« 高岡 2002/8/13 その2 | トップページ | 貨物列車ネタ5(一方向からしか入れない駅) その2 »

2017年8月 2日 (水)

貨物列車ネタ4(一方向からしか入れない駅) その1

貨物列車ネタの4回目、今回は「一方向からしか入れない駅」のその1です。

「一方向からしか入れない駅」とは、たとえばこんな感じ。あくまでもイメージですが(汗)。

R

一般的にはAのように、どちらの方向からやって来た貨物列車も副本線に進入して入換作業を行うことができるような線路配線になっている駅が多いと思います。これに対しBやCのように、どちらか一方向の貨物列車しか副本線への進入および入換作業ができない線路配線になってしまっている駅を「一方向からしか入れない駅」としています。
一方向からしか入れない線路配線になっているために、それに対応した特徴的な貨物列車の運転が行われているところがポイント、ということですね。

従って、ここでは
①本当は両方向から入れるようにしたかったんだけど、何らかの事情により一方向からしか入れるようにできなかった。
というケースを取り上げ、
②一方向からしか入れる必要がないからそのような線路配線にした。
というケースは除外したかったのですが、この①と②の区別はちょっと微妙ですね。
ですのでこの辺りの扱いは私の個人的な判断ということで・・・(汗)。

1.川口駅
ここは有名ですね。過去の記事でもご紹介しています。
昔は上下どちらの方向からも入れたんです。
195803r
上図は1958年(昭和33年)3月時点です。貨物線と貨物扱い設備が旅客線で分断された位置関係になっているため、入換の際は旅客線を横切るという大胆な作業が発生するものの「両方向から入れる駅」のカタチになっています。
これが1969年(昭和44年)3月時点では下図のようになっていました。
196903r
3複線化に伴い、「4本の線路を横切る入換はさすがにマズイんじゃね?」ということになったのでしょうか、豪勢な立体の通路が設けられました。ただしこの通路は、費用の関係か用地の関係か、大宮寄りにしか設けられなかったため、川口駅には大宮方からしか入れない、という構造が出来上がったわけです。
このような状況下でどのような貨物列車が運転されていたのかを下図に示します。'80貨物時刻表よりの作成です。
1r
川口駅へは大宮方からしか入れないため、川口駅で入換を行う貨物列車は川口駅と蕨駅で方向を変えるという、言わば壮大なスイッチバックのような運転が行われていたわけですね。なかなか面白いと思うのですが。
'84貨物時刻表では以下のようになっていました。
2r
田端操側からの入り込みがなくなり、ユニークなスイッチバックもどきの運転はなくなってしまいました。大宮操側は発着駅が武蔵野操となり、東鷲宮で向きを変えるようになっています。おそらく大宮操では向きを変えることができないための措置ではないかと思われます。
その後1986年(昭和61年)11月に川口駅の貨物扱いは廃止され、立体の通路はその役割を終えたものと思われます。

2.大船駅
(こちらの記事も合わせてご覧ください。)
下図は1967年(昭和42年)3月時点の大船駅です。

196703r
上下それぞれの貨物副本線が設けられ、どちらの方向からも入れる構造です。
これが1977年(昭和52年)10月時点では下図のようになりました。
197710r
貨物用の副本線は東京寄りの田立1番線のみとなり、しかもこの田立1番線は上り列車しか入れず、下り列車は入れない配線です。つまり一方向からしか入れない構造になったわけです。このような配線になった理由はわかりませんが、根岸線への高架橋が下り列車を進入させるための障害になった可能性はあるかもしれませんね。
このため、大船駅~湘南貨物駅間に小運転列車を設定し、大船駅発着となる貨物はこの小運転列車で輸送する形態となりました。
'80貨物時刻表および'82貨物時刻表にはいずれも3往復の小運転列車が掲載され、'84貨物時刻表および'85貨物時刻表では2往復に減少し、1985年(昭和60年)の湘南貨物駅廃止とともに消滅したようです。

