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2017年7月16日 (日)

貨物列車ネタ1(向きを変える列車)

前回と前々回の記事を書くにあたり、富山港線の貨物列車について調べるために貨物時刻表を引っ張り出しました。せっかく引っ張り出しましたので富山港線以外のところも見ていたら、いろいろと気になる貨物列車がありました。そういったところを、行き当たりばったりになりそうな気もしますが、今後何回かに分けて記事にしていきたいと思います。

今回は「向きを変える列車」です。

旅客列車と同様、貨物列車においても出発駅と到着駅の関係によっては途中駅で列車の向きを変えるケースが出てきますが、線路配線の関係で意外なところで方向を変える場合があります。今回はその事例をいくつかご紹介します。

1.宮内駅
まあ、これは有名ではありますが、一応ご紹介します。
上越線方面と北陸線方面を直通する列車の場合、分岐駅は宮内駅になるのですが、宮内駅の隣が長岡駅ですので旅客列車においては長岡駅で方向を変えます。
貨物列車の場合、普通に考えると宮内駅と長岡駅の間にある長岡操で向きを変えるのが自然なのですが、長岡操は抱き込み式の線路配線となっていて上下の着発線が分離しており、到着した列車がそのまま向きを変えて出発することができません。

19791201r

このため貨物列車は分岐駅である宮内駅で方向を変えていました。

19790716

'80貨物時刻表では上越線→北陸線方面で5本、北陸線→上越線方向で9本の列車が宮内駅で向きを変えています。その一例はこちら

2.幕張駅
成田空港が開港してからしばらくの間は航空機用ジェット燃料を鉄道貨物として輸送しており、'80貨物時刻表では京葉臨海の村田駅~成田駅間に2往復の貨物列車が確認できます。
総武線と外房線との分岐駅は千葉駅ですが、線路配線上千葉駅で向きを変えても総武線~外房線の直通ができないため、ジェット燃料輸送列車は幕張駅で方向を変えていました。
その後パイプラインが完成して貨物輸送は廃止されましたが、貨物輸送当時の幕張駅の配線がどうなっていたのか興味が湧きます。

3.高崎線~東北線直通貨物列車
'84貨物時刻表には高崎線と東北線を直通する貨物列車が1往復掲載されています。熊谷貨タ発矢板行きの5796~5597列車と、それと対になる矢板発熊谷貨タ行き5588~5787列車です。
当然大宮駅以南で列車の向きを変えなければならないわけですが、時刻表をよく見てみますと、熊谷貨タ発矢板行きの場合は越谷貨タで、矢板発熊谷貨タ行きの場合は田端操で向きを変えています。
単純に考えると大宮操で向きを変えるのが一番自然なのでしょうが、先の長岡操と同様大宮操も上下の着発線が分離しているため大宮操では折り返すことができません。その結果越谷貨タ・田端操で折り返していたのかもしれませんが、越谷貨タ・田端操で解結を行っていた可能性もあり、このあたりはよくわかりません。また田端操での折り返しも、どの線路で行われていたのかちょっと不思議ではあります。

その後の'86貨物時刻表では熊谷貨タ発矢板行き列車の越谷貨タ経由が確認できなくなっており、単なる記載モレなのかそれとも別の駅で向きを変えるようになったのかナゾです。

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コメント

こんにちは。2.の幕張駅について述べます。
私が通学で通るようになった1980年、幕張駅を含む津田沼-千葉間はまだ複線で、現在の緩行線にすべての列車が走っていました。現在の幕張駅のホームや駅舎の基本構造はすでに完成しており、燃料輸送列車は幕張折り返しの緩行電車と同じく、両側をホームに挟まれた中線で折り返していました(機回しをどのように行っていたかは観察していませんでした…)。1981年7月6日、4線化が完成して貨物列車は快速線走行となり、燃料輸送の折り返しも快速線の中線となりました。なお当時、緩行線・快速線ともに中線から下り方に進出するルートには安全側線が設けられていましたが、現在はありませんね。
ちなみに燃料輸送列車が緩行中線で折り返していた当時、成田空港に反対する過激派の投石に備えて中線の上りホーム側には金網が張り巡らされていたので、せっかく両側ホームの中線なのに、下りホーム側しか客扱いができませんでした。鉄研の仲間内で「幕張」ならぬ「網張」駅と呼んでいたものです。

3.ですが、84年3月(実際はもう少し後とのことですが)の大宮操の配線図を見ると、中1・中2で折り返せるように見えますが?

