貨物列車ネタ1(向きを変える列車)(宮内・幕張・高崎線~東北線)
前回と前々回の記事を書くにあたり、富山港線の貨物列車について調べるために貨物時刻表を引っ張り出しました。せっかく引っ張り出しましたので富山港線以外のところも見ていたら、いろいろと気になる貨物列車がありました。そういったところを、行き当たりばったりになりそうな気もしますが、今後何回かに分けて記事にしていきたいと思います。
今回は「向きを変える列車」です。
旅客列車と同様、貨物列車においても出発駅と到着駅の関係によっては途中駅で列車の向きを変えるケースが出てきますが、線路配線の関係で意外なところで方向を変える場合があります。今回はその事例をいくつかご紹介します。
1.宮内駅
まあ、これは有名ではありますが、一応ご紹介します。
上越線方面と北陸線方面を直通する列車の場合、分岐駅は宮内駅になるのですが、宮内駅の隣が長岡駅ですので旅客列車においては長岡駅で方向を変えます。
貨物列車の場合、普通に考えると宮内駅と長岡駅の間にある長岡操で向きを変えるのが自然なのですが、長岡操は抱き込み式の線路配線となっていて上下の着発線が分離しており、到着した列車がそのまま向きを変えて出発することができません。このため貨物列車は分岐駅である宮内駅で方向を変えていました。
'80貨物時刻表では上越線→北陸線方面で5本、北陸線→上越線方向で9本の列車が宮内駅で向きを変えています。その一例はこちら。
2.幕張駅
成田空港が開港してからしばらくの間は航空機用ジェット燃料を鉄道貨物として輸送しており、'80貨物時刻表では京葉臨海の村田駅~成田駅間に2往復の貨物列車が確認できます。
総武線と外房線との分岐駅は千葉駅ですが、線路配線上千葉駅で向きを変えても総武線~外房線の直通ができないため、ジェット燃料輸送列車は幕張駅で方向を変えていました。
その後パイプラインが完成して貨物輸送は廃止されましたが、貨物輸送当時の幕張駅の配線がどうなっていたのか興味が湧きます。
3.高崎線~東北線直通貨物列車
'84貨物時刻表には高崎線と東北線を直通する貨物列車が1往復掲載されています。熊谷貨タ発矢板行きの5796~5597列車と、それと対になる矢板発熊谷貨タ行き5588~5787列車です。
当然大宮駅以南で列車の向きを変えなければならないわけですが、時刻表をよく見てみますと、熊谷貨タ発矢板行きの場合は越谷貨タで、矢板発熊谷貨タ行きの場合は田端操で向きを変えています。
単純に考えると大宮操で向きを変えるのが一番自然なのでしょうが、先の長岡操と同様大宮操も上下の着発線が分離しているため大宮操では折り返すことができません。その結果越谷貨タ・田端操で折り返していたのかもしれませんが、越谷貨タ・田端操で解結を行っていた可能性もあり、このあたりはよくわかりません。また田端操での折り返しも、どの線路で行われていたのかちょっと不思議ではあります。
その後の'86貨物時刻表では熊谷貨タ発矢板行き列車の越谷貨タ経由が確認できなくなっており、単なる記載モレなのかそれとも別の駅で向きを変えるようになったのかナゾです。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。
« 富山港線の貨物列車 その2 | トップページ | 貨物列車ネタ2(向きを変える列車) その2(高崎・仙台・陸前山王・本郷台) »
コメント
« 富山港線の貨物列車 その2 | トップページ | 貨物列車ネタ2(向きを変える列車) その2(高崎・仙台・陸前山王・本郷台) »
こんにちは。2.の幕張駅について述べます。
私が通学で通るようになった1980年、幕張駅を含む津田沼-千葉間はまだ複線で、現在の緩行線にすべての列車が走っていました。現在の幕張駅のホームや駅舎の基本構造はすでに完成しており、燃料輸送列車は幕張折り返しの緩行電車と同じく、両側をホームに挟まれた中線で折り返していました(機回しをどのように行っていたかは観察していませんでした…)。1981年7月6日、4線化が完成して貨物列車は快速線走行となり、燃料輸送の折り返しも快速線の中線となりました。なお当時、緩行線・快速線ともに中線から下り方に進出するルートには安全側線が設けられていましたが、現在はありませんね。
ちなみに燃料輸送列車が緩行中線で折り返していた当時、成田空港に反対する過激派の投石に備えて中線の上りホーム側には金網が張り巡らされていたので、せっかく両側ホームの中線なのに、下りホーム側しか客扱いができませんでした。鉄研の仲間内で「幕張」ならぬ「網張」駅と呼んでいたものです。
投稿: クモイ103 | 2017年7月16日 (日) 17時15分
3.ですが、84年3月(実際はもう少し後とのことですが)の大宮操の配線図を見ると、中1・中2で折り返せるように見えますが?
