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2017年11月 5日 (日)

新湊 2002/8/13

2002年(平成14年)8月の新湊駅の様子です。

こちらも合わせてご覧ください。

20020813h4
・手前は加越能線の中伏木駅です。その向こう側に、

20020813h2
・昔のホームが残っています。

私は、このホームは旅客営業が行われていた頃の新湊駅のホームだと思い込んでいました。

19790930m2r
53.7.1作成「新湊駅構内配線図」と表記された図面に「A」という文字が描かれた場所こそが新湊駅の本屋だと思ったからです。

ところがいろいろ調べてみますと、ちょっと腑に落ちないところがありまして。

停車場変遷大事典によりますと、1920年(大正9年)の中越鉄道買収時には能町駅を起点(0km)として
・吉久駅:2.1km
・中伏木駅:3.0km
・新湊駅:3.6km
の3駅が存在していました。これらの位置を配線図にあてはめますと以下のようになります。

19790930mr
1951年(昭和26年)4月に新湊線の旅客営業が廃止され、吉久駅と中伏木駅は廃止されて新湊駅のみ貨物駅として存続することとなったわけですが、単純に考えれば新湊駅の本屋は能町駅から3.6kmの上図の一番右の赤丸印の位置のままのはずです。

しかしながら前述の通り53.7.1作成「新湊駅構内配線図」には、かつての中伏木の駅の位置である能町駅起点2.970kmの位置が新湊駅の本屋であると記載されているんです。
旅客営業廃止後に新湊駅の本屋が移転されたのであれば改キロが行われるハズですが、そのような記録は残されていません。
本屋は移転したが、改キロは行われなかった、ということでしょうか。
(一番右の赤丸印付近に書かれている「地鉄A」という文字も気になるのですが・・・)

話が変な方向に行きましたが、結論としては写真のホームは旧新湊駅ではなく旧中伏木駅のホームのようですね。

20020813h7
・能町駅方向に向かって歩きます。70号、71号転てつ器付近です。

20020813h9
・貯1、貯2番線です。

20020813h11
・66イ号、66ロ号転てつ器付近です。

20020813h12
・右は通路線、左は授受線です。

20020813h13
・52イ号、52ロ号転てつ器付近です。

20020813h15
・着発線です。このあたりは現役です。

20020813h16
・この時点での駅本屋と思わるのですが、やはり新湊駅の改キロの記録はありません。

20020813h20

20020813h21
・出発信号機です。

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コメント

「地鉄A」は、歴史的に考えて、富山地方鉄道射水線新湊駅(→加越能鉄道六渡寺駅)の本屋なんでしょうね。そのころは新湊駅から東新湊まで貨物が乗り入れていたようですから。

それにしても、旅客営業廃止後から高岡貨物駅への移転・改称までの間は、
・信号扱い所は旧吉久駅(西部構内)
・本屋は旧中伏木駅
・営業キロ程上の終点はもともとの新湊駅
という、なんともよくわからない状態だったのですね

名無しさん、うまいことをおっしゃいますね。座布団1枚です。

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