有年配線図
以前、C6217さんより有年駅のリクエストをいただいていたのですが、すっかり忘れてしまっていました。申し訳ありません(汗)。
だいぶ遅くなりましたがご紹介させていただきます。
最初は1958年(昭和33年)4月。
・この時点では上下共用の中線が設けられた、ごく普通の線路配線ですね。
・7年前に廃止されているはずの赤穂鉄道線がまだ描かれています。
続いて1963年(昭和38年)12月
・簡易的な図面で、本線関係しか描かれていません。ただ、本線関係に限れば変化はないようです。
続いて1969年(昭和44年)4月。※※
・C6217さんのおっしゃる通り、特異な配線に変化しました。「ホームのない4番線」が設けられたのです。
・ホームのない4番線を持つ駅というだけならばこのあたりには結構いっぱいあり、決して珍しいものではありません。それらと有年駅が違うのは、有年駅の場合は「ホームのない4番線」が主本線であるということですね。有年駅以外の駅は副本線なんです。
・なぜこの時期にこのような配線に変更されたのか、その理由に興味が湧きます。
続いて1986年(昭和61年)4月。
続いて1992年4月
最後に1999年10月
しかしながら、C6217さんのコメントの通り、最近になっていろいろと変化が生じているようです。この変化について、Wikipedia等に記載されている情報をもとに整理してみました(若干推測が含まれています)。
2009年(平成21年)3月までは以上でご紹介した状態から変化はなかったようです。
ところが2009年(平成21年)3月に3番線の使用が停止されたようです。
これにより上りのローカル列車は2番線発着となったようです。おそらく下りの待避は行われなくなったのではないでしょうか。
さらに2013年(平成25年)3月に4番線にホームが新設され、同時に2番線の使用が停止されて4番線が2番線に変更されたようです。
中央部にホームがあるとはいえ実質的には棒線駅と化したわけで、これにより上下とも待避ができなくなったものと思われます。
その後、少なくとも2016年(平成28年)9月までには1番線が旧3番線の位置に移設されたようです。
これにより名実ともに棒線駅になってしまいました。旅客営業面の設備についてはまだ未整備な部分があるようですが、列車運転上は最終形態なのではないでしょうか。
上り主本線にホームがないという、一風変わった配線の駅だったわけですが、ここ最近の改良(?)で棒線駅になってしまいました。ちょっと寂しいですね。
配線図はT.Mさん及びKASAさん(※※印)よりご提供いただきました。
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管理人さま、 勝手なリクエストへの掲載ありがとうございます。
1969-4への変更のとき(43/10以前)、上り方へ有効長の延伸が行われて4番線はクネクネという感じの曲線が入りました。
今回の配線変更では、上り本線はそのままとなり、新下り線は上り本線に沿ってクネクネのまま設置されました。用地は十分余裕があるのに直線化しなかったのが残念です。
新下り線は3番線の復活ではなくホームを削って移設とも言うべき位置に置かれています。なぜこんな無駄な工費を使ったのか?