投稿: 名無し | 2017年7月16日 (日) 22時26分
大宮操での折り返しの件ですが、機回しができないためではないでしょうか。大宮運転区への機走り線を使えば不可能ではありませんが、この一往復の列車のために常に待機機関車を置いておくわけにもいかないでしょうし・・・
新鶴見や田端のような「機関区所在駅」とは違い、完全に運転停車のためのみに使命を限ってしまったのだと思います。
投稿: 刻苦七十年 | 2017年7月17日 (月) 00時14分
f54560zgさん、みなさん、こんばんは。
貨物列車の幕張での中線折り返しについては初めて知りました(汗)。
クモイ103様のコメントを拝読させていただくと、複々線化後は快速線の中線が使われていたとのこと。ご教示感謝いたします。
>f54560zgさん
熊谷貨タ・矢板間の貨物列車ですが、昭和61年3月3日改正の列車運転時刻表を見ますと、一部列車番号は変わっているようですが、f54560zgさんが本文で記されているのと同じ経路で運転されていたようです。高崎局の時刻表が手許にないので、宮原からですが(汗)以下が時刻です。
熊谷貨タ発矢板行き
5796
宮原 23:03 通過
大宮 23:11着 23:13発 (6)
大宮操 23:18着 23:32発 (上6)
越谷貨タ 0:03着 (2)
5597
越谷貨タ 4:25発 (2)
大宮操 4:53着 5:04発 (落合)
大宮 5:09着 5:11発 (10)
宇都宮 6:40着 6:43発 (下2)
宝積寺 6:59:30着 7:51発 (5)
矢板 8:18 (中)
矢板発熊谷貨タ行き
5588
矢板 13:51発 (中)
宝積寺 14:16着 15:03発 (5)
岡本 15:15着 15:20発 (中)
宇都宮 15:30:30着 15:32:30発 (11)
小山 16:01:30着 16:43発 (東5)
大宮操 17:39着 17:59発 (上4)
田端操 18:30着 (5)
5881
田端操 19:21発 (5)
大宮操 19:51着 19:57発 (落合)
大宮 20:02着 20:04発 (10)
宮原 20:12通過
なお、この当時、田端操の着発線は、着発1~6番線と山手着発線に整理されていたようです。
投稿: KASA | 2017年7月17日 (月) 01時56分
クモイ103さん、この当時から緩行線幕張駅中線は両側ホームだったんですね。それにしても下り側は無防備?
名無しさん、空中写真を見ると1989年時点ではまだ上下線が分かれており、1995年時点では本線が移設されていますので中1・中2での折り返しが可能になったのはこの間ではないかと思われます。実際2002年の貨物時刻表を見てみますと、金沢発宇都宮貨タ行き2072~2067列車は大宮操で方向を変えているようです。
刻苦七十年さん、大宮操での折り返しができないのは着発線群が下り用と上り用に分離されていて、たとえば上り到着列車がそのまま下り方向に出発できる線路配線・信号設備になっていないためです。現在では上記の通り折り返しができる設備になっています。
KASAさん、1986年時点でも変わっていないわけですね。ありがとうございます。
田端操もこの時点では線路が整理されていたんですね。
投稿: f54560zg | 2017年7月17日 (月) 20時36分
f54560zg さん、
1980年には津田沼-千葉間の線増工事は終盤を迎え、幕張駅の構造はほぼ出来上がっていました。おそらくそれ以前の数年間は工事の進捗に伴って線路配置が変化していると思われますが、残念ながら私は見ていないのでわかりません。
> それにしても下り側は無防備?