大宮操での折り返しの件ですが、機回しができないためではないでしょうか。大宮運転区への機走り線を使えば不可能ではありませんが、この一往復の列車のために常に待機機関車を置いておくわけにもいかないでしょうし・・・
新鶴見や田端のような「機関区所在駅」とは違い、完全に運転停車のためのみに使命を限ってしまったのだと思います。

f54560zgさん、みなさん、こんばんは。

貨物列車の幕張での中線折り返しについては初めて知りました(汗)。

クモイ103様のコメントを拝読させていただくと、複々線化後は快速線の中線が使われていたとのこと。ご教示感謝いたします。

>f54560zgさん

熊谷貨タ・矢板間の貨物列車ですが、昭和61年3月3日改正の列車運転時刻表を見ますと、一部列車番号は変わっているようですが、f54560zgさんが本文で記されているのと同じ経路で運転されていたようです。高崎局の時刻表が手許にないので、宮原からですが(汗)以下が時刻です。

熊谷貨タ発矢板行き

5796

宮原    23:03 通過 
大宮    23:11着 23:13発 (6)
大宮操  23:18着 23:32発 (上6)
越谷貨タ   0:03着  (2) 

5597

越谷貨タ 4:25発 (2)
大宮操 4:53着  5:04発 (落合)
大宮    5:09着  5:11発 (10)
宇都宮   6:40着  6:43発 (下2)
宝積寺  6:59:30着 7:51発 (5)
矢板     8:18 (中)

矢板発熊谷貨タ行き

5588

矢板   13:51発 (中) 
宝積寺 14:16着 15:03発 (5)
岡本   15:15着 15:20発 (中)
宇都宮 15:30:30着 15:32:30発 (11) 
小山   16:01:30着  16:43発   (東5)
大宮操 17:39着  17:59発  (上4)
田端操 18:30着 (5)

5881

田端操  19:21発 (5) 
大宮操  19:51着 19:57発 (落合)
大宮   20:02着 20:04発 (10)
宮原   20:12通過

なお、この当時、田端操の着発線は、着発1~6番線と山手着発線に整理されていたようです。

クモイ103さん、この当時から緩行線幕張駅中線は両側ホームだったんですね。それにしても下り側は無防備?

名無しさん、空中写真を見ると1989年時点ではまだ上下線が分かれており、1995年時点では本線が移設されていますので中1・中2での折り返しが可能になったのはこの間ではないかと思われます。実際2002年の貨物時刻表を見てみますと、金沢発宇都宮貨タ行き2072~2067列車は大宮操で方向を変えているようです。

刻苦七十年さん、大宮操での折り返しができないのは着発線群が下り用と上り用に分離されていて、たとえば上り到着列車がそのまま下り方向に出発できる線路配線・信号設備になっていないためです。現在では上記の通り折り返しができる設備になっています。

KASAさん、1986年時点でも変わっていないわけですね。ありがとうございます。
田端操もこの時点では線路が整理されていたんですね。

f54560zg さん、
1980年には津田沼-千葉間の線増工事は終盤を迎え、幕張駅の構造はほぼ出来上がっていました。おそらくそれ以前の数年間は工事の進捗に伴って線路配置が変化していると思われますが、残念ながら私は見ていないのでわかりません。

> それにしても下り側は無防備?

幕張駅の上りホーム側はすぐに駅前広場(と言うほどの広さもないが…)があって、中線に停車している列車を“攻撃”することは比較的容易ですから、警戒したのでしょう。下りホーム側は快速線があって鉄道用地が広い上に、駅前広場は無く公道1本挟んで住宅街です。