橋上部分は工事中です。本当に素っ気の無い駅に変身しそうです。
3番線が上り本線から待避線になったとき、大きなカントが修正されずに使用されました。ずいぶん違和感を感じたことがあります。乗客も不便だったことでしょう。
投稿: C6217 | 2017年6月 6日 (火) 21時41分
下り線岡山寄りは曲線があって乗降看視用モニター大盤振る舞いになってしまったことです。せっかくの区画整理事業なので山陰本線馬堀駅のように駅を移転しホームを直線化してしまえば万事解決なのですが、惜しいですね。(URLは馬堀駅移転前工事中の空中写真)
投稿: 白旗 | 2017年6月 7日 (水) 22時35分
C6217さん、やはり新下り線は3番線の復活ではないんですね。3番線が空いている期間がそこそこ長そうでしたので、単純な復活ではなさそうな気はしていましたが。
白旗さん、リンクのご紹介ありがとうございます。確かに馬堀駅はキレイに直線化されていますね。
投稿: f54560zg | 2017年6月10日 (土) 17時58分
有年駅、初めて知りました。「うね」と読むんですね。
wikiで調べると、昔ながらの趣ある駅舎で一目惚れしてしまいましたが、最近機能的でモダンな駅舎に改築中とか‥。
地元の人には便利になり良いですが、国鉄の面影がまた一つ減りちょっぴり残念。
投稿: 猫OG | 2017年6月11日 (日) 00時20分
猫OGさま
有年の旧駅舎はそのまま残っています。本当に昔のまま。
橋上駅の完成により駅前広場となるため放置しているのでしょう。
見に行くのなら今のうちです。
投稿: C6217 | 2017年6月11日 (日) 09時18分
C6217様、情報ありがとうございます。
今のうちですかぁ。 訪問したいのですが私、健康面や親の介護もあり東京から離れるのが難しく残念です。 でもきっと旧駅舎を惜しむファンがたくさん画像を残して頂けると思い、それを楽しみます。
投稿: 猫OG | 2017年6月16日 (金) 00時45分
国道2号を走っていると、この駅の存在は大いに気になります。
中線だけの標準的な配線からこの特異な配線になった時期を書かれてますが、推測として山陽新幹線の岡山開通を見越して速度の遅い列車(鈍行・専貨Bクラスの貨物列車)の上下で待避させる必要性が出てきた、と読んでいます。
あと東隣の相生がジャンクション駅にもかかわらず初期の有年駅のような配線で待避もままならない状態になると想定して、結果として拡張の余地がある有年駅の配線を増やした・・・と思われます。
ともあれ、この記事は3→4→3→2と構内配線の増減をタイムラインとして追っかけておられる資料として貴重ですし、山陽線の輸送体系の移り変わりがつぶさに読み取れる「教科書」のような駅だと思います。
投稿: denwaban | 2017年7月 7日 (金) 23時35分
denwabanさん、時期的なことを考えると新幹線岡山開業が関係しているように思えますよね。
上下本線だけの姿を見ると「無常」を感じます(汗)。
投稿: f54560zg | 2017年7月12日 (水) 19時04分
山陽本線に乗る機会があったので有年まで足を延ばしてみました。管理人様にリクエストした手前の責任(?)を感じています。
本屋の状況: 木造平屋の本屋は昔のまま。トイレは昔風に別棟、無人かと思ったら委託窓口が開いていました。ただし改札は無人、自動改札機はなく、降車客はキップ収納箱へ入れる仕組みです。
周囲を観察すると、現本屋は橋上後の駅前広場の真ん中になります。橋上部は完成して駅前広場に降りる最後の階段工事に入っているので、あと数ヶ月で切換の可能性があります。
新1番線: 旧3番線の場所に相当しますが、旧2・3番線のホームは土盛りを撤去して鉄骨組立で新設しています。これは新1番線のためですが、原因はホーム西方で上下線間に保守用車の留置線を設置するためのようです。
渡り線を設けて片側に設ければいいのに、と思いますが、保線区OBの方から聞いた話を思い出しました。線路閉鎖をして保守用車を本線へ出すのにどれだけ手続きを行い、神経を使っているか。上下本線を同時に閉鎖するのは大変な作業で結果的に我々の仕事時間を削ることだ、と。
