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2017年10月25日 (水)

貨物列車ネタ9(向きを変える列車) その3(竜華操)

貨物列車ネタの「向きを変える列車」、その3です。

 

先日の記事でちょっと触れた、竜華操車場でスイッチバックする貨物列車のお話です。

 

まず最初に、'82貨物j時刻表をもとに作成した、城東貨物線の貨物列車のダイヤをご覧ください。

 

R1

 

・貨物時刻表からの作成ですので、細かいところはかなり推定が入っています(汗)。
・これを見てわかるとおり、貨物列車の運転パターンは大きく2つに分かれています。吹田方面と百済駅とをダイレクトに結ぶ直行系の列車と、竜華操を中心に吹田方面、浪速方面、和歌山方面、王寺方面とを結ぶヤード系の列車です。
・ヤード系の貨物列車は全て竜華操始発/終着となっており、竜華操で向きを変えるような列車は存在していません。

 

その後、1984年(昭和59年)2月のダイヤ改正でヤード系の貨物輸送は廃止され、竜華操も操車場としての役割を終えてしまいます。

 

この時点でのダイヤを'84貨物時刻表をもとに作成すると以下のようです。

 

R2

 

・竜華操での分解・組成作業がなくなったため、竜華操始発/終着となる貨物列車は姿を消しました。しかしながら吹田方面、浪速方面、和歌山方面の貨物列車は竜華操に代わって百済駅始発/終着列車として存続しています(王寺方面の貨物列車は設定がなくなりました)。つまり単純に竜華操での中継作業を百済駅に移しただけのように見えます。直行列車を設定するほどの輸送量がなかったということなのでしょうか。
・百済駅と和歌山方面とを結ぶためには竜華操で列車の向きを変えなければなりませんし、さらに加えて浪速方面への列車に関しても、百済駅が一方向からしか入れない配線構造となっているため、いったん逆方向に出発した後に竜華操でスイッチバックする運転方法がとられることとなりました。
・このスイッチバックする列車たち、ダイヤを見ると8時台で3本、14時台では何と4本が竜華操に並んでいます。どの線路で折り返しを行っていたのでしょう。この時点ではまだ車両基地もありましたので、竜華操の配線がどのようになっていたのかに興味が湧きます。

 

その後浪速方面の貨物列車は本数が減って直行列車のみに、和歌山方面については貨物列車の設定がなくなってしまい、'86貨物時刻表では竜華操を通る貨物列車が消えてしまいました。これにより竜華操でのスイッチバックも終焉を迎えたわけです。短い期間だったわけですが、もともとそのような暫定的な措置だったのかもしれません。

 

ところで、先ほど「百済駅は一方向からしか入れない配線構造」と書いたのですが、ちょっと気になることが。
下は43-10貨物時刻表から抜粋したものです。
4310r
・ここに掲げた2871列車、2873列車、2875列車の3本はいずれも吹田操発湊町行きなのですが、百済駅の行に時刻が記載されているんです。普通に考えれば百済駅は「経由しない」ことになると思うのですが、時刻が記載されているということは「停車」するってことですよね。
・記載されている時刻が着時刻なのか発時刻なのかもよくわからないのですが、百済駅~湊町駅間は15分程度と思われることを考えると、おそらくは着時刻ではないかと思います。そうであれば、たとえば2873列車は百済駅で30分程度停車していることになります(天王寺駅で停車している可能性もないとは言えませんが)。

 

もう一例。'86貨物時刻表からの抜粋です。
6111r
・浪速発梅田行きの1551列車の百済駅の行に時刻が記載されています。この場合はおそらく発時刻ではないかと思うのですが。

 

以上のように、一方向からしか出入りできないハズの百済駅に反対方向から出入りすると受けとれるような列車が存在しているんです。これは何なんでしょう。

 

考えられることの一つは、百済駅と平野駅との間で推進運転が行われるケース。でも、理屈としては可能性はありますが、ちょっと現実的ではないような。

 

もう一つは、時刻表には「百済」と書かれていますが、実際には「平野」の着発時刻が記載されているのであり、百済駅には出入りしていない(入換作業は行われていない)のではないか、ということ。
先の記事でも書きましたが、百済駅と平野駅は一心同体的な気配がありますので、このような記載のされ方があっても不思議はない気がします。ただ入換が行われない、単なる運転停車の時刻を掲載するのか、という疑問は残りますが。

 

いずれにせよ、もし逆方向からも百済駅に出入りできるのであれば、百済駅~浪速駅間の貨物列車をわざわざ竜華操でスイッチバックさせなくてもよいのでは?と感じてしまいます。

 

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コメント

これは多分、平野駅自体貨物的には無いのと同じ扱いなのではないでしょうか?
故に今の言い方なら別所姫貨とか田代鳥貨のように。
時間調整停車は天王寺かと思われます。


これだとJR以降の一種二種線の分離の際どうしたのかなんですよね。
(平野~百済間はJR貨物の一種路線)
JRの際に改めて平野駅から分離扱いしたのか、それ以前から登録されてたのか?
分離されてたなら、竜華まで行って折り返す必要は無かったでしょうし。推進で出発して天王寺方向に行けば済む事です。(百済に用があるなら、推進で突っ込んでからの吹田方向へ。)