3.平塚駅
(こちらの記事も合わせてご覧ください。)
下図は1961年(昭和36年)3月時点の平塚駅です。
196103r
貨物中線が設けられ、どちらの方向からも入れる構造です。
これが1986年(昭和61年)3月時点では下図のようになりました。
198603r
貨物用の副本線は図の上側の下り2番線(到着線)と下り3番線(出発線)となり、これらの副本線は相模貨物駅との間の小運転線で結ばれています。この小運転線は貨物下り線と旅客上り線とは立体で交差しますが旅客下り線とは平面交差という、なんとも微妙な構造です。もともとは旅客上り線と貨物下り線との平面交差解消のために設けられた高架橋だからでしょうか。
平塚駅発着となる貨物はこの小運転線上に設定された平塚駅~相模貨物駅間の小運転列車で輸送する形態となり、'80、'82、'84、'85の各貨物時刻表では2往復が掲載されていますが、'86貨物時刻表では消滅してしまいました。

(まだまだ続きます。)

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 高岡 2002/8/13 その2 | トップページ | 貨物列車ネタ5(一方向からしか入れない駅) その2 »

コメント

東武鉄道の草加貨物扱い所が確か上り線のみの扱いであったと記憶してます

東海道本線(京浜貨物線)大森蒲田川崎各駅の貨物扱いは或る意味一方からしか入れない駅の範疇に入るのでは?
更に東海道本線京都兵庫間の複々線区間の各貨物扱い駅も配線構造上一方からしか入れない駅の範疇になるのでは
前者は品鶴線開業に伴う中間駅貨物扱いの合理化
後者は方向別複々線の構造上本線横断入れ替えの省略の為上下別に貨物扱い設備を設け逆走貨物は一旦操車場に送り反対方向向け貨物列車として送られる
王子貨物駅三河島貨物駅も一方からしか入れない駅ですね

横から失礼します。
yyoshikawa さまが言及された草加貨物扱い所とは、もしかして松原団地(現・獨協大前)駅から少し南方の上り線側にあったものでしょうか?
幼い頃にたびたび松原団地を訪れ、何だか貨物線群があって倉庫が並んでいたという朧げな記憶があるのですが、おそらく昭和40年代初頭(?)に廃止されてしまい、詳しい事がわかりません。
線路配置や設備・運転の状況などわかればご教示いただけないでしょうか。

多分そうだと思います 空覚えで申し訳有りませんが上り線から分岐した発着線と引き上げ線があり留置線が数本と確か石油関係の荷扱い線があったと思います 何しろ50年位前でしたしメモも取ってませんでした 申し訳有りません

yyoshikawaさん、大森・蒲田駅については記事を作成しました。方向別複々線についてはおっしゃるような話を聞いたことはあるのですが、残念ながらこれによってユニークな貨物列車が運転される、ということはなさそうですね。

yyoshikawaさん、ご返答ありがとうございます。
記憶の奥底に埋もれていた風景がよみがえりました。
名称が判ったので、機会を見て調べてみようと思います。

yyoshikawaさん、クモイ103さん、f54560zgさん、こんばんは。

私のHPに草加荷扱所の配線略図をアップしましたので、どうぞご高覧いただければと思います。

配線略図によれば、昭和40年代になって配線変更がなされたようです。

下のKASA部分をクリックしていただければご覧になれます。

KASA様ありがとうございます草加荷扱い所は意外に小さい規模だったんですね 記憶との差を感じました
一応引き上げ線は存在していたんですね
東武葛生線の北館林荷扱い所も確か一方からしか入れない駅の範疇にはいるのでは 単線から分岐して機廻し線と側線がある中規模な駅で其の儘行き止まりでした 貨物扱い廃止後は東武鉄道の車輛解体場になっています がビニールシートに覆われた車輛が数量有ると友人のKS氏が写真をみせてくれました


KASAさま
草加荷扱所の配線図、思わぬプレゼントありがとうございます。幼少時の記憶を無理やり引っ張り出しながら眺めています。
昭和40年代、松原団地の南端(草加駅寄り)の棟の最上階(4階)に親戚が住んでおり、時おり訪問していました。ベランダに出て、その南側に広がる畑越しに行き交う色とりどりの電車(たまに貨物列車)を眺めるのが楽しみでした。視界には荷扱所に沿って並ぶ倉庫群が入っていましたが、さすがに線路まで詳しく観察できる距離ではありませんでした。そのうちいつの間にか貨物線群は姿を消してしまい、私にとっては半分夢心地のように曖昧な記憶になっていましたが、お陰様で確かに実在したのだという確信が持てました。
また草加駅の配線もほぼ私の記憶通り、ちょうど高崎線にありそうな感じの典型的な2面3線ですね。日光街道を中山道に置き換えて見れば、街の成り立ちと駅の構造が高崎線の各駅と相似形であることが明瞭に読み取れて興味深いです。