幕張駅の上りホーム側はすぐに駅前広場(と言うほどの広さもないが…)があって、中線に停車している列車を“攻撃”することは比較的容易ですから、警戒したのでしょう。下りホーム側は快速線があって鉄道用地が広い上に、駅前広場は無く公道1本挟んで住宅街です。
投稿: クモイ103 | 2017年7月17日 (月) 21時38分
いつも拝見いたしております。
私も92年の貨物時刻表を開いてみました。
泉と安中の東邦亜鉛の列車
高崎駅にて折り返しだったのですね。
また、面白いものでは
敦賀~宇都宮(タ)の650~1253列車は
宮内で折り返して上越高崎を上って
大宮(操)で再び折り返して東北本線へ。
その逆の1254~651列車は
新座(タ)まで出て折り返して高崎上越と下り
再び宮内で折り返して敦賀へ。
93年の資料だと
熊谷(タ)→宝積寺の5790~5591が
大宮(操)にて折り返し。
矢板→熊谷(タ)の5582~5785は
田端(操)にての折り返し。
大宮(操)で折り返すのは深夜早朝だけ。
そんな変な法則(?)に気づいてしまいました。
投稿: 貨物好き | 2017年7月19日 (水) 12時20分
クモイ103さん、情報ありがとうございます。
さすがに両側金網というわけにはいかなかったので苦肉の策だったんでしょうね。
貨物好きさん、ダメですって、先回りは(笑)。高崎駅は今回の記事でご紹介予定でした(汗)。
上下で折り返しの駅が違うってのは何なんでしょうね。
投稿: f54560zg | 2017年7月19日 (水) 22時36分
吹田操車場の北側、線路跡地に現在大量のクレーンがまさに林立して、ちょっと恐ろしい光景が展開されています。是非岸辺駅から今のうちに見てくださいね。
ところで、規模は小さくなりましたが吹田の貨物列車扱いは健在で、もちろん吹田自身の貨物扱いの他、大阪タからの関東北陸方面や百済からの九州方面など、梅田廃止前よりは減りましたが、まだまだ機回しやら機関車交換やら楽しめます。特に千里丘ホームからは大阪タ着発の機関車機回しがよく見えておすすめです。
投稿: わだらん | 2017年7月21日 (金) 01時22分
わだらんさん、まだまだ吹田は元気ですね。先日大阪に行ったのですが観光目的だったのでほとんど鉄はできませんでした(汗)。
投稿: f54560zg | 2017年7月23日 (日) 11時18分
鶴見線浜安善から発送の米軍向けタンク列車確か浜川崎若しくは塩浜操車場で運転方向を変えて横田基地及び厚木基地へ運行していた
投稿: yyoshikawa | 2017年7月23日 (日) 12時23分
yyoshikawaさん、鶴見線ではあちこちで方向を変えていたんでしょうね。他にも大川とか新芝浦とか鶴見川口とか。
投稿: f54560zg | 2017年7月23日 (日) 22時39分
磐越西線は会津若松駅がS形駅でしたので郡山直江津間直通貨物列車は必ず方向が変わってました
私鉄でも方向が変わる貨物列車が存在してました
西武池袋線の飯能駅がS形駅でしたので秩父線横瀬からのセメント列車は飯能で向きが変わってました此れを回避すべく東飯能への短絡線工事を計画一部路盤工事も済んでましたがセメント輸送が廃止され工事中断となって現在に至ってます
投稿: yyoshikawa | 2017年8月 3日 (木) 19時07分
yyoshikawaさん、飯能の短絡線の未成線は少し前に見てきました。廃線跡は寂しいものですが、陽の目を見なかった線路も寂しいものですね。