失礼しました、分離されてなかったら~でしたね。

90年代だと思うのですが、浪速貨物への列車は、城東貨物線から、関西線を逆走し、百済貨物駅にいったん入った後、平野駅の3番線だと思いますが、推進でもってきて出発していました。ただ、すべての浪速行きがそうだったかどうかはわかりません。また、百済に入る貨物列車は、平野駅3番線で関西線の普通列車や快速列車をやり過ごしてから、百済に入っていました。

ゆかわあきらさん、つさん
百済~平野間の推進運転ってあったんですね。貴重な情報ありがとうございます。

はじめまして
コメント失礼致します。

>「以上のように、一方向からしか出入りできないハズの百済駅に反対方向から出入りすると受けとれるような列車が存在しているんです。これは何なんでしょう。」


平成初期にに城東貨物線、浪速駅等へ短期間乗務しておりました。
記憶がかなり定かではないのですが
当時は「百済平野」と読んでおり運転上同一の駅として取り扱われていた記憶があります。
旅客電車も百済駅で信号取り扱いをしていたような記憶があります。
昭和のことは分からないのですが
平成初期は城東貨物線~平野停車~天王寺へ運転しており帰りはその逆で,
一度百済駅へ入り推進で出てくることはなかったと・・思います。
ちなみ夏場にDD51で百済駅から出発し
関西線の電車と併走中窓を全開にしているためよく風圧で帽子が良く飛ばされそうになりました。
城東貨物線は蛇草や正覚寺での踏み切り直前横断やいたずらが多く平野の逆線運転区間など
気が抜けない線区でした。

何かのお役に立ちましたら幸いです。

元乗務員です。さん
貴重なコメントありがとうございます。
百済駅に推進で出入りしたのかしなかったのか、ますますナゾめいてきましたね。
>気が抜けない線区でした。
私は1992年(平成4年)に現地を訪れましたが、おっしゃるような雰囲気を十二分に感じることができました(笑)。

皆さんのおっしゃる通り、平野と百済を同一視していたのせしょうが、もう一つ、当時の関西線上り線と城東貨物線の分岐部が「百済第一信号場(所)」と言われており、そこでも採時していたので、その可能性もあります。推進については不明です。

貨物時刻表の時刻は
ヤード及び主要貨物駅は着発時刻
中華亜駅は着時刻(ただし、連結のみは発時刻)
運転停車及び通過はレ表示とされています
(貨物時刻表 「貨物時刻表の利用方2、オ」抜粋) 

また例として挙げられている43ー10の時刻表(原典)では
放出の箇所に▲(黒三角)がなされています

従い、放出は発時刻、百済・湊町は着時刻ということになります

また百済(平野)は作業がない(行えない)ので
時刻は百済駅の着発線の時刻ということになります


なお43-10 時点では 吹田(操)-百済発着と吹田(操)-百済経由湊町発着の2系統がありますが
わずか3年半後の 47-3では湊町系統は百済には寄らない設定になっています

61-11には百済経由が復活しているようですね


時刻表示について
貨物時刻表は利用者の想定が、荷主や通運事業者ですから、荷物の引き取り可能時刻の目安となる着時刻が重視されるからでしょう

実際には到着後入換して荷扱いできるまでは少し時間がかかりますが

発時刻は到着貨車の入換に続いて行われますし、積込完了から発車まで余裕持ってやっているはずだし(旅客のようにギリギリということもないでしょうから)、着時刻から想定できる大まかな時刻が分かればよいのであえて表示するまでもないのでは?

前コメントでは
47-3では湊町系統は百済には立寄らない設定
って書きましたが
その半年後 47-10の百済駅の構内作業ダイヤを見ると百済駅での作業が復活しています
(貨物時刻表は未確認)

864レ 湊町14:36発で百済(平野) 平野3番に15:02到着後1便で百済1番線に移動(おそらく推進運転)15:02-15:36に作業し百済発15:36 百済(平野)15:38:45百済(一信)15:40 蛇草15:45 放出16:03着で運転されています

同様に866レも百済駅に立寄っています

一方
関西本線474レも百済(平野) 平野3番に18:40到着後3便で百済2番線に移動(おそらく推進運転)18:44-18:59に作業し百済発18:59:30 百済(平野)19:02:30発で百済(一信)19:04:30 竜操19:08着ってのも百済駅に立寄っています

貨物時刻表(43-10,47-3いずれも)ではこの関西本線小運転は通過表示になっています

百済駅の入換機関車が百済(平野)へ迎えに行っている様子もなく
着発機が入換することになっています

ということで百済(平野)から百済駅への本線機関車による推進運転はあったのは間違いななそうです

以上 皆さんの参考になれば

天テツさん
情報ありがとうございます。
百済に立ち寄る列車は、
天王寺方面→平野→百済→吹田・竜華方面
というパターンはあるのですが、逆の
吹田・竜華方面→百済→平野→天王寺方面
というパターンが見当たりませんでしたので、
百済から平野に入換機が迎えに行っている可能性もあるのかな、と考えていましたが、推進なのですね。

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