新線路の曲線について: 2番線(旧4番線)に沿って新下り本線(新1番線)を敷設したため、上下線とも曲線の連続となりました。 先コメントでクネクネと表現したとおりです。
最大偏寄を目測したら3mでした。用地はあるのでこの部分を直線にしたらと残念です。
思い当たるのは、担当は余剰で売却する面積を捻出することで評価されるというウワサです。そうであれば、どんな曲線を入れてでも余剰となる面積を増やそうとするのは当然ですね。
その他: 橋上部は既に完成、北口も使用開始済み。キップの販売機は稼働しています(本屋に窓口はあるのに)。上下ホームのエレベーターも使用開始しています。
旧下りホームは土盛り撤去中。捻出地を更地にするためのようです。
投稿: C6217 | 2017年7月13日 (木) 20時22分
C6217さん、有年駅の近況のご報告ありがとうございます。副本線を廃止していわゆる棒線駅化するにしても、いろいろとしがらみが多いんですね。
投稿: f54560zg | 2017年7月17日 (月) 19時04分
本日付けの地方紙によると、10月中旬以降に駅舎の取り壊しにかかるそうです。
福知山線や山陰本線内が妥当かと思っていたのですが、意外にも県内最古の木造駅舎らしく名残惜しさを感じますが、10月8日迄、駅舎内でささやかな写真展も開かれているようです。
赤穂鉄道が配線図に残っているのが嬉しいですね。車両や貨物、乗客などの行き来が確かに有ったのだと証言しているようです。
上郡駅の項で有年駅がちょっと感傷的な駅だと話したわけは…
バブル絶頂期の頃の上司がこの有年駅の利用者で、カラオケはセミプロ級(城之内早苗に似た感じでテレサ・テンを唄わせれば部下達の心をわしづかみにしていました)でしたが、酔い潰れた彼女を何度も深夜の有年へとタクシーで送り届けたものです。(キャリアウーマンだった彼女は、その後、地元の有力企業にヘッドハンティングされ、わしづかみにされていた私の心はズタズタに…)
深夜の道を有年へと向かっていると山陽本線の列車が望める場所があり、ちょうどその辺りで九州ブルトレがすれ違っていたようで、さくら はやぶさ 富士 そして一番よく見かけたのが みずほ でした。
数年後、その みずほ 廃止の知らせを聞き、忘れかけていた当時の記憶が蘇ったこともあったのでしょう、その後、幾多の列車廃止の知らせを受けましたが、やはり みずほ廃止のさみしさが私の中では一番の衝撃だったような気がしています。
投稿: E10 | 2017年9月27日 (水) 20時50分
E10さま、今日はもう2017/10/9なので有年駅写真展は見れないまま終わりです。
また、面白いエッセイありがとうございます。
この前、熊本出身の若い人に「みずほ」の話をしたら、新幹線と思われました。
投稿: 猫OG | 2017年10月 9日 (月) 22時03分
熊本育ちの若者に みずほ が通じないのはジェネレーションギャップを感じてしまいました。私の地元なら 銀河2号 とまでは言わなくとも、もう既に、瀬戸 あさかぜ なのでしょう。
時の流れの速さを痛感致します。
写真展の最終日に有年駅に行ってみました。
小さな待合室は来訪者でごった返していて、社員の方も常駐され、ちょっとした粗品もいただいたり、写真展はその昔に赤穂へ輸送されるサーカスの象から最新のトワイライトエクスズレス瑞風まで掲示してあり、かなりの盛況ぶりだったと感じます。
遠方からの来場者の方々も多くいらっしゃいましたが、私が訪問した時は地元の家族連れがたくさんいらっしゃったようで、有年駅で久々の再会を喜んでいる方々の風景に出くわしました。
明治時代開設以来の有年駅利用者数を、ほんの短い期間で追い越してしまう都会の駅があるなかで、重幹線の駅には似つかわしくないような、こんなドラマチックな風景もあるものだなと、鉄道の駅の魅力を再認識したひと時でした。
猫OGさん、老いた親御さんの介護にご自身の健康不安、私も少なからず同様の状況でして影ながらお察しいたします。
この10年ほど毎年のように18切符を使っては数日間の鉄道旅行に出かけていたのですが、さすがに今年は体力の衰えからか半分近くは新幹線や特急列車の利用となり、この先、リニアや北海道新幹線などは論外ですが、せめて鉄道150周年の鉄道会社による記念行事には f54560zgさんやblog内のコメンテーターの皆さんと共にワクワク感をもって迎えたいと願っています。