投稿: f54560zg | 2017年8月 5日 (土) 20時57分
東京貨物ターミナルから東北上越方面へのコンテナ列車の一部鶴見折り返しが有るのではと思いますが如何でしょうか 単線の浜川崎支線の路線容量の問題が有るのではと思いますが
投稿: yyoshikawa | 2017年8月 7日 (月) 14時17分
yyoshikawaさん、情報ありがとうございます。列車によって通るルートが異なるケースってありますよね。これについては別途記事を書きたいと思います。
投稿: f54560zg | 2017年8月19日 (土) 14時04分
貨物列車の話題では無いですが向きが変わる列車に付いて述べます 東急多摩川線は元々目蒲線のうち東京メトロ南北線及び都営三田線直通化された折目黒から多摩川迄と多摩川から蒲田の二つに分離されました 多摩川線には車庫は有りません 目蒲線時代は奥沢に車庫が有りましたが現在奥沢は目黒線専用になりました 其の為現在は池上線の雪谷大塚車庫が多摩川線の車輛を管理してます其の関係で多摩川線に車輛を送り込む為蒲田で向きを変えます 東急線内で池上線と多摩川線は東急の他の4線と違い今だに18m車を使用してます 蒲蒲線が開業すれば20m車の投入も有り得ます 雪が谷大塚庫所属車輛が長津田工場に入出する折は蒲田と大岡山で向きが変ります
京急線にも向きが変わる列車が存在します横浜方面からの羽田空港へ直通列車は京急蒲田で向きが変ります
投稿: yyoshikawa | 2017年8月19日 (土) 21時21分
yyoshikawaさん、回送列車を含めるといろいろな方向変換のケースがありそうですね。
投稿: f54560zg | 2017年8月20日 (日) 21時14分
向きの変わる列車の例として盛岡発盛岡行き急行陸中号が有りました釜石と花巻で都合二回向きが変わっていました 二回方向が変わるので車輛自体の方向は変わりませんでした(DCですので車輛の方向が変わっても問題は有りません)
嘗ての外房線向けの列車は必ず千葉と大網で向きを変えてました現在は千葉と大網は駅其のものが変りましたので解決されました
投稿: yyoshikawa | 2017年8月21日 (月) 19時14分
yyoshikawaさん、旅客列車でも2回も向きを変える列車ってありましたね。逆に電化後の房総急行のように向きを変えずに戻ってくる(従って戻ってきたときは車両の方向が逆になっている)というケースもありました。
投稿: f54560zg | 2017年8月23日 (水) 21時41分
秋田新幹線(田沢湖線)こまちは大曲で向きを変えますね理由は至極簡単在来線を改軌した為
改軌前の田沢湖線が大曲で北側から進入していたのを其の侭引き継いだ為向きを変えねばならなくなった
本来新幹線はストレートに東京へ向かう様建設されて来たが田沢湖線がイレギラーな状況になったのは在来線を其の侭改軌した JR東の実力ならば大曲付近で別線ルート(駅南方向から入る)にする位の事はした筈 敢てやらなかったのは早く秋田へ結びたかったのでしょう
投稿: yyoshikawa | 2017年9月 1日 (金) 17時41分
yyoshikawaさん、新幹線車両がスイッチバックする例は大曲だけでしょうか。北陸新幹線は直江津を通らないルートですし。
投稿: f54560zg | 2017年9月 3日 (日) 12時35分
yyoshikawa さん、横からすみません。
