« 放出 1992/3/28 | トップページ | 旧淀川 1992/3/28 »

2017年10月18日 (水)

旧巽信号場 1992/3/28

1992年(平成4年)3月、廃止から7年が経過した巽信号場の跡です。

R

0119920328a17
①の場所です。この先で右にカーブして旧淀川駅に至ります。

0219920328a18
振り返って②の場所です。

0319920328a20
③の場所です。上は京阪線です。
この辺りで吹田操方と放出方に分岐していたハズです。

0419920328a19
④の場所です。吹田操方です。築堤を登っていきます。

0519920328a21_2
⑤の場所です。

0619920328a23
⑥の場所です。本線に合流していたところです。

0719920328a26
⑦の場所です。速度制限の標識が残っています。
道路は国道1号線です。こんな道路を踏切で横断していたんですね。

0819920328a25
⑧の場所です。

0919920328a24
振り返って⑨の場所です。遠くに中継信号機が見えています。

1019920328a27
⑩の場所です。本線に合流していたところです。

1119920328b02
振り返って⑪の場所です。すぐ先に片町線が見えます。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 放出 1992/3/28 | トップページ | 旧淀川 1992/3/28 »

コメント

国道1号線との交差部分は以前は市電も走っていたので、1500Vと600Vの架線も交差する為デッドセクションを設けてノッチオフにして惰性で通過していたそうですね。
国鉄線は遮断機にて封鎖されるので惰行でも問題はないのですが、市電は1号線が道路渋滞していると惰行で通り抜けるのが難しかった、との記事を読んだ事があります。

床屋のシンサンさん、そうですか、道路だけでなく市電も横切っていたんですね。渋滞で市電がデッドセクションで立ち往生したら大変ですね。

こんにちは。
線路が剥がされた後の風景は、やはり寂しいものです。
貨物列車が行き来していたのであろう場所、もっと大阪の泥臭い風景があったのではないでしょうか。
城東貨物線では一度だけ、ディーゼル機関車を見たことがありました。
港湾から、遠くから、様々な荷を運んで、信号場で列車を振り分けていたのだと思います。
今では全ては夢の世界ですね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 旧巽信号場 1992/3/28:

« 放出 1992/3/28 | トップページ | 旧淀川 1992/3/28 »

過去の記事

2023年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