いつも拝見いたしております。
私も92年の貨物時刻表を開いてみました。

泉と安中の東邦亜鉛の列車
高崎駅にて折り返しだったのですね。


また、面白いものでは
敦賀~宇都宮(タ)の650~1253列車は
宮内で折り返して上越高崎を上って
大宮(操)で再び折り返して東北本線へ。

その逆の1254~651列車は
新座(タ)まで出て折り返して高崎上越と下り
再び宮内で折り返して敦賀へ。


93年の資料だと
熊谷(タ)→宝積寺の5790~5591が
大宮(操)にて折り返し。
矢板→熊谷(タ)の5582~5785は
田端(操)にての折り返し。

大宮(操)で折り返すのは深夜早朝だけ。
そんな変な法則(?)に気づいてしまいました。

クモイ103さん、情報ありがとうございます。
さすがに両側金網というわけにはいかなかったので苦肉の策だったんでしょうね。

貨物好きさん、ダメですって、先回りは(笑)。高崎駅は今回の記事でご紹介予定でした(汗)。
上下で折り返しの駅が違うってのは何なんでしょうね。

吹田操車場の北側、線路跡地に現在大量のクレーンがまさに林立して、ちょっと恐ろしい光景が展開されています。是非岸辺駅から今のうちに見てくださいね。
ところで、規模は小さくなりましたが吹田の貨物列車扱いは健在で、もちろん吹田自身の貨物扱いの他、大阪タからの関東北陸方面や百済からの九州方面など、梅田廃止前よりは減りましたが、まだまだ機回しやら機関車交換やら楽しめます。特に千里丘ホームからは大阪タ着発の機関車機回しがよく見えておすすめです。

わだらんさん、まだまだ吹田は元気ですね。先日大阪に行ったのですが観光目的だったのでほとんど鉄はできませんでした(汗)。

鶴見線浜安善から発送の米軍向けタンク列車確か浜川崎若しくは塩浜操車場で運転方向を変えて横田基地及び厚木基地へ運行していた

yyoshikawaさん、鶴見線ではあちこちで方向を変えていたんでしょうね。他にも大川とか新芝浦とか鶴見川口とか。

磐越西線は会津若松駅がS形駅でしたので郡山直江津間直通貨物列車は必ず方向が変わってました
私鉄でも方向が変わる貨物列車が存在してました
西武池袋線の飯能駅がS形駅でしたので秩父線横瀬からのセメント列車は飯能で向きが変わってました此れを回避すべく東飯能への短絡線工事を計画一部路盤工事も済んでましたがセメント輸送が廃止され工事中断となって現在に至ってます

yyoshikawaさん、飯能の短絡線の未成線は少し前に見てきました。廃線跡は寂しいものですが、陽の目を見なかった線路も寂しいものですね。

東京貨物ターミナルから東北上越方面へのコンテナ列車の一部鶴見折り返しが有るのではと思いますが如何でしょうか 単線の浜川崎支線の路線容量の問題が有るのではと思いますが

yyoshikawaさん、情報ありがとうございます。列車によって通るルートが異なるケースってありますよね。これについては別途記事を書きたいと思います。

貨物列車の話題では無いですが向きが変わる列車に付いて述べます 東急多摩川線は元々目蒲線のうち東京メトロ南北線及び都営三田線直通化された折目黒から多摩川迄と多摩川から蒲田の二つに分離されました 多摩川線には車庫は有りません 目蒲線時代は奥沢に車庫が有りましたが現在奥沢は目黒線専用になりました 其の為現在は池上線の雪谷大塚車庫が多摩川線の車輛を管理してます其の関係で多摩川線に車輛を送り込む為蒲田で向きを変えます 東急線内で池上線と多摩川線は東急の他の4線と違い今だに18m車を使用してます 蒲蒲線が開業すれば20m車の投入も有り得ます 雪が谷大塚庫所属車輛が長津田工場に入出する折は蒲田と大岡山で向きが変ります
京急線にも向きが変わる列車が存在します横浜方面からの羽田空港へ直通列車は京急蒲田で向きが変ります

yyoshikawaさん、回送列車を含めるといろいろな方向変換のケースがありそうですね。

向きの変わる列車の例として盛岡発盛岡行き急行陸中号が有りました釜石と花巻で都合二回向きが変わっていました 二回方向が変わるので車輛自体の方向は変わりませんでした(DCですので車輛の方向が変わっても問題は有りません)
嘗ての外房線向けの列車は必ず千葉と大網で向きを変えてました現在は千葉と大網は駅其のものが変りましたので解決されました

yyoshikawaさん、旅客列車でも2回も向きを変える列車ってありましたね。逆に電化後の房総急行のように向きを変えずに戻ってくる(従って戻ってきたときは車両の方向が逆になっている)というケースもありました。

