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2017年9月27日 (水)

貨物列車ネタ8(一方向からしか入れない駅) その5(紀三井寺)

先日、海南駅の記事で海南市交通史研究家さんより以下のコメントをいただきました。

 

===============
上り列車から折り返し下り始発となる列車は、本州化学行貨物列車が紀勢本線の名物列車の一つでした。
同社専用線は宮前駅の新宮方下り本線から分岐しており、上下本線間に渡線が無く、さりとて下り本線を逆走する訳にも行かず、上り貨物列車の後部に以下の編成で連結して運転されていました。
←新宮方              和歌山操方→
機+ヨ+貨車+ヨ+ヨ(本州)+貨車(本州)+ヨ(本州)+機(本州)
海南駅到着後ヨ+ヨ(本州)の間が切り離され、本体は引き続き上り貨物列車として運転。
残った本州化学行は折り返し下り貨物列車として宮前駅まで運転されていました。
===============

 

大変興味深い内容でしたので、少し調べてみることにしました。

 

①まずは宮前駅付近の位置関係を見てみます。
800w
国土地理院の1975年(昭和50年)の空中写真をもとに図を作成するとこんな感じになりました。紀三井寺~宮前駅間に本州化学の専用線の分岐があるのですが、駅間というよりはほぼ宮前駅ですね。

 

②次にこの辺りの歴史を停車場変遷大事典、鉄道ピクトリアル1978年12月号、同2000年3月号から調べてみました。
R
こんな感じですね。
本州化学の専用線がいつ使用開始されたのかがよくわからないのですが、少なくとも1948年(昭和23年)の空中写真ではそれらしい曲線が確認できます。宮前駅の開業はその後のことであり、また宮前駅は開業以来旅客のみの取り扱いです。

 

③続いて列車ダイヤを確認してみました。
'80貨物時刻表を眺めてみますと朝の8時頃にそれらしい貨物列車を確認することができましたので、これに交通公社時刻表1980年10月号から旅客列車を加えてその時間帯のダイヤを作成してみました(時刻表に掲載されない回送列車等は除外です)。
R
貨物時刻表には竜華操発初島行き5372列車という列車が掲載されており、海南駅の行に8時6分という時刻が記されています。8時6分という時刻が到着時刻なのか出発時刻なのかがはっきりしないのですが、出発時刻とすると若干無理が生じる点が出てくるため、ここでは到着時刻として扱いました。発車時刻の推定は難しいですが、とりあえず8時15分頃ということにしましょう。
5372列車が海南駅を出発した後、海南発和歌山操行き391列車という列車が8時24分に海南駅を後にします。海南市交通史研究家さんのコメントの通り、5372列車の後ろ半分が海南駅で分割されたものと思われます。そしてこの391列車、貨物時刻表では紀三井寺駅の行に8時36分という時刻が記載され、和歌山操着は8時58分となっています。同様に8時36分という時刻を紀三井寺駅の到着時刻として扱いますと、391列車は紀三井寺駅に8時36分到着、8時53分頃に出発、という感じになるのではないかと思います。

 

以上を整理すると、
・8時6分、海南駅に5372列車が到着、列車後部の切り離し作業を行う。
・8時15分頃、5372列車が出発。
・8時24分、5372列車から切り離された後部が391列車として出発。
・8時36分、391列車が紀三井寺駅に到着。入換を開始。
・8時53分頃、紀三井寺駅から391列車が出発。
ということになろうかと思います。

 

④続いて線路配線を見てみました。
最初に1971年(昭和46年)10月です。

 

197110
宮前駅の亀山方に下り線から分岐する線路が描かれています。渡り線もありません。まさに海南市交通史研究家さんのコメントの通りで、なんとも不思議な配線ですね。
ただ信号機が描かれていません。ですのでどのような運転取り扱いが行われていたのかがよくわかりません。

 

次に1976年(昭和51年)9月です。

 

197609
なぜか宮前駅のホームが省略されてしまっているのですが、信号機は描かれています。
本州化学の専用線の分岐の手前に信号機がありますが、これはどうやら紀三井寺駅の下り第2出発信号機のようです。紀三井寺駅からは2km以上離れていますが、少なくともここまでは紀三井寺駅の構内ということになりますね。
ただ、和歌山操の下り場内信号機のキロ程が上記紀三井寺駅の下り第2出発信号機のキロ程と同じ378k371となっており、この辺りはアヤシイですね。和歌山操の上り出発信号機のキロ程378k092も?で、こちらはおそらく379k092の間違いではないかと思うのですが。

 

最後に1978年(昭和53年)3月です

 

197803
やっぱり同じですね。アヤシイところはアヤシイままです。

 

⑤続いて信号機の建植位置をもう少し詳しく調べてみました。
幸いにもこの区間はあまり大きな曲線がありませんので、ちょっと乱暴ですが直線の物差しを当ててみることにしました。
800w_2
右側の青い数字は起点からのキロ程のつもりです。紀三井寺駅の下2出と和歌山操下場の建植位置378k371はやはり分岐のわずか手前ですね。どちらかが間違っていると思うのですが、どっちなんでしょう? 運転取り扱いを推定する上ではこのあたりが結構重要なんですが・・・。

 

というわけで、調べてみたことは以上です。いろいろわかったことも多いのですが、すっきりしない部分も少なくありません。

 