投稿: E10 | 2017年10月13日 (金) 18時39分
E10さん、猫OGさん
若いころの「10年」はとてつもなく長い時間でしたが、この年になるとあっという間です。「国鉄」を知らない人がいるのが信じられないくらいです(笑)。
いろいろと困難な状況であっても、前を向いて楽しく考えていきたいです。
投稿: f54560zg | 2017年10月15日 (日) 16時28分
E10 さま、有年駅写真展は盛況でしたか‥。
部外者ながら、嬉しい限りです。
来場者の方々には色々な思い出があったようですね。
投稿: 猫OG | 2018年2月 8日 (木) 23時12分
もう、有年駅に行くことは無いだろう、そう思っていましたが、猫OGさんのコメントに、直近の有年駅に行ってみました。
写真が添付出来れば一目瞭然なのですが、相変わらず難解な文面になりますがご容赦下さい。
旧駅舎は完全に取り壊され更地になっていましたが、旧駅舎改札口前の部分にあたる旧下りホームが2線の国鉄貨物側線の終端部のコンクリート部分辺り、ちょうど旧跨線橋の基礎部分から神戸方へ50米程残されていて、線路レベルまで盛り土が撤去された門司方の下りホーム跡部分前が、橋上駅舎登り口への旧駅舎更地前からコの字形に臨時通路になっており、切削された下りホーム跡の断面が垣間見れました。
44年の配線図で言うと、1番線の(610)辺りの幅の旧ホーム部分だけがまだ撤去されず、貨物側線下側の門司方ホームや本屋A印下の260辺りから神戸方ホームはすべて撤去されていました。(神戸方ホーム断面は立入禁止区域で見れませんでした)
意外にも、明治期の開通なのに基礎部分からは煉瓦造りではなく石垣で出来ており、徐々にホームのかさ上げをしたのでしょう、断面は七段に積まれており、下から石垣二段、厚めのコンクリートブロック二段、薄めのコンクリートブロック三段に分類出来、内側はそれぞれに地層が垣間見れて、最深部の地層は明治期の盛り土なのならば、非常に珍しい光景なのかもしれません。
また、赤穂鉄路跡の敷地(配線図の4線部分)も、なにか建屋の基礎工事のようなことがしてあり、基礎部分が1㍍程掘り下げられてコンクリートが流し込まれていて、その両サイドにはちょっとした地層も垣間見れました。
ネットで有年駅の画像検索をすると完成予想図などが見れると思いますのでご参考にしていただければと思います。
さて、懸案のクネクネ線路ですが、訪問中に偶然 スーパーはくと が軽快に京都駅へ向かっていましたので、本線走行にはなんら差し障りが無いように見受けられましたが、現場を実見して前出の C6217さんや白旗さんの直線化への懸念の意が分かったような気がします。
橋上駅舎から神戸方を望むと、複線クネクネのその先が更にクネッており、クネクネどころかクネクネクネ状態なのが分かります。
神戸方の最初のくねりから門司方の曲線を真っ直ぐ繋ぐと、C6217さんや、白旗さんのおっしゃる事象に抵触していまうため、苦肉の策がクネクネクネ線路誕生の理由なのでしょうか、それにしても神戸方の曲線は1回で済みそうなのに、3回も曲線区間を授けなければとは、素人眼にも奇っ怪に感じました。
ちょっと余談ですが、引き上げ間際にトワイライトカラーのEF65がレール輸送の貨車を牽引して通り掛かりましたが、完璧にシャッターチャンスを逃しました。
だけど、画像に残すより、瞼に焼き付けることも大切なのかもと、なぜだか今まで感じたことのない気持ちになりました。
いずれにしても、この有年駅の近年の変遷や駅舎改築に関しても、どなたか詳細な記録を残されているのを期待したいですね。
投稿: E10 | 2018年2月14日 (水) 00時41分
猫OG さん、E10さん
有年駅の最新情報ありがとうございます。
このあたりも掘り返すといろいろ貴重なものが発見されそうですね。
画像に残すことばかり考えていますと、自分の目でしっかり見る、という基本的なことがおろそかになってしまいますよね。
投稿: f54560zg | 2018年2月18日 (日) 20時31分