yyoshikawaさま、

草加荷扱所には、大阪窯業東京工場のトロッコ軌道も引き込まれていたとのことですので、配線略図でみる以上の規模であった可能性もあるのでは思いました。

クモイ103 さま、

アップしました配線図が少しでもお役に立てば、光栄に存じます。草加荷扱所を実際にご覧になっているということでうらやましい限りです。

「相似形」とはまさに言い得て妙だと思いました。あらためて高崎線と伊勢崎線(複々線化前)の配線図を見比べてみて、どちらも上り本線側に本屋がある2面3線の駅が多く、地図をみれば、上り本線側に、それぞれ中山道、日光街道が通っており、目から鱗が落ちる気持ちでした。

1. 川口駅について
 3複線化のとき、横断作業の困難さから貨物扱いを廃止して蕨へ移転する案がありました。現状となった理由は川口駅の専用線を廃止できなかったからです。
 専用線のために立体交差と小運転を設けるのは投資として適切かどうか。押し切られた理由は専用線
 現在は保守用車の出入りに重宝しています。専用線部分が保守基地です。

2. 大船駅
 根岸線へ続く立体交差は、湘南貨物駅から横須賀線への貨物列車のためと記憶しています。つまり横須賀線への貨車は、湘南貨物→大船→本郷台(折返)→大船→横須賀方面、とするのが最も支障が少ないという論です。

3. 平塚駅
 二つの配線図の間に、立体交差は旅客・貨物の分岐のためという時期がありました(以西は複線、以東は複々線)。
 私の青年時の基礎はこの立体交差の上が上り旅客線となっていて、ブルートレインが上りホームへの20‰を駆け降りてくるダイナミックな様子は素敵でした。
 この立体交差の時期がわかればご教示いただけませんか。

 川口駅補足: 専用線は専売公社のタバコの葉の到着貨車でした。量が多いのと国鉄と同じ公社なので特別の配慮があったのか?

 平塚駅補足: 本文の一部が抜けましたが、想像力でご忖度ください。

平塚の立体交差は当初東海道本線旅客線と貨物線の平面交差解消の為設けられたと聞き及びます(完成時期は失念)其の後複々線区間が小田原迄延伸される様になり平塚駅海側の各引き込み線や馬入川土手下の石油関係の引き込み線砂利取り線等への構内運転用に存続したのです

東武鉄道は南海電鉄と共に長距離蒸気鉄道が始祖の路線でした然も両社は国有化を免れた数少ない長距離鉄道でしたが明治末に全線電化し旅客は電車貨物は電気機関車に移行した南海と大正末に一部区間だけ電化の東武では其の後駅の構造も随分違いが現れた 
南海は早い時期に4輌固定編成の特急電車を運行していたのに対し東武ではテンダー機関車牽引のボギー客車6輌編成を運行明治期の長距離私鉄の味を伊勢崎電化迄残していた
そんな事から駅配線の状況は南海では後の高速電鉄標準の相対式ホーム高速列車中央通過各停外退避型の駅が主流に 比べて東武は蒸気鉄道標準式中線両扱いタイプの駅が主流の儘戦後相当後迄小国鉄と云われていた 貨物が電化された後でも東武の駅で待つとネルソンやピーテンが来るのではという都市伝説が残っていた 其れ程東武に駅は昔の儘の駅が多かったのです
其れが180度変わったのは東上線を含めた私鉄最長の複々線区間の建設及び高架化貨物扱いの廃止が背後に有ったのは否めません

遅レスですが、C6217さまが書かれた大船駅の「根岸線へ続く立体交差」に関するコメントの裏付けとなる文献を偶然見つけました。
鉄道ファン145(1973-5)に東京南局列車課の担当者が寄稿した「首都圏国電輸送改善の概要」から引用します。
「本郷台駅 (中略) 従来東海道線対横須賀線相互間にわたる貨物列車については,大船から直接出入りしていたものが,東海道線増工事に関連して大船駅が大改良されることにより,同駅での亘り線の設備が廃止されることになった.したがってこれらの貨物列車についてはすべていったんこの本郷台にきて,ここで機関車をつけかえ,また折返していくという.これだけは誠にやっかいなことになったのも止むを得ない.(中略)ここでの信号機・ポイントなどの操作一切は,隣駅の大船で扱うRC方式が採用されている.」