●本州化学の専用線はどこの駅の所属?
〇地理的には宮前駅に近いのですが、順番としてはまず専用線が使用開始され、そののちに宮前駅が旅客専用駅として開業したと思われますので紀三井寺駅の所属ということになるかと思います。少なくとも営業キロは紀三井寺駅のキロ程が使われているのではないでしょうか。

 

●専用線発着貨車の授受の入換作業は紀三井寺駅構内の範囲内で行われていた?
〇これが難しい・・・。入換作業ですので、停車場の構内からハミ出て作業が行われることはないハズだと思うんです。紀三井寺駅中心から専用線の分岐まで2km以上あるものの分岐の手前に第2出発が設けられていますので、それらしい気配は感じられます。
ただそれだけでは不十分で、分岐器の先、入換の折り返し地点まで紀三井寺駅の構内でないとつじつまが合いません。つまり折り返し地点付近に紀三井寺駅の上り第1場内信号機がないとおかしいんです(停車場区域標の可能性もありますが)。
和歌山操が開業する前までは第1場内があったのかもしれませんが、和歌山操ができてしまうとすぐ目の前が和歌山操ですのでそんな余地がありません。配線図の第2出発と和歌山操場内が同じキロ程なのもさらにナゾを呼びます。もし第2出発が「消し忘れ」だったらますます混乱してしまいます(汗)。

 

●入換の方法は?
〇最初は単純に紀三井寺駅のホームに停車→入信または誘導で引上げ→バック→専用線で解放・連結→引上げ→紀三井寺駅までバック、かと思ったのですが、さすがに2km以上をバックで逆走はありえないですよね?
新鶴見(御幸)・新鶴見(前袋)のように、例えば紀三井寺(客)、紀三井寺(貨)のように着発線が分けられていて、391列車はホーム部(=紀三井寺(客))を通過して第2出発の手前(=紀三井寺(貨))まで列車として運転して停車、そこから先は入換作業となり、入換の最後に第2出発の外方まで戻って停車、そこから列車として出発・・・かな? もしそうであるならば、先に掲げた列車ダイヤは以下のようになるのかもしれません。
2r

 

以上、よくわからない点もありますが、かなりの名物列車であることは間違いありませんね。貴重な情報をいただいた海南市交通史研究家さんに感謝いたします。

 

なお、鉄道ピクトリアル2000年3月号にはこの名物貨物列車の写真が掲載されています。牽引機は逆向きD60、最後尾にC50。後にDF50とDD13がこの列車を引き継いだとの記述があります。

 

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

 

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コメント

はじめまして。この列車,かつて私も見た記憶があります。その日は新宮行き124列車のEF58+旧客を見たくて黒江駅付近に行ったものの間に合わず,悔しい思いをしていたら,すぐそのあとをEF15+(タンク)貨車(+ヨ)+DD13の珍編成(?)が通ったので得した(!?)気分になったものでした。日程の関係か短かい編成だった気がしています。そのあと御坊行き113系が続きました。

興味深い記事をありがとうございます。

>本州化学の専用線はどこの駅の所属?

トワイライトゾーンマニュアル所収の専用線一覧表をみますと、所管駅が紀三井寺になっていますので、f54560zgさんのご推定通りではないでしょうか。

>停車場区域標の可能性もありますが

「天王寺鉄道管理局運転取扱基準規程 
昭和46年2月 天鉄 達25号」

別表第18(第252条)「停車場区域標の設置個所」

をみますと、

紀勢本線 紀三井寺 

起点方 なし
終点方 378.585km 
記事  下り本線

とありますので、停車場区域標が建植されていたようです。

また、この基準規程では、紀三井寺駅の構内運転区間の指定はありませんでした。

さらに、この基準規程の各条文に目を通しますと、「本州化学専用線を使用して車両の入換えを行う列車」について規定した条文がありました。

それは、紀三井寺・和歌山操間の下り線において、複線指導式または指導式(代用閉そく方式)を施行する場合(131条)、また、同区間下り線において伝令法を施行する場合(134条)、どちらの場合もこの列車を運転してはならないとなっておりました。

私の好きな乗務員さんのブログに、ヒントになるかもしれない扱いがありました
この二件です
1件目
http://shinano7gou.at.webry.info/201406/article_5.html

2件目
http://shinano7gou.at.webry.info/201212/article_7.html

かってにいんようすみません

和歌山にいた谷やんさん、はじめまして。
こんな列車が急に目の前に現れたら幸せな気分になりますよね(笑)。

KASAさん、貴重な情報ありがとうございます。
となるとあとは和歌山操の下り場内信号機のキロ程ですね。これが378.8kmくらいだとつじつまが合うのかも。

つさん、ありがとうございます。いろいろと珍しい貨物列車の運転方法がありますね。

素晴らしい内容に感服いたしました。
今思えばもう少しこの列車を追いかけて記録に残しておくべきでした。
沿線に住み、いつでも写せると思っている間に紀勢本線貨物列車が廃止され、後悔先にたたずです。
紀三井寺駅(所謂旅客扱い部分)は通過していました。
上りの本務機がEF15、後部補機(本州)がDD13の時代ですが、このDD13は和歌山機関区常駐で一時期和歌山~和歌山市間の旅客列車も牽引しておりました。
なお、海南駅で書き漏らしましたが、紀勢本線の電化後は列車の増発もあり、3番上り本線上に長々と居座る訳にもいかず、2番上下副本線からの折り返しに変更されています。

海南市交通史研究家さん、興味深い情報をいただきありがとうございました。地元の方ならではのお話は大変ありがたいです。

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