1979年(昭和54年)8月の日出谷駅の、以前の記事の未公開写真です。
・9時30分頃の駅本屋と駅前の風景です。子供の遊び場になっています。
・乗ってきた225列車がまだホームに止まっています。対向の急行「あがの」の通過を待っているのです。
・10時8分頃、新津発郡山行きの226列車がやってきました。
・続いて駅構内です。郡山方です。
・振り返って新津方です。
・新津方からです。
・構内のはずれの駐泊設備の跡です。ピットや、
・転車台や、
・給炭台が設けられていました。昔は機関庫もあったんでしょうね。
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この日出谷駅も国鉄時代に訪れたかった場所です。(会津若松〜新津間は今だに未踏ですが)昔の空中写真を見てみますと、2線で4両収容出来る車庫が見受けられ、新津、郡山、両方面からの蒸気機関車が夜間待泊するのに備えられた立派な駐泊所だったことが伺えます。 転車台は手動式だったのか、空気を使った通称 尺取り虫 タイプだったのかは不明ですが、下路式の桁を補強するサイドにリベット止めされたアングル板が14本見られるようですので桁長18㍍以上と思われ、会津若松機関区や新津機関区からのC51からC57までのライトバシフィック群も、この転車台で転向していたのでしょう。
炭台横の転車台から延びる線路は2線有るように見受けられ、そこにもSLが入線していたのでしょうか。その炭台も、雪国らしく屋根があり、駐泊所の雰囲気を盛り上げています。
復活した観光SLが津川でなく、ここ日出谷で給水停車していればと感じるのですが、日出谷の街より津川の街が格段に大きく、観光列車と生活列車の違いなのかとも感じました。今回も f54560zgさんの記事のおかげで、普段はなかなか注目出来なかった駅を見ることができ感謝しております。
投稿: E10 | 2017年2月 8日 (水) 23時48分
E10さん、蒸機時代はそれなりに活況を呈していた感のある日出谷駅ですが、今では交換設備すら撤去されてしまったようで、何とも寂しくなってしまいましたね。
投稿: f54560zg | 2017年2月12日 (日) 18時44分