なおこの号では、武蔵野線開業関連の記事、それに東京駅の新幹線工事に伴う東京-上野間回送線の定期旅客列車運転中止に関連した記事もあって、特に後者では将来(昭和51年)東北新幹線が東京駅に乗り入れる際、神田駅付近で回送線が新幹線の上に乗る形の計画図が描かれており、現在の上野東京ラインの姿が40年以上前の昭和48年の時点できっちり計画されていたことが解って興味深いです。

確かこの年根岸線が洋光台から大船迄全線開通した筈で其れに関連して大船の貨物線立体交差も造られた
鉄道ファンの当該号記事読んでおり確か本郷台の構内配線図も掲載されてたと思いますが?
感違いかもしれませんあしからず

yyoshikawa さま
ご指摘の通り、当該記事は根岸線洋光台-大船間の開業(1973年4月9日)に関連したものであり、書き落としていて失礼しました。本郷台を含む洋光台-大船間の配線略図(大船は根岸線関連のみ)が載っています。
なお武蔵野線開業および東北・常磐・高崎線列車の東京乗り入れ中止は、それに先立つ4月1日でした。武蔵野線の記事では貨物支線分岐部の配線略図が描かれています。

クモイ103様
余計な事を述べたかと思いました
此の頃はまだ国鉄が少なくとも元気な時代新線開業や改良工事新車の登場等目白押しの話題に事欠かぬ時代でした此の後の80年代に入り徐々に元気を失い挙げ句の果てが国鉄分割民営化を迎えてしまう残念な時代へ突入する直前の華やいだ時代だったのでしょう

C6217さん、専用線のための立体交差って、やっぱり豪勢ですよね。
平塚駅も結果を見れば豪勢と言えるかもしれませんが、経過を考えれば川口駅とは違いますね。
yyoshikawaさん、私個人としては国鉄以外は興味の対象外だったのですが、東武鉄道は国鉄とよく似た雰囲気を持った私鉄でした。

Bのパターンで代表的なのが、中央線の東小金井貨物駅がありました。上り列車のみ停車の変則的な駅で、本線横断も難しい。立体交差も作らない。しかも、わずか20年ぐらいで廃止になった貨物駅です。何かと謎が多い駅でした。

東小金井は車運車による製品自動車発送のみを取り扱う施設で、元々は吉祥寺で取り扱っていたものが高架複々線化に伴い移転したもののようです。
なので、発送貨物の行先も限定されていたでしょうから、そのような取り扱いでも問題なかったのでしょう。

東小金井は中央線高架化に伴い中野 荻窪 吉祥寺等に有った貨物駅を統合した貨物駅で有り車運車のみ取り扱い駅では無かったのです物流拠点の一つとして用地に余裕が有ったので乗用車積み込み基地にしたのです
東小金井は下り貨物列車も貨物扱いが出来ました 昔の事ですので感違いが有るかもしれませんが確か下り線用中線が東小金井の武蔵境側に存在して一旦中線入線後上り列車待機其の後上り線平面横断して駅に入線入れ替え後小金井側の渡り線で下り線へ発車していました

東小金井駅の中線は駅の武蔵小金井寄りにありました。中線といっても、上下の双方から退避するようなものではなく、貨物駅から、下り線に合流する専用の一方通行です。貨物列車用なので、長さもあり、武蔵小金井の構内直前ぐらいまで延びていました。下り貨物は東京方からは配線上駅に入れませんので、この中線を使用したのは、東小金井から立川方面に発車する貨物列車のみです。

Asama189さん、名無しさん、yyoshikawaさん
東小金井駅の様子については、中線の位置を含めてAsama189さんのおっしゃる通りかと思います。
43-10貨物時刻表を見てみますと、下り貨物列車は全て東小金井駅を通過します。東小金井駅始発となる下り貨物列車もありません。逆に上りでは4本の貨物列車が停車します。55-10、57-11では上り1本のみが停車しています。中線が使用された時期はあったのかどうかは若干疑問ですね。

随分昔の事で感違いをしてました確かに小金井方に中線があり渡り線状の線形でした

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/506157/65539098

この記事へのトラックバック一覧です: 貨物列車ネタ4(一方向からしか入れない駅) その1:

« 高岡 2002/8/13 その2 | トップページ | 貨物列車ネタ5(一方向からしか入れない駅) その2 »

過去の記事

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