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2017年4月 1日 (土)

会津滝ノ原 1979/7/20 その2

1979年(昭和54年)7月の会津滝ノ原駅の、以前の記事の未公開写真です。

19790720r

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・西若松方からです。
・サビサビですが、中央の線路も本線です。

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・左側の線路の奥には、

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・給炭台があります。

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・出発信号機です。

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・その裏側です。

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コメント

名称が変更されたからなのか、国鉄時代に訪れたかった場所の中でも、私にとっては上位に来る場所なのは間違いありません。
本屋寄りの側線は、貨物時代の名残りなのでしょうか、それにしても配線が途切れているのが残念です。
SL設備に目を移すと、やはり本区から60粁も離れている終着駅なら、一通りの設備を完備してなくてはならなかったのでしょうけど、乗務員の方は心細かったのかも知れませんね。
収容庫が見受けられないのは老朽化のため無くなったのか、昔の空中写真で検証したくなりますが、その1その2の両記事内での転車台に給水塔、そして給炭台の詳細な写真は模型ファンならずとも貴重な資料ですね。(給炭台手前の屋根が片面方へ斜めに伸びた建物はいったい何なのでしょう?)
会津地区と比較したくなるのは加古川線区域なのですが、距離的なことや雪国の要素がローカル線ながらも重厚さを感じさせられ、戦後の国鉄タンク機が活躍した代表的な線区だったのでしょう。
その1のコメント欄での福島県人さんの貴重な情報にあるように、8粁もの専用線を介して鉱物資源が運ばれていたとは驚きなのですが、往時の様子などの写真や語録が発掘されることを期待したいですね。

今や見る影もない変わり様だと思います。
野岩鉄道の開通があって「残った」のが奇跡的かなとおもいます。
本屋側の本線(おそらく上1)は、機織りダイヤなので使われずにあったのでしょう。
会津線も、只見線も線路の規格が低かったのか、C11タンク機関車しか入らなかったようですので、給水、給炭設備が随所に必要だった名残がここにも。

 屋根が斜めに伸びた・・・・は給炭台への足場だと思います。
 石炭は貨車で到着し、当時は給炭台までモッコで担ぎ上げていました。
 給炭台は作業上から機関車の炭庫の高さになりますから、貨車からそのまま降ろすのは無理です。

E10さん、確かに収容庫がないのは気になりますね。鉱山鉄道もそうなのですが、昔の空中写真を見ても残念ながらよくわからないですね(汗)。
やわやわとまれさん、いつ廃止されてもおかしくないような雰囲気でしたが、まさか架線まで張られるとは・・・・、ですね。
C6217さん、なるほど、そうかもしれませんね。ありがとうございます。

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