大曲駅を南側進入に改造というのは、航空写真を見れば明らかなようにたいへんな投資と地元負担が生じますね。東京-秋田間のわずかな時間短縮のために大曲の地元がそこまでの協力をする謂れはないでしょう。地元にも一定の利益があり、しかも市街地への影響が少なかった折尾駅の改造とは事情が異なります。会社の実力云々ではなく、単純に費用対効果の問題ではないでしょうか。
f54560zg さん、
最近、仙台~金沢間で団臨が運転されることがあるようですね。大宮駅でスイッチバックしています。
投稿: クモイ103 | 2017年9月 3日 (日) 15時35分
あの有名な伯備線布原のD51三重連牽引の貨物列車の行き先は当時の新日鐵広畑製鐵所でした。
姫路駅で向きを変え飾磨駅に向かい広畑製鐵所の機関車が受取に来ていたようです。
この列車、門司方から姫路駅での折り返しルートは、上り本線から下り本線と側線へと転線してきて、8番線に入線後の折り返しで良いのでしょうか? 私は配線図が読み解けなくて申し訳ないのですが、姫路の列車運転ルートの項で解説していただければありがたいのですが。
国鉄時代末期、名古屋駅から高山行き急行のりくら7号のボックス席に乗って眠りこけていたら、途中で後ろ向きに走っていて寝ぼけているのかと思いました。名古屋駅を利用すると、たまに特急ひだ を見かけるのですが、座席が全て東京側を向いており、乗客は後ろ向きに出発して行きます。秋田新幹線の秋田駅出発の際も同じ様な光景でしょうか。
転車台9 の項で my2000さんや C6217さんが津山駅の話題を出されていましたので、そちらへコメントしようかと思っていたのですが、もう30年ほど前、姫新線の併結急行 みささ みまさか が廃止となるのを聞き、当時絶滅危惧種だった キロ にも乗ってみたくて、姫路〜鳥取間を往復してみました。この急行みささ、津山駅で急行みまさかの切り離しと、岡山〜鳥取間の急行砂丘の連結と解放の仕業があり、薄れた記憶ながら津山駅構内で行ったり来たりみたいな運転をしていたような…。
津山配線図の出現時か、貨物列車ネタシリーズ項の旅客列車版とかの出現時には、ぜひとも解説していただきたい列車です。
投稿: E10 | 2017年9月 6日 (水) 01時20分
姫路の折り返しのこと。お説のとおり姫路に到着のとき、下り本線を横断して7番線に到着します。到着機を解放し、下り方に出発機を連結して飾磨へ向けて発車していました。
津山の解放連結も経験しています。私は「砂丘」で岡山→鳥取でしたが、津山で大阪から来た「みまさか・みささ」が分割され、砂丘を連結してキハ58系13両編成が因美線を走った記憶があります。
「みささ」は大阪から下り列車として到着、「砂丘」を連結して鳥取へ上り、そのまま直通するものの山陰本線では下り列車となって倉吉へ向かいます。列車番号はどうなっていたのでしょう。
貨物列車も列車番号葉どのように整理されていたのでしょうか。対となる番号を使うとダイヤ混乱時が大変です。
投稿: C6217 | 2017年9月 6日 (水) 18時51分
C6217さん、ご解答ありがとうございます。
当時、自宅より南側は光化学スモッグ地帯で夏場は太陽が薄れるくらいの視界でしたので、自然と子供の遊び場は北へ北へと求めていて、岡山開通前の山陽本線は日中でも過密ダイヤの様相だった記憶があり、姫路駅構内で本線を跨いで反航して行く列車に疑問を感じたのと、貨物列車がホーム番線に進入するのが解せなかったので疑問に思った次第です。
上記の理由から公害により、網干〜英賀保間の列車通過時、先頭車両の前面窓が埃に塗れたりしていなかったのでしょうか?