秋田新幹線(田沢湖線)こまちは大曲で向きを変えますね理由は至極簡単在来線を改軌した為
改軌前の田沢湖線が大曲で北側から進入していたのを其の侭引き継いだ為向きを変えねばならなくなった
本来新幹線はストレートに東京へ向かう様建設されて来たが田沢湖線がイレギラーな状況になったのは在来線を其の侭改軌した JR東の実力ならば大曲付近で別線ルート(駅南方向から入る)にする位の事はした筈 敢てやらなかったのは早く秋田へ結びたかったのでしょう

yyoshikawaさん、新幹線車両がスイッチバックする例は大曲だけでしょうか。北陸新幹線は直江津を通らないルートですし。

yyoshikawa さん、横からすみません。
大曲駅を南側進入に改造というのは、航空写真を見れば明らかなようにたいへんな投資と地元負担が生じますね。東京-秋田間のわずかな時間短縮のために大曲の地元がそこまでの協力をする謂れはないでしょう。地元にも一定の利益があり、しかも市街地への影響が少なかった折尾駅の改造とは事情が異なります。会社の実力云々ではなく、単純に費用対効果の問題ではないでしょうか。

f54560zg さん、
最近、仙台~金沢間で団臨が運転されることがあるようですね。大宮駅でスイッチバックしています。

あの有名な伯備線布原のD51三重連牽引の貨物列車の行き先は当時の新日鐵広畑製鐵所でした。
姫路駅で向きを変え飾磨駅に向かい広畑製鐵所の機関車が受取に来ていたようです。
この列車、門司方から姫路駅での折り返しルートは、上り本線から下り本線と側線へと転線してきて、8番線に入線後の折り返しで良いのでしょうか? 私は配線図が読み解けなくて申し訳ないのですが、姫路の列車運転ルートの項で解説していただければありがたいのですが。
国鉄時代末期、名古屋駅から高山行き急行のりくら7号のボックス席に乗って眠りこけていたら、途中で後ろ向きに走っていて寝ぼけているのかと思いました。名古屋駅を利用すると、たまに特急ひだ を見かけるのですが、座席が全て東京側を向いており、乗客は後ろ向きに出発して行きます。秋田新幹線の秋田駅出発の際も同じ様な光景でしょうか。
転車台9 の項で my2000さんや C6217さんが津山駅の話題を出されていましたので、そちらへコメントしようかと思っていたのですが、もう30年ほど前、姫新線の併結急行 みささ みまさか が廃止となるのを聞き、当時絶滅危惧種だった キロ にも乗ってみたくて、姫路〜鳥取間を往復してみました。この急行みささ、津山駅で急行みまさかの切り離しと、岡山〜鳥取間の急行砂丘の連結と解放の仕業があり、薄れた記憶ながら津山駅構内で行ったり来たりみたいな運転をしていたような…。
津山配線図の出現時か、貨物列車ネタシリーズ項の旅客列車版とかの出現時には、ぜひとも解説していただきたい列車です。

 姫路の折り返しのこと。お説のとおり姫路に到着のとき、下り本線を横断して7番線に到着します。到着機を解放し、下り方に出発機を連結して飾磨へ向けて発車していました。

 津山の解放連結も経験しています。私は「砂丘」で岡山→鳥取でしたが、津山で大阪から来た「みまさか・みささ」が分割され、砂丘を連結してキハ58系13両編成が因美線を走った記憶があります。
 「みささ」は大阪から下り列車として到着、「砂丘」を連結して鳥取へ上り、そのまま直通するものの山陰本線では下り列車となって倉吉へ向かいます。列車番号はどうなっていたのでしょう。

 貨物列車も列車番号葉どのように整理されていたのでしょうか。対となる番号を使うとダイヤ混乱時が大変です。

C6217さん、ご解答ありがとうございます。
当時、自宅より南側は光化学スモッグ地帯で夏場は太陽が薄れるくらいの視界でしたので、自然と子供の遊び場は北へ北へと求めていて、岡山開通前の山陽本線は日中でも過密ダイヤの様相だった記憶があり、姫路駅構内で本線を跨いで反航して行く列車に疑問を感じたのと、貨物列車がホーム番線に進入するのが解せなかったので疑問に思った次第です。
上記の理由から公害により、網干〜英賀保間の列車通過時、先頭車両の前面窓が埃に塗れたりしていなかったのでしょうか?

しつこく津山駅の様子に関しても、いつもながらの f54560zgらしい理数系の切り口がいずれ出現することを期待しています。

クモイ103さん、新幹線のスイッチバックって、過去にもあったのでしょうか。個人的には初耳ですね。
E10さん、C6217さん、姫路での折り返しはC6217さんのおっしゃる通りかと思います。
姫路駅で
・門司方から進入できて、
かつ
・飾磨方に出発できる
のはホームのある7番線しかないようですので。

津山駅での分割・併合の際は乗客を乗せたまま入換が行われていたのですね、きっと。貴重な体験ですね。
(E10さんのプレッシャーがすごい・・・)

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