貨物列車ネタ6(一方向からしか入れない駅) その3(下奥井・野田)
貨物列車ネタの6回目、そして「一方向からしか入れない駅」のその3です。
1.下奥井駅
先日の記事の通り、昔の貨物時刻表をしげしげと眺めるきっかけとなった駅です。
下奥井駅に関する特殊な貨物列車の運転についてはそちらに記しましたので、ここでは貨物列車の運転ルートだけ掲げておきます。
こんな感じの一方通行の循環ルートです。結局のところ、富山駅の構内で、奥田駅→富山駅→富山操という運転ルートが設定されていることがポイントなんだと思います。
2.野田駅
この駅はナゾの多い駅です。
1975年(昭和50年)の空中写真を見ると、環状線が高架化された以降も野田駅から延びる専用線が存在していたことがわかります。
おおよそ上図のような感じなんです。
手元には線路配線図がありませんで、いったいどのようになっていたのか知りたくなります。ネットを漁ってみますと人様のサイトに写真が掲載されていましたので、これから推定してみました。
多分こんな感じではないかと。
梅田貨物線から大阪市場への貨物支線(これは本線)が分岐し、さらに貨物支線から専用線への側線が分岐する形態です。なんとも妙です。(線路が撤去されたのちの野田駅ホームからの眺めはこちら。)
そこで貨物時刻表を見てみました。
43-10貨物時刻表からわかることは、
・野田駅に停車するのは西九条方面→梅田方面となる2本の貨物列車のみ。
・梅田方面→西九条方面の貨物列車はすべて野田駅に停車しない。
・梅田方面←→大阪市場間の貨物列車はすべて野田駅に停車しない。
ということです。大阪市場発着の貨物列車が野田駅に停車するなら何となくわかるんですが、そうではないんですよね。西九条方からやってきた貨物列車が野田駅のホーム脇に停止し、梅田方にいったん引き上げた後にバックで坂を下っていく・・・、ということでしょうか。信号機や入換標識等の配置が知りたいですね。
'80時刻表ではやはり西九条方面→梅田方面の貨物列車2本が野田駅に停車しています。
'82時刻表で野田駅に停車するのは、なんと安治川口発→野田行きという1本だけになっています。これだと野田駅からの発送はどうなるんでしょう。
そして'84時刻表では、野田駅に停車する貨物列車は姿を消してしまいました。ナゾを残したまま・・・。
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コメント
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野田駅ですが、1984年2月の改正まで1日2往復(12時頃と20時45分ごろ)列車が存在しました。安治川口から来て今の阪神高速神戸線の立体交差の手前に数分停車し(つまり見た目には野田駅を行き過ぎて止まるような感じです)退行して地上のヤードで到着車と発送車をすばやく付け替えて出ていきました。到着車を引き出してからは先に停車した位置には止まらなかったように記憶しています。
投稿: 天鉄ヲタ | 2017年8月10日 (木) 20時43分
この北へ伸びる専用線は当時あったラサ工業への専用線かと思われます。航空写真CKK748-C14-15には工場内にワム80000などが写っています。ラサ工業は硝酸硫酸類を扱っていましたので、黄色はタキ5450あたりかもしれません。他にも銀色地のタンク車が見えます。CKK748-C12-17には吉野5丁目の交差点隣を進むワム80000の列車が写っています。さて、大阪府統計書http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00156772/tn1968-11.pdf
をみると、野田の貨物扱いはすべて車扱いなので、このラサ工場の専用線が発着すべてと思われます。すると本線貨物列車は到着貨物を切り離して発送貨物を繋ぐだけなので、機関車が梅田方にあると入換が楽です。もし下り貨物で到着貨物を解放となると、安治川口貨物を含めて専用線側に引き上げないといけないので、いろいろやっかいなのでしょう。なので、上り梅田方向に機関車がある状態でのみ列車扱いをしていたのでは。おそらく環状線開通前の野田駅地平の時代は普通に上下列車で解放連結をしていたとは思うのですが。
投稿: わだらん | 2017年8月21日 (月) 23時54分
わだらんさん、野田駅の配線は高架化に際しての苦肉の策だったのではないかと想像しています。高架化の際は貨物扱い設備と車両基地がいつも邪魔者扱いされてしまいますので。
投稿: f54560zg | 2017年8月23日 (水) 21時45分