しつこく津山駅の様子に関しても、いつもながらの f54560zgらしい理数系の切り口がいずれ出現することを期待しています。
投稿: E10 | 2017年9月 6日 (水) 22時00分
クモイ103さん、新幹線のスイッチバックって、過去にもあったのでしょうか。個人的には初耳ですね。
E10さん、C6217さん、姫路での折り返しはC6217さんのおっしゃる通りかと思います。
姫路駅で
・門司方から進入できて、
かつ
・飾磨方に出発できる
のはホームのある7番線しかないようですので。
津山駅での分割・併合の際は乗客を乗せたまま入換が行われていたのですね、きっと。貴重な体験ですね。
(E10さんのプレッシャーがすごい・・・)
投稿: f54560zg | 2017年9月10日 (日) 14時15分
f54560zgさま、みなさま、はじめまして。
話題として書き込むには遅くなりましたが、2.の幕張駅中線における成田空港燃料輸送列車の折り返しについて補足いたします。
既にクモイ103さんが書かれているように、千葉ルートの成田空港燃料輸送列車の折り返しは幕張駅中線で行われていました。
折り返し時の機関車交換は、機回しをすると本線を占用するうえに時間がかかり緩行線電車の運行に支障が出ることから、(機回しではなく)先に到着していた別の機関車を千葉方に連結するという方法で行われています。
この先着機関車のために、中線の千葉方に専用の機関車待機線が設けられていました。クモイ103さんが「安全側線」と書かれているのは、実は安全側線ではなくこの機関車待機線です。
配線的には、幕張駅の中線の千葉方はY字状に分岐していますが(これは現在も同じ)、このY字の真ん中から1本延びる形で機関車(DD51)1両分の短い行き止まり線が設置されていました。つまり幕張駅中線の千葉方は三ツ又に分岐していたのです。
運転手順としては
1.(機関区のある)佐倉か蘇我から単機回送のDD51(A)が中線に到着
2.DD51(A)が中線千葉方にある待機線に移動
3.DD51(B)に牽引された燃料輸送列車が中線に到着
4.幕張まで燃料輸送列車を牽引したDD51(B)を切り離し
5.中線千葉方の待機線からDD51(A)が動き出し、燃料輸送列車の千葉方に連結
6.DD51(A)に牽引された燃料輸送列車が中線を出発
7.中線にDD51(B)が残る
という順序でした。
中線に残ったDD51(B)ですが、確か千葉ルートの燃料輸送列車2本の運転間隔が比較的近かったため、次の燃料輸送列車の牽引機となるために中線千葉方の待機線に移動して待機していたと記憶しています。
あとは2本目の燃料輸送列車が到着したら上記と同じことを繰り返し、DD51(B)が輸送列車を牽引して出発した後に残ったDD51(C)は佐倉か蘇我に回送、という段取りでした。
総武快速線の津田沼-千葉間の線増複々線化が完了すると、この燃料輸送列車の折り返しは快速線の中線を使って行われるようになります。
中線千葉方に専用の機関車待機線を設けるのも、機関車交換の手順も緩行線時代とまったく同じです。
ただ、折り返しの緩行線から快速線への移行は複々線化完了と同時ではなく、数ヶ月以上経った後でした。
また、この当時、成田空港関連の施設は空港反対の過激派の標的となり、それは燃料輸送列車も例外ではない(鹿島ルートでは機関車焼き討ち事件すら起こった)ことから、幕張駅中線においても過激派の「襲撃」を警戒して中線ホームに金網を張り巡らせます。
本当は2.3番線の両方を金網化したかったのですが、中線発着の列車(緩行線の折り返し列車及び房総ローカルの幕張行き入庫列車)があるのでさすがにそれは無理で、当初は3番線(下り方面)側のみ金網が張られました。
ところが、この張り方だと幕張終着の下り緩行線電車の利用客は降ろされるのが上りホーム(2番線)であるため、後続の千葉行きに乗り換えようとすると跨線橋を上り下りして4番線に移動しなければならないという不便な構造になってしまいました。
案の定というか苦情が多かったのでしょう、その後下り方面3番線に張られていた金網は撤去され、上り方面の2番線に移設されています。
