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2017年7月 5日 (水)

富山港線の貨物列車 その1

先日、富山港線 1979/10/5 の記事で、つるたまさんより富山港線の貨物列車に関するコメントをいただきました。もともとは東岩瀬駅の謎のホームに端を発しているのですが、これをきっかけに富山港線の貨物列車についてちょっと調べてみることにしました。

参考にした資料は
・'80貨物時刻表
・鉄道ピクトリアル2015年4月号に掲載の富山駅配線図(昭和48年4月)
です。

まず'80貨物時刻表から貨物列車のダイヤを作成してみました。

1200

これからわかることは、
・富山操~富山港駅間に2往復、富山操~東岩瀬駅間に1往復、富山操~岩瀬浜駅間に1往復の貨物列車が設定されています。これについてはまあそんなものかな、という感じですね。
・問題は下奥井駅、奥田駅関係です。ダイヤを見る限り、この両駅に発着する貨物は富山操→蓮町駅→下奥井駅→(富山駅)→奥田駅→(富山駅)→(北陸線)→富山操という一方通行の循環ルートで輸送されているように思えるんです。富山港線各駅への貨車は全て富山操~蓮町駅間の貨物支線経由で出入りするものと思い込んでいたので、個人的にはちょっとびっくり。

であれば、富山駅の配線もこれに対応した設備になっているハズ。
そこで鉄道ピクトリアルの富山駅の配線図を見てみます。関係部分だけを抜き出すとこんな感じです。

1973r

まず、港本線の直江津方に出発信号機があります。これは富山港線電車が岩瀬浜方に向かうための信号機でしょう。まあ当然の設備ですね。
次にその先を見てみますと、港1番線にも出発信号機があります。信号機の記号をよく見ますと、港本線の出発信号機が手動の信号機であるのに対し港1番線の信号機は半自動(非保留)の信号機になっています。ということは、この信号機の進路は岩瀬浜方ではなく北陸線へのものであると思われます。つまり富山駅港1番線から北陸線に進出するルートがちゃんと設けられているようですね。これで納得できます。

しかしながらこの配線図を見ていると次なる疑問が湧いてきます。奥田方には出発信号機はおろか入換信号機すら記載されていないんです。さすがに何もないことはなかろう、多分省略されているのであろうとは思うのですが、富山駅~奥田駅間ではどのような運転方法がとられていたのかが不思議になるわけです。
また岩瀬浜方からの上り場内信号機も記載されていませんので、岩瀬浜方からやってきた貨物列車がどの線路に進入するのかもわかりません。

拙ブログで過去にご紹介した写真をもう一度見てみましょう。

0119791005a052
港1番線の出発信号機が確認できます。これが北陸線への進路となるわけですね。

0219791005a012
港1番線の奥田方に配線図には描かれていなかった列車停止標識があります。つまり岩瀬浜方からの貨物列車は港1番線に進入するようになっていることがわかります。ただし奥田方への出発信号機や入換信号機は見当たりません。

0319791005j162
港1番線の列車停止標識の背中が確認できます。前述の港1番線の下り出発信号機も見えます。

0419791005j11
このあたり、信号機関係は見当たりません。

0519791005j12
やはり信号機関係は見当たりません。

結局奥田方には信号機関係は見当たりませんでしたね。といことであれば、富山駅~奥田駅間は列車としての運転ではなく、そしてまた構内運転でもなく、操車担当さんの誘導による純然たる入換であったとしか考えられないんですよね。富山駅~奥田駅間1.9kmを、操車担当さんが進路上の転てつ器の開通方向と進路上の車両の有無を目視で確認しながら運転士さんに合図を送る・・・ホントかなぁ?

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コメント

富山港線の貨物列車の記事をありがとうございます。興味深く拝読させていただいております。

富山~奥田間の運転方式なのですが、昭和22年4月の名古屋鉄道局の「運転取扱細則」に以下のような規程がありました。縦書きを横書きに、旧字体を新字体にして引用させていただきますと、

第三章 構内運転

第五十五条 心得第二十八条の規定にかかわらず、貨物運送のみをする次の区間では車両入換の方式により運転するものとする。

名古屋港 堀川口間
武豊    武豊港間
四日市  四日市港間
七尾    七尾港間
富山    奥田間

第五十六条 前条の区間における運転取扱方は、次の各号による。

一 運転を始める前に停車場間で、打合せを行うこと。
二 機関車を前頭とし、操車掛がこれに添乗して誘導すること。
三 停車場外にわたる手押入換をしないこと。
四 救援を必要とする場合の外、使用機関車は一両に限ること。

とあります。

第五十五条にある「心得第二十八条」なのですが、昭和22年4月の心得は私の手許にないため(汗)、あくまで推測なのですが、昭和23年8月の改正された心得の第28条第2項に「貨物輸送のみを行う区間で、その区間が1停車場間に限る場合は、鉄道管理局長が指定して、停車場外の本線を構内運転の方式により列車の運転をすることができる。」とありますので、この条文と類似のものだと思われます。

f54560zg様には〔富山港線の貨物列車〕のテーマで取り上げてダイヤグラムまで作成して頂き誠にありがとうございます。

KASA様には【運転取扱細則】で解説して頂き誠にありがとうございます。現在では四日市から四日市港では、この光景を見ることができますね。

前方監視員と操車掛(二人必要)で踏切前で列車が止まり操車掛が連動踏切(連動信号)ならばボタンを押す。また赤色の旗を振って車の通行止めにする場合などが行われています。臨海鉄道はボタン信号が多くなっていますが交通量が多い時は旗振りも今でも見られています。

富山港線のような貨物列車は荷物がないと全休運休や途中で打ち切る事が多くありましたので撮影に苦労しました。最後の写真の奥田方にDD15が留置してありました。


 操車担当による誘導について。
 山陽本線の倉敷駅では専用線に出入りする貨車を伯備線から分岐する場所まで、2kmを操車の誘導によって移動していたのを見ています。機関車は8620。
 操車はこの区間の通票を持参して、分岐箇所のポイントに挿入して鎖錠を解き、現場で分岐器を転換します。
 駅構内の扱いとすればこの方式がもっとも簡単ですね。でも冬には操車担当は寒かったことと思います。

KASAさん、貴重な資料のご紹介ありがとうございます。今でも四日市港線は車両入換方式での運転なんですね。四日市港駅が廃止される前からずっとこの方式だったということなんでしょうね。
つるたまさん、機会があれば写真を拝見したいです。
C6217さん、通票を携帯しているということは閉そくが施行されているということですので、車両入換というよりは入信による構内運転もしくは通常の列車としての運転のような気がします。操車担当さんは誘導ではなく単に添乗していたのかもしれませんね。いずれにせよ寒かったでしょうね。

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