旧正覚寺信号場 1992/4/11
放出駅からやってきた貨物線から竜華操への貨物線が分かれ、そして関西線上り線に合流するまでの一帯、かつての正覚寺信号場の1992年(平成4年)4月の様子です。
正式には平野駅の構内のようですが、信号機の表示からは百済駅の構内であるかのような印象を受けます。

竜華信から放出に向かって貨物線(手前の線路)に沿って進んでいきますと、平野方からやってくる線路(写真では草に隠れて見えません)が近づいてきます。竜華信方からの線路は使用停止中ですが、信号機(手前)は横を向かずに正面を向いていますね。向こうの信号機は第3出発信号機です。

第1場内信号機です。「百1場」の表示です。竜華信方への信号機は横に向けられています。

さらに進むと第2場内信号機があります。表示は「百2場」です。

関西線の踏切に移動します。平野方です。右から貨物線が合流してきます。正面は関西線第1閉そく信号機です。
配線図はKASAさんよりご提供いただきました。
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こんにちは。
関西本線が都市の通勤路線へと変わり、貨物線がおおさか東線として旅客列車を通すようになり、一帯の風景は大きく変わったのだろうと思います。
城東貨物線・城東貨物南連絡線と呼ばれていて、貨物列車全盛の頃は、泥臭いまでの国鉄の現場だった地域ではないでしょうか。
おおさか東線の列車の車窓に見た、今の高架橋の線路の分岐には、その頃の記憶はもうなくなってしまっているかのようでした。
投稿: 風旅記 | 2023年8月19日 (土) 14時44分
大阪環状線周辺は、山手線と比べると、片町・湊町といったターミナルやこの城東貨物線のように、おっしゃるような泥臭さがありますね。そこがまたよかったわけですが・・・。
投稿: f54560zg | 2023年8月19日 (土) 18時19分
昭和の終わり頃、竜華から放出方に一つ目の踏切(今の新加美駅の玄関付近)は線路は残っていたものの、踏切設備は無かったような記憶があります。正覚寺第二踏切あたりにも行ったことがあり、これがデルタ線なのかと感激した覚えがあります。
湊町駅は、遅くまでSLが走っていて地上駅ゆえ絵になる写真が撮れて、今も多くの写真がネット上に残っているのは嬉しい限りです。実際に行って見て感じたのと写真では、ギャップが有るような気もして更に郷愁をそそるように思います。
投稿: moni5187 | 2023年8月25日 (金) 17時31分