2番線に張ると上り緩行線電車の客が幕張始発の電車に乗り換える時に不便になりますが、そもそも幕張始発の列車があることの車内案内放送が全然無いので始発乗り換え客が殆どいないこともあり、今度は特に問題にもなりませんでした。
その後、燃料輸送列車の折り返しが快速線に移ると 緩行線ホームの金網と中線千葉方の待機線が撤去され、燃料輸送列車自体の運行が終了すると快速中線の機関車待機線が撤去されて現在に至りますが、緩行線、快速線の機関車待機線があった場所を今見てもその痕跡がまったく判らないのですよね…。
長くなってしまってすみません。
投稿: 隠居猫 | 2018年4月11日 (水) 13時33分
新幹線の折り返し運転のケースですが、JR東海の浜松工場からの入出場線で、東京方からの入場・出場の場合はスイッチバックすると思います。営業運転ではないので、スイッチバック後の工場側は回送列車なのか、車両扱いの入換運転なのかどちらでしょうね。
投稿: コスモス | 2018年4月11日 (水) 22時58分
隠居猫さん
幕張駅中線の安全側線と思っていた線路は機関車待機線だったのですね。ご教示ありがとうございます。
「Y字の真ん中から1本延びる形で(中略)三ツ又に分岐」と表現されましたが、三枝分岐ではなくあくまで通常の分岐器の連続でしたね。現在の線形からもその名残が読み取れます。
ところで「折り返しの緩行線から快速線への移行は複々線化完了と同時ではなく、数ヶ月以上経った後でした。」と述べられていますが、これは意外です。複々線化と同時に、緩行線に貨物列車が乗り入れることはできなくなったと思っていました。私は当時通学で幕張駅を毎日通過しており、複々線化の切り替え当日は鉄研の仲間と共に半徹夜で津田沼・幕張・千葉各駅の工事の様子を見て回りましたが、工事完成の段階から千葉駅の緩行線関係の線路配置は現在と変わっていないように思います。どの様な進路で運転されていたのか興味があります。
投稿: クモイ103 | 2018年4月12日 (木) 22時15分
向きを変える列車と云えば磐越西線の会津若松では全列車向きが変わっていた
初代横浜も列車の向きが変わる駅でした
新橋横浜間に日本で最初に鐵道が開通したが当時は京浜間は飽く迄首都東京と港の有る横浜を結ぶのが目的で両駅共頭端駅で建設された国としては東京と京都を結ぶ幹線鐵道は中仙道に沿う路線を想定してました 軍部が海沿いに鐵道を引くと万が一外国から攻撃を受けた場合分断されてしまうという意見があった 然し中仙道経由線では中部日本の高山地帯をぬける為勾配区間や長大隧道工事等資金面工期の面等で一時頓挫替りに資材搬入等の便及び比較的工事の楽な東海道沿いの現在の東海道本線を東京と京都を結ぶ様変更したそんな事から頭端駅の横浜で方向を変える事になった後に日清戦争の折軍事輸送用に横浜で折り返さぬ短絡線を建設で対応後に横浜駅其のものの移転へ繋がった
投稿: yyoshikawa | 2018年4月13日 (金) 18時15分
隠居猫さん、はじめまして。貴重な情報ありがとうございます。機関車は東京駅のブルトレのような運用がされていたんですね。私はプッシュプルかと思っていました(汗)。
コスモスさん
新幹線の運転はよく知らないのですが、おそらく入換ではないでしょうか。
クモイ103さん、私もどの様な進路で運転されていたのか興味がありますね。
yyoshikawaさん、そうですね、かなり昔ではありますが横浜駅もスイッチバック駅でしたね。
投稿: f54560zg | 2018年4月15日 (日) 21時03分
>クモイ103さん
千葉ルートの燃料輸送列車の使用路線が緩行線から快速線に移行したのは、快速線線増完成と同時ですね。これについては当方の記憶違いでした。
あと、機関車待機線の分岐は三叉分岐器ではなく片側分岐2個を連ねた形状なのは確認しているのですが、書く際につい三又と書いてしまいました。これについては混乱させてしまい申し訳ありません。
なお、成田空港燃料輸送列車が運行されていた頃の北総地区は「向きを変える貨物列車」の宝庫でした。
その1:新小岩操車場(現:新小岩信号場)
