物列車が東京駅を経由で
>定期運行

の貨物列車ですが、戦前からある東京市場行の鮮魚列車だったのではと思いました。

田端機関区~品川機関区の機関士の方で、昭和59年に国鉄を退職された向坂唯雄さんが、そのご著書「機関車に惹かれた四十年」(草思社)の中で、「東京駅を通過する鮮魚列車」という一章を設けて137ページから7ページ半に渡って記述されておられます。

向坂さんにとって、「赤羽のヤマ」(赤羽台への軍専用線)と「東京回り」の乗務は、かなり印象に残るものだったようです。

戦前・戦中のD51牽引だった時代のお話が中心ですが、東京回りの鮮魚列車は「終戦後も残った」と記述されております。

東京経由の理由は、東北・常磐方面からの鮮魚列車を築地市場のセリの時間に間に合わせるためだったようで、鮮魚列車のスジは、ダイヤ改正でも、特急、急行列車についで優先的に決められていたとか。

D51牽引時代は、

我孫子で田端機関区の乗務員に交代。品川まで通過。

東京駅のホームは原宿駅と同様に「無投炭・無煙区間」で、そこをゆっくり通過。

品川駅は12番線着。

品川駅12番線から汐留方への出発信号機が未整備の時代は、操車掛の誘導で八ツ山橋の下まで一旦引き上げ、貨物上り本線に転線。そこから、汐留まではD51の逆向運転。

汐留からの帰りは、(別の)貨物列車を牽引して新鶴見操車場まで来て、新鶴見機関区の転車台で方向転換し、(また別の)貨物列車を牽引して、山手貨物線経由で、朝、田端へ戻る。

という乗務だったらしいです。

東京駅経由の貨物列車情報ですがプレスアイゼンバーン発行の形式シリーズEF58に掲載されていた写真では通常のワム車の編成でした

yyoshikawa様、

写真では通常のワム車の編成だったとのこと、ご教示ありがとうございます。始発・終着はどこだったのかなど興味が尽きません。

KASAさん、yyoshikawaさん
東京駅を通過する貨物列車、気になって仕方がありません・・・。

水戸線周りの貨物があったのは
1 常磐線のほうが平坦で貨物の編成を増やせた
2 大宮操車場に入れる必要があった
3 東北本線の宇都宮以北が奥羽本線に入る列車もあり余裕がなかった
4 取手以南で緩行線が分離されておらずまったく余裕がなかった

名無しさん
不思議に思うのは何で東北線経由ではないのか、ということですね。
蒸機時代なら仕方ありませんが、電化複線化が完了している状態では勾配は問題にならないような気がします。また小山以南で東北線に割り込む余裕があるのなら小山以北で割り込めないはずはないのでは?とも思ってしまいます。

>東北本線経由ではない理由

・C6217が書かれているように、白石~福島の25‰、福島~金谷川の20‰で補機が必要とされたこと

・43-10改正で電車特急の大増発+120km/h化で、上記勾配区間を中心に足の遅い貨物列車のダイヤが引けなかった

・同じく43-10改正の大増発+120km/h化で保守作業量の増大が予想され、保守間合いが拡大されてダイヤが引けなかった

・黒磯駅での交直接続のための機関車交換の処理能力に限界があった

あたりが理由ではないでしょうか

C6217「さん」が抜けておりました。失礼いたしました。

名無しさん、ありがとうございます。
なるほど、43-10での高速化で貨物が邪魔になったわけですね。
ところでお伺いしたいのですが、その後水戸線経由が廃止さたのはなぜなんでしょう。貨物列車の削減ということになるのでしょうか。

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