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2017年11月 8日 (水)

浜川崎の高架橋

以前の記事でも触れた、浜川崎駅の南武線ホームの上を通る高架橋。

Photo

写真はコレ。いずれも2009年(平成21年)12月12日撮影です。

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この時点ではすでに遺構と化していたわけですが、貨物時刻表からこのりっぱな高架橋を走った列車を追いかけてみます。

まず'80貨物時刻表から作成したダイヤです。例によって単機回送等は除外です。

198010r
・一番上の塩浜操~安善間が高架橋を通るルートです。上下合わせて18本の貨物列車が走っています。すべて塩浜操~安善間の区間列車です。
・これに対し「地上」とも言えるルートの浜川崎~安善間は上下合わせて7本。拝島からの石油輸送列車が中心ですね。

続いて'84貨物時刻表から。

198402r
・全体的に貨物列車の本数が減りました。
・高架ルートは8本で、ヤード系輸送廃止の関係でしょうか、安善発着に代わって大川・浅野発着になっています。
・地上ルートは4本で、拝島からの石油輸送列車であるところは変わっていません。
・'85貨物時刻表でもほとんど変化はありません。

続いて'86貨物時刻表から。

198611f
・高架橋経由の列車は消滅してしまいました。
・逆に地上経由列車は8本に増えました。行先も大川~拝島・新興・宇都宮・新前橋となっており、それまで塩浜操・高架線経由だった列車が浜川崎・地上線経由に移行したことが見て取れます。

この高架橋については情報があまりありませんで、使用開始はいつなのか、いつ廃止になったのか、といったことがよくわかっていません。
43-10貨物時刻表には高架線は掲載されていませんので、使用開始は1968年10月から1980年10月の間かと思われ、また廃止は1985年3月から1986年11月の間と思われます。
ですので実際に使用されたのは長くても18年程度ということになります。
先に掲げた写真のとおりかなり立派な構造物ですので、ちょっともったいないと感じてしまいます。

使用開始や廃止その他について詳しい情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら是非教えていただきたいと思います。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

f54560zgさん、こんばんは。興味深い記事をありがとうございます。

手許にあります「列車運転時刻表」(東京南鉄道管理局)をみますと、この高架線経由の貨物列車について、

昭和47年10月2改正版  記載なし
昭和50年3月10日改正版 上下10往復
昭和56年10月1日改正版 上下9往復
昭和61年3月3日改正版  上下4往復

の設定があったようです。

一方、「東海道線鶴見・塩浜操間 線増工事誌 東京第二工事局」をみますと、昭和49年の線路切り換え後に、この高架橋が配線略図・図面上に初めてでてきます。

以上からの推定ですが、この高架橋を通る貨物列車の設定は、昭和50年3月10日改正からで、貨物列車の廃止は、昭和61年11月改正からではないでしょうか。

ただ、この塩浜操~武蔵白石間の貨物支線(連絡線?)の実際の廃止時期は、少し違うかもしれません。

こんにちは。ASAMA189です。
浜川崎の高架線は設備の割に期間として、あまり使用されなかったわけですね。しかし最大で1日10往復の貨物列車があったというのは、どのような貨物だったのかわかりませんが、浜川崎で2度のスイッチバックをせずに済んだということですね。資料がないので、単なる推測ですが、時期的に見て、その頃東京貨物ターミナル線が開業しているので、その延長で、鶴見線や高島貨物線とも接続する新たな京浜ルートを考えていたのではないかと思いました。あと、鶴見寄りにある小さな可動橋が動いたことがあるのかも気になります。

全くネタ違いですが、この貨物ダイヤ見てると浅野や、大川、新芝浦発着の貨物は短区間で最低3回は列車番号が変わるのですね。
塩浜操、浜川崎までなら二回ですが鶴見川口(後浅野駅構内)の東京ガスや鶴見曹達のタキは東海道沿線や常磐線沿線まで、旭硝子のタキは東武沿線と。最低3回ないし4回は番号を変えつつ継走されてたわけですから。列車指定の欄が一杯になりそうです。

あの可動橋は数少ない電化路線の可動橋だったと思うのですが?
(今あるのは動かないとされている和田岬かな?安治川口~桜島にも有りましたが。USJ開設に伴いルート変わって廃止)

此の高架が地上に降りて来る辺りに確か富士電機工場の裏門が有り鶴見線は踏切で対応していた(正門は産業通り側に有ります)が高架完成時橋梁高さが取れず可動橋で対応した唯裏門であるから高架線同様めったに利用される事は無かった設備でした

皆様
確かに塩浜操方からでは2度のスイッチバックをしないで済むのですが、後の状況を見ると、新鶴見操方から来た貨車が塩浜操で中継されて安善方に向かっているように見受けられるんですよね。結局のところ塩浜操でスイッチバックするのか、浜川崎でスイッチバックするのかの違いのような気がしてなりません。

恐らく塩浜操車場を京浜地区のメイン操車場とする考えのもとに浜川崎の高架線を建設したのではそう考えれば高架線の意義は有ったと思いますが其の後の貨物輸送の変革に伴い不用な設備となってしまい万里の長城的姿になってしまったのは残念でですね

yyoshikawaさん、おっしゃる通り建設当時は塩浜操が基幹ヤードとなる想定がなされていたんでしょうね。

こんにちは。
浜川崎駅に降りるたびに、頭上を覆う大きな高架線が気になっていました。鶴見線の車窓から見るに、合流した線路は使われているようには見えず、廃止された貨物線の独特な雰囲気を感じていました。
塩浜からの短絡線の役割を担っていたことを初めて知りました。貨物全体の趨勢も含みますが、特に鶴見線の貨物扱いの位置付けが、この高架橋が建設された頃とは変わってしまったものと思います。
国鉄末期に向けての貨物の凋落の象徴のような存在なのかもしれません。
いずれ取り壊されてしまうのかもしれませんが、線路が磨かれ、架線に電気が通り、再び列車の走る日が来るのであれば、是非見に行きたいものです。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

風旅記さん、おっしゃる通りまさに「凋落の象徴」という感じですね。逆に言えばかつての栄華を偲ぶことができる遺構であるとも言えますが。

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