現在は蘇我発着の貨物列車が京葉線経由となり、新小岩経由の貨物列車は鹿島臨海鉄道発着(&越中島の東京レールセンター発着)のものだけとなってしまいましたが、この当時は北総地区の貨物列車の大半は新金線・新小岩操経由となっていて、必然的に多くの列車が新小岩(この当時は操車場)でスイッチバックしていました。
その2:北鹿島駅(現:鹿島サッカースタジアム駅)
駅の所在地は茨城県ですが、出入りする貨物列車は全て鹿島線を経由して成田線を通っていた為、実質的に北総貨物です。
現在は旅客扱いもする駅ですが、この当時は鹿島臨海鉄道との貨物受け渡しの為だけの駅で、全ての貨物列車がスイッチバックしていました。
その3:蘇我駅
京葉臨海鉄道に出入りする貨物列車は向きを変えませんが、京葉線の千葉貨物ターミナル駅(千葉みなと-稲毛海岸間、1975年開設、2000年廃止)に発着する貨物列車は全て蘇我で向きを変えていました。
京葉線の旅客営業開始は1986年ですが、その前の約10年間は蘇我-千葉貨物タ間だけで貨物営業のみという細々とした運行形態だったのです。
しかも、千葉みなと(当時は「千葉港」と書いた)-蘇我間の用地買収が難航したため、千葉港-蘇我間に都川信号場という信号場を設置し、都川信号場-蘇我間は川崎製鉄千葉製鉄所の専用線を間借りして運行するという珍しい運転形態でした(旅客営業開始の約1か月前に都川信号場-蘇我間がようやく開通し、川鉄専用線を間借りしての運転は解消されています)。
ちなみに、蘇我発着の貨物列車が京葉線を経由して運行されるようになったのは2000年12月。千葉貨物ターミナル駅廃止の8か月後になります。
千葉貨物ターミナル駅自体は西船橋方向に出入りできるように高架等の構造物が構築されていたのですが、それが生かされることは全く無かったのです。
その4:幕張駅
成田空港燃料輸送の千葉ルート列車運行のために幕張駅で燃料輸送列車を折り返し運行していました。
これは前述しているので省略。
その5:成田駅
成田空港燃料輸送列車は、千葉ルート2往復以外に鹿島臨海鉄道発着の「鹿島ルート」が5往復運転されていました。
そして、これらの燃料輸送列車は成田市土屋にある燃料基地が終着だったのですが、この燃料基地への専用線は今の成田空港線と同じ様に下り方向(成田から佐原に向かう向き)で成田線から東側に分岐していた為、千葉ルートはそのまま出入りできるのですが、鹿島ルートの列車は燃料基地に直接入ることが出来ません。
仕方がないので、燃料基地行き、鹿島臨海鉄道行きのどちらも一旦成田駅まで来て、そこで機関車を付け替えてから戻る運転方法で専用線に出入りしていました。
ちなみに、成田駅でも幕張駅と同じ様に機回しはせず機関車付け替えです。
また、余裕のない幕張駅と異なり、成田駅は構内配線に余裕があったために、幕張のような機関車待機線の増設は行われていません。
というように、成田空港燃料輸送列車は千葉ルートは1回、鹿島ルートに至っては2回も向きを変えて運行されていました。
また、向きを変える時に機関車と併せて車掌車を付け替えていては面倒(近年と異なり、昔は列車の最後尾には必ず車掌車を連結していました)ですから、燃料輸送列車に限ってタンク車編成の前後に車掌車(ヨ8000)が固定的に連結されていました。
投稿: 隠居猫 | 2018年5月11日 (金) 20時51分
隠居猫さん
幕張折返しの快速線移行はやはり同時でしたか。記憶が確かめられて安心しました。
「向きを変える貨物列車」の詳細な補足ありがとうございます。
このうち今も見られるのは、その1とその2だけでしょうか。
その3の蘇我駅に絡む川鉄専用線の跡は、ハーバーシティ蘇我として再開発された部分を含む旧川鉄構内では跡形もありませんが、蘇我駅から国道357号線までの間は道路となって、はっきり辿る事ができますね。
投稿: クモイ103 | 2018年5月12日 (土) 21時26分
隠居猫さん、詳しいお話ありがとうございます。
北総界隈はいろいろ貨物列車にまつわるネタが多いですね。
北鹿島は貨物取扱設備を持たない「駅」という、ちょっと珍しい存在だったようです。
クモイ103さん、千葉貨タは短命でしたね。今の空中写真を見ると、都川信あたりの水路を跨ぐところに橋脚の残骸らしきものが見えます。
投稿: f54560zg | 2018年5月19日 (土) 17時57分